天から送られてくる雪片。はかない結晶。その一つ一つ、どれをとっても同じ形のものがない。
昨日のエントリでご紹介したイングラム著『そうだったのか!』には、こんなことが書かれています。
「惑星の誕生から今日まで地球上に降ったであろう雪片の数を考えてみてください。ある人の試算によると、その数は10の35乗個となります。これは一の後にゼロが35個並ぶ数です。またそれは、雪片一個が1グラムの100万分の一しかないことしても、合計では地球の重さの50倍に相当する重さです。そんなに数が多いのですから、そのうち二つが同じと言うことがあっても良いのではないのでしょうか?」
なるほど、10の35乗個とはとんでもない数ですね。イングラムは、さらに統計学的検討を加えます。
「ただここで考えなければならないのは、雪片一個は約1018個の水分子を含んでいるのですから、それらがどのように配置するかについては、やはり膨大な数の可能性があるということです。
膨大と言うのはどれくらいでしょうか。概算によりますと、落下しながら徐々に成長する一個の結晶に対して、水分子が二つ以上の場所にくっつくことができるとすると、その可能性は100万になるそうです。この計算をさらに進めると、可能な雪片の数は、これまで地球上に降った雪片総数の何百兆倍のさらに何百兆のいう、信じられないほどの大きな数になります」
ここまでの検討で十分説得力があるのですが、イングラムはさらに追い討ちをかけてきます。
「そのうえ、二つの雪片がまったく同じ歴史をたどることはありえません。同じ場所から同時に放たれた気球でさえ、予測できない微風のため異なった道筋を飛ぶことになります。」
うーん、なるほど。こうした統計学的検討から、必然的に一つの結論が導かれます。雪片はどの二つをとっても同一であることはほとんど絶対にあり得ない!説得力がありますね。
低温研の庭に咲く花もどれ一つとっても同一のものがなく、その花々の組み合わせは、偶然と必然が織りなす奇跡的なこと。その花々のどれもが生き生きと鼓舞するような庭を創りましょう。