福井 学の低温研便り

北海道大学 低温科学研究所 微生物生態学分野
大学院:環境科学院 生物圏科学専攻 分子生物学コース

桜の季節、駆け足で

2007-05-10 06:46:15 | 四季折々

北海道の「桜の季節」、あっという間に駆け足で過ぎてゆく、余韻も残さずに。

0705090107050902札幌でも、ようやく桜の季節を迎えました。北大キャンパスでも、疎らですが、咲き誇っています。桜の散り際の「わびさび」や「余韻」は、次の「ライラック」に譲っているように思えるのは、私だけでしょうか?

07050903この季節には、「さくら」の配達弁当(500円、みそ汁付き)がよく似合う。というのは、このところ、おかずに占める「山菜率」が高い。小さな弁当の空間にも、季節があります。

ただ、残念なことですが、ワタクシ、山菜嫌いです。大学院生の頃、理学部の「さくら食堂」で毎日食べていたのですが、うどんを頼むと、たっぷりと山菜がのってきます。こういう時にありがたいのは、研究室の山好きの助手の先生。山好きの大学の先生は、必ずと言っていいほど、山菜好きです。なので、私のうどんの山菜を、先生に食べていただくのです。

現在、研究所では、さくらの配達弁当をオフィスで食べています。このところ、「山菜」の扱いに困っている次第でして、、、、。残すのは、作ってくれた「さくら」さんに悪いと思いますし、かといって、捨てるのは、罪悪のように感じますし。どうしよう?

そんな悩みも、あっという間に、駆け足で過ぎてゆくのでしょうか?


テイオンケン・クリーン・デイ

2007-05-09 07:37:33 | 低温研のことごと

雪解け後のキャンパスは、何かとゴミが無造作にたまっている。

070424さる4月24日(火)は、北海道大学キャンパス・クリーン・デイ。テイオンケンでも、午後、各研究室から最低2名以上が参加し、研究所周辺のゴミひろいを行いました。軍手やゴミ袋は事務から支給され、多くの方が参加してくださいました。その結果、集められたゴミの量は相当のものです。過ぎた冬の間に蓄積されたものです。

年度始めのこうした行事は、新人の顔と名前を覚える良いチャンスです。この週の27日(金)は、低温研の院生主催の新人歓迎コンパでした。残念ながら、私は野外調査のため、参加できませんでしたが、聞くところによると、大変もりあがったとのこと。研究所内の交流と言う意味で、良い機会になったのではないでしょうか。

070427_1院生の皆さんは、新歓コンパを機会に、低温研「人物録」を作成してくれました。この小冊子には、「スノーランタン」、「ピロピロリ~」、「積雪断面観測」、「改修工事」など、低温研にまつわるコラムも掲載されており、とてもグーなガイドブックに仕上がっています。

院生の皆さん、どうもありがとうございました。


うなぎのじゅもん

2007-05-08 00:37:56 | 大学院時代をどう過ごすか

どうしようもなく心身が疲弊困憊した場合、「うなぎ」を食べると元気になるのはどうしてだろう?

昨日、低温研の「ある研究室」でのお昼休みのこと。そこへ、名古屋からのお客さんが、静岡県浜松名物「うなぎパイ」をお土産に持って来て下さいました。北海道に住んでいる方にはあまり馴染みがないかもしれませんが、東海地方では、「うなぎパイ」のテレビコマーシャルがあって、そのCMソングが「うなぎのじゅもん」。

この唄、私(たち)のツボを刺激してくれるのですが、いかがでしょう?

で、驚いたことに、「うなぎのじゅもん体操」というのがあって、これまた、実に良いなあ。

「うなぎパイ」も良いのですが、私は、やはり、「ひつまぶし」でしょうか。札幌では、叶えられそうもありませんか?

      *****

うなぎのじゅもん
(作詞: 小椋 佳、宮原 芽映)

まってるだけじゃ なにもおきない
とおいみちでも でかけてみよう
むずかしそうでも やってみようよ
つまずいたって あきらめないで

うなぎみたいに ねばりづよく ながく

ゆめにむかって うなぎのじゅもん
こころポカポカ おまじないだよ

うなだれない うなぎ
うなされない うなぎ
あこがれに うながされ
しあわせに うなずいて

うさぎのうなじ うわぎのうらじ
うなぎのうまみ うなぎのげんき
こんき ゆうき ほんき
うなぎ パイパイパイ


おもいどおりじゃ おもしろくない
いつもであいは おもいがけない
よじれたみちでも いってみようよ
ぶつかったって つかれしらずで

うなぎみたいに ねばりづよく ながく

ゆめにむかって うなぎのじゅもん
こころポカポカ おまじないだよ

うなだれない うなぎ
うなされない うなぎ
あこがれに うながされ
しあわせに うなずいて

うさぎのうなじ うわぎのうらじ
うなぎのうまみ うなぎのげんき
こんき ゆうき ほんき
うなぎ パイパイパイ


あのころの未来に

2007-05-07 08:59:36 | 低温研のことごと

スガシカオの『夜空ノムコウ』の詩の世界は、私(たち)のツボを大きく刺激する。

この詩は、「過去の自分が思い描いた未来の位置に現在の自分が立っているだろうかと、自問自答する」点に凄さがあります。そのズレを認識して、明日へと歩んで行く。

ただ、過去の自分が何を考え、どんな未来を推し量って来たかと言うことは、現在の忙しさの中で時として曖昧になることがあります。そんな時、過去に書いた日記やメモが想起の介助をしてくれます。

07042901先日、尾瀬(群馬県片品村)の調査に出かけたのですが、「なぜ、毎年尾瀬に来ているのだろう」と自問自答してみました。幸い、7年前に書いたモノが残っていました。

2000年の5月に日本産業技術振興協会(JITA)に依頼されて書いた小文です。日本産業技術振興協会は通商産業省(現・経済産業省)の外郭団体。毎月発行されているJITAニュースの巻頭言です。当時、10年間弱務めた国立研究所を退職し、都立大に転じて2年弱が経とうとしていた頃でした。国立研究所では工学的研究を中心に行って来たのですが、大学での理学的研究への転換を図る「決意」みたいなものを綴っています。都立大で定年まで送るとしたら、どんな研究が相応しいのだろう、と考えて、私なりの未来予想図を描いていたのです。

あれから7年が経ち、あのころの未来に、私は立っているのでしょうか? 全く予想もつかなかった札幌の地で、こうして立っています。今、この小文を読み返してみて、当時の未来予想図の重要性が一層増してきていることに気がつきました。

人生って、不思議なものですね(←美空ひばり風に、声に出して、歌ってみてください!)。

と言うことで、テイオンケンの皆さん、これからもよろしくお願いいたします。

(↓少々長いので、印刷体をご希望の方は、お気軽に連絡してください)
* ***<JITAニュースより転載>*********
尾瀬のアカシボへの想い-ミクロとマクロの接点
  東京都立大学大学院 理学研究科 生物科学専攻 助教授
                  福井 学

尾瀬の雪解けを待つ中高年グループがいる。ゴールデンウィーク前から尾瀬の麓、片品村の星野さんに尾瀬ヶ原の残雪量を何度も問い合わせる。まだか、まだかとじっとこらえる。完全に雪が溶けても、また、残雪が多すぎても、そのタイミングを逸する。昨冬は降雪量が多く、その予想がなかなかつかない。尾瀬の雪解けといえば、ミズバショウ(サトイモ科)。彼らはそんなにミズバショウが恋しいのだろうか?

5月中旬、連絡がグループ内に電子メールで回った。2泊3日で尾瀬にて現地調査をすることに決定。当日、リーダーのF先生を中心に全国各地から6人の研究者(平均年齢52歳、最高齢67歳、最年少40歳)が片品村に集合。鳩待ち峠から目的地の山の鼻ビジターセンターまでは残雪1m以上雪道を1時間歩かねばならない。調査器具等をザックに収め、背に担ぎながらの雪の山道。汗が額から滴り落ち、体中が火照るが、時よりそよぐ涼しい風が心地よい。気を緩めると雪の下り道は滑落しそうになる。行程の半ばを過ぎたあたりだろうか、南斜面テンマ沢の雪解けの湿地にミズバショウの群落が見えるではないか。一瞬立ち止まり、条件反射的に「夏の思い出」(夏がくれば思い出すーーー)が脳裏をかすめるが、「いやいやわれわれの目的はこれではない」と我が身に言い聞かせる。平坦な道に入り、ようやく山の鼻「植物研究見本園」に到着。呼吸を整え、背中のアブリ山方面に目を向ける。広がる雪原のいたる所に大小さまざまな茶褐色の窪みがみえるではないか!これが目的の尾瀬の「アカシボ」である。調査を行うには、まさに最適の時期である。

アカシボは尾瀬ヶ原で融雪時に雪原表層が部分的に赤くなる現象である。このアカシボの正体と発生メカニズムを解明することが、中高年研究グループの目的である。尾瀬沼、池塘や木道脇の水溜りに油膜様のものが見られ、油の汚染と勘違いするが、これもアカシボでまったくの自然現象である。融雪時の限られた期間に出現するアカシボは謎めいている。第1に、なぜ融雪時に、しかも低温環境下で急速に発生するのか?第2に、雪上に形成されたアカシボのプールやその下の雪の中にもソコミジンコ、ガガンボ幼虫、ユスリカ幼虫、イトミミズと言った動物が生息し、これらの餌は何によって賄われているのか?春の融雪時とは言え、夜間アカシボは凍結する。こうした極限環境下でさえも多様な生物が生息していることは驚異である。現在、アカシボの正体には2つの説が存在する。1つは、ある種の藻類やバクテリアが増殖したという「藻類-バクテリア説」。もうひとつは雪下の湿原泥炭中の無機質鉱物が何らかの作用で雪上に舞い上がってきたという「鉱物説」である。私の立場は「バクテリア説」である。赤茶色はまさしく酸化鉄の色である。このことは鉄酸化細菌の作用を考えれば説明可能である。鉄酸化細菌は酸素を使って還元型の鉄を酸化して得られるエネルギーを利用して増殖する。最長老のY先生はもっぱら藻類説である。茶褐色の藻類が雪中でも増殖しているのではないかとお考えである。Y先生、年季の入った根堀でせっせと積雪を掘り出し、雪の表面から50cm深い層からも藻類の存在とその培養を試みようとしている。ちなみに、Y先生の根堀は50年以上も愛用なさっており、大量消費型の生活に慣れた私には胸をえぐられるような事実である。

さて、このアカシボ研究を支えているのはF先生の「アカシボの正体は何だ」という強い知的欲求である。自然のからくりを知ること自体に価値がある。正直言って、この研究で大きな研究予算が獲得できるわけではない。ほとんどが手弁当の研究である。3年程前、F先生からアカシボの謎解明調査のお誘いを受けたとき、私は通産省の国立研究所で有害化学物質の微生物分解とそのモニタリングの研究に従事していた。特に、海洋環境での原油汚染を対象とし、湾岸戦争後のクウェートの原油汚染砂漠と沿岸海域にも調査を行ったことがある。汚染物質が現場環境でいかに微生物分解を受け、最終的にどのような物質に、どれくらいの時間をかけて変換されるのか?それらを予想するには様々な要素を解明しなければならず、多くの時間と労力を要す。したがって、こうした研究は国の研究開発費を投じて行わなければならない重要な課題であるし、納税者の理解も得られやすい。しかし、アカシボの研究はどう理由付けしようか?「尾瀬の自然を守る(自然保護)」、「生物多様性の保護」、それとも「観光資源の保護」? 化石燃料の大量消費によって、大気中の二酸化炭素濃度が増加し、地球温暖化を引き起こし、尾瀬のアカシボに壊滅的なダメージを与えるかもしれない。また、酸性雨により尾瀬ヶ原が極端に酸性化し、将来アカシボ現象が見られなくなるかも知れない。と、あれこれ考えたが、F先生の素朴な姿勢を盲目的に受け止めることが自然であると思うようになった。

2年前職場を大学に転じ、意欲的な若い学生を前にして、私は彼らに何が伝えられだろうかと悩む日々が続いている。今でも有害化学物質の微生物分解は私の研究でも大きな位置を示しており、学生も強い関心を示している。一方、アカシボはどうだろうか? 国研研究者時代に培った新しいアプローチでその正体に迫ろうとしている。微生物の持つ遺伝子情報から微生物の群集を捕らえるアプローチが培養困難なアカシボ解明の糸口である。なかでも鉄酸化細菌ガリオネラの存在が気になっている。沼鉄鉱と呼ばれる泥炭質の沼で見られる赤褐色沈殿はとても純粋な鉄鉱石で鉄酸化細菌によって生成されたものと考えられている。雪解けの尾瀬の低温環境でのバクテリアによる鉄鉱石の生成メカニズムの解明は地球上での鉄鉱床の形成を知る上での一助になるかもしれない。まさに、ミクロな視点とマクロな視点を統一した自然の理解が大切である。微生物の解明だけでなく、多方面から包括的にアカシボを理解する必要がある。だからこそ、中高年アカシボ研究グループの存在意義がある。来年雪解けの頃、尾瀬で無邪気にアカシボをいじって遊んでいる中高年集団に多くの20代の学生が混じっていることを期待したい。


ミュンヘン、サッポロ、テイオンケン

2007-05-06 00:04:11 | 低温研のことごと

初めての海外は、一生忘れられない。

今の大学院生ならば、海外での学会参加・発表は当たり前になって来ました。私が院生であった頃は、海外へ行くこと自体、大変なことでした。とくに、航空券が高く、経済的に恵まれない院生にとっては、海外は手の届かない憧れの場所

研究で初めて海外へ出かけたのは、1990年の10月。つくばにある、通商産業省工業技術院公害資源研究所(略して、公資研)に研究員として就職して1年半が経った時です。

その頃、養賢堂から出版されていた「土壌微生物実験法」を改訂することになり、東北大学の服部勉先生から、「硫酸還元菌の計数と分離」に関する章を執筆して欲しいとの依頼が来ていたのです。当時、自然界に存在する多様な硫酸還元菌を培養し、分離するための培地は、フリードリッヒ・ヴィッデル先生(Friedrich Widdel)が考案した完全合成培地が最適でした。この培地は、重炭酸塩で緩衝化させ、硫化物で還元させたもので、酸素を嫌う偏性嫌気性菌の培養に適したものです。ところが、厳密な嫌気的な条件下で、培地を作成することは極めて困難です。

この培地の作製法をマスターして、自分自身の研究に活かし、さらに、「新編土壌微生物実験法」で紹介することにより作製法を普及させたい。そんな思いが強くなり、意を決して、ヴィッデル先生にお手紙をお送りいたしました。その内容は、ヴィッデル先生の研究室で短期間滞在して、培地作製法と菌の培養・分離法を直接教えて欲しい、というもの。幸い、先生から快諾の返事をいただき、ドイツのミュンヘン大学微生物学及び遺伝学研究所へ行くことになりました。

とは言うものの、問題は資金。航空券は37万円と高価です。最初の年の冬のボーナスと2年目の夏のボーナスを合わせて、また、2週間の有給休暇を取って、何とか渡航に至りました。当時の研究室の室長さん(漆川芳國さん:現在秋田県立大学教授)がとても理解ある方で、つくばから成田空港まで自家用車で送っていただきました。

事前の連絡(ファックス)で、ミュンヘン中央駅でウィッデル先生と待ち合わせをすることになっていました。雑踏の駅構内、ひとりぼっちで日本からのスーツケースのキャリーハンドルを握りしめながら、先生が来るのを待つ。あれだけの大発見をされた方だから、とても厳しい方なのでは? 権威的で、高圧的な方であったらどうしよう。次第に、胸が高鳴り、心臓が破裂しそうになって行く。

間もなく、自転車を引きずりながら、「Dr. Manabu FUKUI」と黒マジックで書かれたA4の紙を携えた、ヴィッデル先生登場。とても紳士的で、温和そうな方なので、ホッとしました。その後、トラムで研究所へ。研究所はニンフェンブルグ宮殿に隣接。研究室に到着後、直ぐに打ち合わせ開始、そして、実験が始まる。

それからと言うもの、先生の研究室で1週間、朝から深夜まで、マンツーマンで方901001法、その背景にある原理などを懇切丁寧に、かつ、徹底的に教えていただきました。宿は、研究所の屋根裏部屋と言うこともあり、私自身も実験に集中することができました。当時、先生からできるだけ多くのことを学び取ろうとして、ノートに詳細を記す。このノート、現在でも残っており、宝物の一つになっています。

ヴィッデル先生は、とても器用な方で、実験装置をご自分で制作される。その設計の細部まで、実に考え抜かれたもので、それは、目的とする微生物の生理学に合わせているのです。一切妥協しない、徹底したヴィッデル先生の学者魂を学び取りました。

とかく、若い時はあれもやりたい、これもやりたいと思いがち。しかし、それでは、到達できない領域がある。そんなことをヒシヒシと感じ取った1週間となりました。

当時、英語も満足にできなかったので、どれほど深くヴィッデル先生とコミュニケーションができたのか、怪しいところですが、この1週間で学んだことを、「新編土壌微生物実験法」で紹介いたしました。また、現在、私たちの研究室にある、嫌気性細菌培養のための装置(手作り)のいくつかは、1990年にヴィッデル先生から私が学び取ったことを基礎としています。サッポロのテイオンケンにある実験室に何気なく置かれている装置の一つ一つにも、それなりの歴史と謂れがあるんです。

さてさて、神経を使う、嫌気性細菌の培地作りや培養実験を終えたらば、その神経の高揚を沈める意味でビールでも飲みましょうか。一人で黙って、シュワッと、テイオンケンで!


ひまつぶし

2007-05-04 15:32:30 | 南極

はじまりがあれば、おわりがある。そして、また、次のフェーズへ進んで行く。

第47次南極観測隊を応援してきた、み・くりさんのブログ「Katabatic Wind~ずっと南の、白い大地をわたる風」も、ひとまずの終止符を打つことになりました。さわやかな「風がわたる」、前向きな終わり方が感動を誘います。み・くりさんらしいです。そして、未来につながる情報発信を別な形ではじめる、み・くりさんに期待いたします。

「Katabatic Wind」の最終エントリー「ありがとうございました。」には、私の過去のエントリー「ブリザード」が紹介されています。南極大陸での野外調査中、天候が悪化し、観測小屋の中で3日間たった4人で過ごしたことを綴りました。

さて、電話も、テレビも、ラジオも、インターネットも無く、外部からは完全に隔絶された環境に3日間おかれた場合、あなたはどんなふうに時を過ごしますか?

いつものレトルトを中心とした食事を終え、もう一人の生物隊員の高野さんと「ひまつぶし」の会話。

「今日もレトルトの鰻蒲焼きでしたね」と高野さん。
「うーん、そうだね。この中国産鰻にも飽きましたね。なんて、贅沢なこと、いってんだろうねえ」と私。

そうです。閉ざされた環境では、食への欲望がつのってくるのです。それで、日本に帰ったら、「あれも食べたい、これも食べたい」談議が始まるのです。高野さんと共通して食べたい物は、札幌の炉端焼きのお店「炙屋」の生太巻きでした。そのイメージを頭の中で浮かべてしまうと、もう大変です。唾液が止めども無く出てしまうのです。典型的な、パブロフの条件反射。

01_82で、私にとって、何が一番食べたかったと言うと、「ひつまぶし」。炭火でカリッと焼いた鰻を刻んで、アツアツのごはんに載せ、特製のタレをかけたもの。これだけは、家庭でなかなか再現できない料理の一つです。食べ方は好みですが、一応の作法では、飯篦で「ひつまぶし」を4等分する。最初の4分の一は、そのままいただく。好みによっては、山椒をかけても良し。

02_45残りは、あなた次第ですが、きざみネギ、ワサビ、山椒、そして特製タレを好みに加えて、お茶をかけていただく。お茶漬けにしていただきながら、時々、奈良漬けや肝吸いに手を付ける。

そんな、こんなを、思い浮かべながら、南極大陸で過ごす、贅沢な「ひまつぶし」。ブリザードも、はじめがあれば、必ず、おわりがある。

あれから、1年以上が経ち、ゴールデンウィークの一日。どこへも出かけず、ゆったりした時間の中で、今晩の献立を考える。逆立ちしても、「ひつまぶし」なんて作れないな。レトルトの鰻蒲焼きを解凍して、鰻丼にしようか?

<追記>
札幌で、「ひつまぶし」が味わえるお店をご存知でしたら、お教えください。


湖の決心

2007-05-03 16:40:30 | 本と雑誌

北海道には、大小さまざまな湖があります。札幌からでしたら、支笏湖でしょうか。この季節の、穏やかな休日、ちょっと骨休めに「みずうみ」へ出かけてみてはいかがでしょうか?

そして、湖畔に佇み、青空を見上げながら、ひとりぼっちで、あれやこれやと物思いに耽ると言うのも、良いかもしれません。

随分と前の唄ですが、山口百恵の「湖の決心」というのがありましたね。歌い始める前のイントロで、山口百恵が「運命を信じますか?」と語りかけるところが、ぐいっときますよね。

そう言えば、大学生の頃、ある先輩が薦めてくれた本に、シュトルムの「みずうみ」があります。胸が締め付けられるような、儚い初恋の物語です。支笏湖の湖畔に佇みながら、しばしの間、シュトルム文学に浸るのも、ロマンチックかもしれません。

前ふりが長くなりましたが、お薦めの一冊です。生態学の基本を学ぶ上でも良書だと思います。どこかの湖畔で読破するのもオツかもしれません。

湖と池の生物学-生物の適応から群集理論・保全まで-
Christer Bronmark,Lars-Anders Hansson著 占部城太郎監訳
占部城太郎・吉田丈人・鏡味麻衣子・石川俊之・岩田智也 訳

菊判360頁、定価4200円(税込み4410円)共立出版
2007年5月下旬発行


下山の作法

2007-05-02 06:31:33 | フィールド

山岳地帯の微生物生態学調査にはいろいろな作法があります(我流ですが)。採取した試料は、素早く、大学に持ち帰って、しかるべき前処理や保存をしたいもの。

私たちの研究の場合、往路よりも帰路の方が遥かに荷物の重量が増します。今回の調査でもそうで、1時間半の山道を自動車の駐車場まで運びます。重くなったザックが肩に食い込みますし、大汗もかきます。やっとの思いで、鳩待峠(はとまちとおげ;群馬県片品村)に到着。息を整え、車で1時間ほどの定宿で、荷物を整理。調査器具等は「着払い」宅急便で研究所に送る。

調査活動と登山で汗だくになった体は、周囲の方に多大な迷惑をおかけすると言うもの。フィールドワークをされている方の中には、それが自慢で、そのまんまの格好で、そして周囲の方が鼻をつまむような体臭のまま、街のなかを移動されています。しかし、私たちは、微生物を扱っていることもあり、また、野外調査の自己満足に陥らず、周囲への気配りも大切であると考えています。

01_81そこで、公共交通機関を利用する前に、必ずお風呂で体の汚れを洗い流し、身綺麗にすることにしています。尾瀬の近くには、温泉があります。今年も、「わたすげのゆ」に立ち寄りました。

ちょうどお昼時に差し掛かろうとした頃に、「わたすげのゆ」に到着。「わたすげのゆ」はアルカリ単純泉で、筋肉痛、疲労回復に効能があるとかで、調査後の身体には最適です。あまりゆっくりもできないのですが、十分に体の汚れを取り、新しい下着に着替え、衣服も整え、すっかり山モードを終了させます。

この「わたすげのゆ」には、みやげ物やと食堂が併設されています。風呂上がり、店員さんが「冷たいものでもどうぞ」と麦茶かスポーツ飲料を出してくれます。と、そのとき、食堂の厨房からは、聞き覚えのある声が聞こえて来ました。あれっ? もしかしてYさんでは? 店員さんに、「もしかして、Yさんは帰省されておられるのですか?」と尋ねると、彼は厨房へ行きYさんを呼んで来てくれたのです。

02_44そして、現れたのがYさん。「先生、おひさしぶりでーす」と。そうです、Yさんは、5年前私が担当していた教養課程の生物学の受講生です。講義の中で、「尾瀬の湿原の形成と生物」に関して紹介したところ、講義後にYさんが私のところにきて、「尾瀬で調査する機会があったら、私の実家によってみてください。温泉もあるし、イワナ料理もおいしいですよ」と。

数年ぶりにYさんにご実家で再会するなんて、奇跡的ですね。Yさんは他学科の学生さんでしたが、卒業後民間企業に就職。ゴールデンウィークを利用して帰省し、家業を手伝っているとのこと。

そして、Yさんおすすめの、イワナ塩焼きをメインにした「おすすめ定食」をいた03_24だくことにいたしました。イワナの塩焼きは、頭も食べることができ、また、塩分を放出した肉体労働後の身体には最適。他に、冷やし椀そば、舞茸ごはん、煮豆、サラダ、そして漬け物。この舞茸ごはんは、格別に美味。すっかり、お腹を満たし、幸福感。

04_9さあ、札幌に戻ろう! Yさんに別れを告げると、お土産に「くるみ餅」を持たせてくれました。Yさんの心遣いに感謝。

車で上毛高原、上越新幹線で東京、山手線で浜松町、モノレールで羽田空港、飛行機で新千歳空港、快速エアポートで札幌駅、徒歩で低温研。低温研の実験室の冷蔵庫、冷凍庫に採取した試料を保管して、ようやく野外調査が終了するのです。とても長い一日でしたが、心身ともに爽快。明日からの探求活動への大きな活力となりました。

<追記>
大学において、在校生と教員との間で、金品のやり取りをしてはなりません。特に、単位にかかわる場合は、なおさらです。今回は、卒業し、立派に社会人になっておられる方でしたので、ご好意をお受けすることといたしました。