書道家Syuunの忘れ物

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HP&the deathly hallows 第4章 ‥‥5

2007-09-01 18:29:43 | 日記
HP&the deathly hallows 第4章 ‥‥5

                    
Seven Potters        5           

その水薬は、泡だって煙を出し始めそれがその表面を覆った瞬間、一瞬全て透明に変わり、金色に輝いた。
「おぅ~、クラッブとゴイルの時よりもよりずっと風味良さそうじゃなですか、ハリー」とハーマイオニーがロンの眉毛がつり上がり、赤面するった光景見る前に言った。


削除しました。
平成19年9月22日(土)

極左活動家辻元清美も応援する似非社会主義者山口二郎

2007-09-01 17:44:34 | 読み解けば‥‥
極左活動家辻元清美も応援する似非社会主義者山口二郎

山口二郎北海道大学公共大学院教授、この様な人物が独立行政法人とは言え教官という大学人でいることが本当には不思議だ。
ただその存在は、東京大学の左派戦後民主主義者というギルドの一員であることを条件として許されていることなのだろう。
「【佐藤優の地球を斬る】日本国家の弱体化に歯止めを」では、「8月21日、札幌の北海道大学で行われたシンポジウム『岐路にたつ戦後日本』にパネリストとして参加した。」とメシの種のお礼として多少ヨイショして山口氏を書いている。
山口氏に関して「1968年の“プラハの春”」が「忌避観が子供心ながらに強く残った。だからマルクス主義にはひかれなかった。」と聞かされたと言うが、このとき山口氏はなんと10歳。小学5年生だ。
こんな時のことを言われて、そうかと思うのも佐藤氏もヤキ回った、即ち「先入観」を持たされたと言うことだ。はっきり言えば、「マルクス主義にはひかれなかったが、共産主義には惹かれた」と言うことであって、別に根っこは変わっていない。
なぜなら、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を見ると、「2005年の総選挙では辻元清美等の応援演説を行った。」とある。
なんだ同じ穴の狢かと思えば、それで終わりである。
人間どんなに偉そうなことを言っていても、又「いい人よ」と言われていても、その行動がおかしければ「全て行動していることが本心」である。
逆に言えば、その人の行動を見れば「本心が分かるのである。」
社民党代議士辻元清美と言えば、早稲田大学時代の民間国際交流団体「ピースボート」だ。この「ピースボート」の裏に極左活動家がいたことが分かっている。後年この黒幕の出版社社長が逮捕されたことで明らかになり、辻元清美自身『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば、中核派のシンパであることが証明されている。
ちなみに、「ピースボート」の実態は時の週刊新潮、週間文春に掲載されて大顰蹙をかったものである。(いずれも裁判に訴え「最高裁はピースボート側の上告を棄却した。(Wikipedia)」)
さて、山口氏などの左派文化人の特徴は、「扇動家」であることだ。
そして、平等社会と言いながら自らは他人を蹴落として、競争社会を生き残った人物だと言うことである。当然それに連れ、我々庶民とは全く別な資産形成をしていたりする。
はっきり言えば、現代日本の貴族だ。
そして、貴族と言えば‥‥ロシア革命!!
貴族を打倒するとしたロシア革命で、レーニンをはじめとして、プレハーノフ、ツェレテリ、チヘイゼ、ポトレソフ、ジェルジンスキー、ルチャルスキーは貴族出身であり、トロッキーはユダヤ人の大地主(貴族)であることを考えれば、こういう連中の言動は想像がつく。
だから、その傾向は全てに於いて自分は別格であり、所謂高みに於いて上から見下ろす視線であることだ。
はっきり言えば、常に自分の立場は「安全であり」自身の主張をまともに聞いて失敗しようが何であれ、知らぬふりであり危なくなれば真っ先に逃げ出す手合いであることだ。
即ち、危なくなったら一緒に戦わないこういう連中だ。
その昔、社会党代議士が海外で自衛隊に守られてか、自衛隊の活動を視察していたとき、少々危ない局面があったという。
そこで、社会党代議士「なぜ、銃を撃たないのか」
自衛隊「無言」。社会党は自衛隊の「銃」に対する規制をしていたはず。
こんな出鱈目だったから、社会党は消滅したのだが。
要するに、彼らが行っている行動は、国民のためでも、日本のためでもなく単なるメシの種と言うことだ。
又佐藤氏は山口氏に対して「国会、地方議会、マスメディアでの討論を重視して、国民の合意を得ながら平等な社会の実現に向けた変革に社会民主主義の神髄があるという信念を山口教授は持っているようだ。」と言う。
いつも言う様に「平等な社会」と言うのがくせ者である。そして、国家の基本をどこに置くのか即ち、個人に置くのか家族に置くのかである。
続けて、佐藤氏は「新自由主義政策の嵐の中で、戦後日本が築いてきた安定した社会が崩れ、その結果、日本国家が弱体化し始めている。」
ここで、その際構築をどの様な手法で、またどの様な主点で見るのかと言うことだろう。小生から見れば、近隣の中国、韓国に、未だに日本人が税として納めた血税を簡単に「吸い上げ」られて良いものか、又、社会に適応できない「フリーター」を作り出す日本の教育制度をどうするのかと言うことだろう。

佐藤氏は「すべての日本国民に『機会の平等』を保障するのが日本国家の責務であると考える。」と言う。
結果「新自由主義政策とは、安定した状況をあえて揺さぶり、自由な空間を作り、そこで競争を行い、勝った者だけが生き残っていくという19世紀後半に流行になった社会進化論の弱肉強食路線の復活に過ぎない。それがもたらすのは本格的な貧困社会の到来で、その結果、社会的活力がそがれ、日本国家も弱体化する。」
おやこれは、山口教授と全く同じ意見ではないかと言うことだ。
なぜなら、その「社会進化論の弱肉強食路線の復活」を制するために「結果の平等」という概念があり、それを推し進めて社会をダメにしたのが「ゆとり教育」であり共産主義的教育だ。
「山口教授をはじめとするまじめな左翼、市民主義陣営の声」とは、もう20世紀で終わりにしたいものだ。
Web上に山口二郎氏の写真が出ていた。小生から見れば、何やらお付き合いしたくない顔だ。それにしても、左派人士というのは似た様な顔になるものだとつくづく思う。