昭和基地で、汗水たらしてがんばっている47次越冬隊の皆さんには大変申し訳ないのですが、昨夜同窓会、というよりは夏隊の同級会を開きました。場所は、明治記念館「富士の間」。
昭和23年1月29日、東オングル島に昭和基地が第一次観測隊によって開設されて50年が経ちました。50周年を記念して、有楽町朝日ホールでオープンフォーラム南極『南極サイエンス、最前線』、それに引き続き、明治記念館で記念式典と祝賀会が開催されました。祝賀会は、言わば50周年記念行事のグランドフィナーレです。
VIPのお言葉の後、歓談、そして、鏡開き。その後、昭和基地から帰国したばかりの毛利さん、今井さん、そして立松さんがひな壇に立ち、昭和基地と結んでの交信が始まりました。昭和基地からの映像は、会場の大スクリーンに大写しされました。残念ながら、回線が時々途切れたり、音声がはいらなかったりと、トラブルが続いてしまいました。日刊スポーツの記者のブログにアップされた写真を見ると、裏方で働いていた衛星通信担当隊員の蓮池さんや野外主任の和尚の真剣な姿を読み取ることができます。記念式典では皇太子もご臨席されていたので、裏方さんたちもきっと緊張の連続だったことと思います。
この通信トラブルの中でも動じず、悠々と昭和基地とのキャッチボールをしてくれたのが登山家の今井通子さん。
「昭和基地のみなサーン。そちらの声が聞こえないのですが、こちらからの声は聞こえますか? 聞こえていたら、腕で丸をだしてくださーい」
ゆっくりと、かつ、明瞭に彼女が声をかけると、昭和基地の神山越冬隊長が丸を示す姿が、何とも微笑ましい!
桝につがれた樽酒を少しいただきながら、日本の南極観測にかかわった先達ともお話しする機会を得ました。昨日のエントリーでご紹介したH先生の恩師、低温研でいつもお世話になっている若手研究者の恩師。彼らに比べれば、私の貢献度は無視できる程ですが、私の研究者人生において南極観測に参加できたことは幸運でした。私自身の今後の研究に大きな影響を与えたことは確かです。研究を発展させることはもちろんですが、その成果を「微生物ってなに」でも紹介したように、市民の方々に還元して行きたいと思っています。
あっという間に2時間弱が過ぎ、祝賀会が終わろうとした頃、あわてて夏隊の3人で記念写真を撮りました。
47次越冬隊の皆さん!お疲れさまでした。
皆さんのお帰りを心よりお待ちしております。
帰国されましたら、同級会を開きましょうね!
夏隊 高野・桝・福井より
最後に、南極観測50周年をお祝いする祝賀会に招待していただいた国立極地研究所に感謝いたします。
今日で我々の天下は終わりです.ドーム隊はまだ全員そろっていませんし,昭和残留組もいますけど,2月1日の越冬交代後にはほとんどが一旦しらせに引き上げます.
これまで,ご声援いただきどうもありがとうございました.
祝賀会の会場カメラの件ですが、VIPsの多い中でカメラの前に立つのは気がひけてしまいました。思い切って、3人で立てば良かったと後悔しています。
ドーム隊も無事帰還したようで何よりです。
いよいよ明日、越冬交代式ですね。皆さん、本当にお疲れさまでした。
これから、長い長い航海が待っていて、船酔いとの戦いになりますね。お体には十分ご留意ください。
越冬、本当にお疲れさまでした。
祝賀会では、以前の大学でお世話になった安仁谷先生に久しぶりにお会いしました。その折り、さわがきさんの話題にも触れました。
スカルブスネスの「すりばち山」、そして硫黄島の「すりばち山」の件、私も気に留めておきたいと思います。情報をありがとうございました。映画「Black Robe」、いつか見てみたいと思います。
復路、長い航海になると思いますが、お体にご留意下さい。懐かしいです、「総員起こし。」。