団塊の世代のつぶやき

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★原子力規制委の権限と在り方

2016年02月15日 | 原発

  民主党の菅と規制委の原発を動かさないという企みを、声を大にして櫻井さんが、2015年12月14日 (月)、第543回の「自民党は規制委の公正化急げ」や2016年1月 8日 (金)、第5941回の「『もんじゅ』と『規制委員会』の真実」で警告を発してくれました。

  ところが、相変わらず、自民党は動かないし、都合の悪いマスコミは一切報道しません。これだけでも、日本の堕落が見事に現われています。

  その、櫻井さんが又しても書いてくれました。何と、あの規制委が世界から、その欠陥を指摘されているそうです。これも、マスコミは全く報道してないのじゃないでしょうか。

   櫻井よしこ オフィシャルサイト    2016.02.06 (土)

  「震災5年であらためて考える原子力規制委の権限と在り方
『週刊ダイヤモンド』 2016年2月6日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1119

  「読売新聞」が「震災5年」と題して、東日本大震災の当事者たちの証言を連載している。1回目は宮城県南三陸町町長の佐藤仁氏、2回目は福島県飯舘村 村長の菅野典雄氏だった。小町村の首長がどのような思いで震災に向き合い、住民を守ろうとしてきたか、読めば胸を締め付けられる。当事者の皆さん方の思い はどれほどのものかと思う。
 
  そして連載3回目、班目春樹氏(元原子力安全委員会委員長)の証言を読んで、当時の民主党政権の愚策にあらためて憤りを覚えた。3・11発生の夜、氏 は官邸に招集された。氏の役割は菅直人首相(当時。以下同)への助言である。ところが東京電力や現地の保安検査官からの情報は、一切班目氏らには伝えられ なかった。首相補佐官の細野豪志氏が福島第1原子力発電所の吉田昌郎所長と電話で連絡を取り合っていたことも、伝えられなかった。

  「それを私は知りませんでした。後で知ってがくぜんとしました」と氏は証言している。
 
  情報が極度に少なく、手元にある限られた情報さえも共有できなかったのが菅政権の実態だった。氏は3月12日朝にヘリコプターで菅首相と福島第1原発を視察したときのことを次のように語っている。

  「東電の武藤栄副社長の説明はとても参考になりました。(中略)次の対策を考えるため、原発で何が起こっているのかをもっと聞き出したかった。ところが、首相はその話を遮ってしまった。大事な機会を逸しました」「原子力を知らない政治家との対話には苦労しました」
 
  氏の証言は専門家としての後悔の言葉で満ちている。例えば、11日夕方、原子炉を冷やせない緊急事態になったとの報告が東電から届いたとき、「大丈夫 だ」と思い込んでしまった。自らの甘さを責め、「結局、私は何ができたのか。今も同じ問いを繰り返す日々です」と語っている。
 
  班目氏はいま、あの事故で起こったことを忘れないうちにまとめるべく執筆しているという。日本が2度と同じ間違いを繰り返さないためにも、氏の著作は重要な意味を持つはずだ。
 
  各種の事故調査報告書によって明らかにされたのは、3・11の被害を拡大させた要因の1つが菅政権だったということだ。自身の知識をひけらかして現場 の混乱に拍車を掛けたのが菅首相だが、氏の肝いりで設置されたのが原子力規制委員会である。日本の原発再稼働阻止の意図で設置した機関だと、菅首相自身が 「北海道新聞」の取材で語ったように、強い政治的意図を背景にした規制委は、原発や放射能の安全を高めるという本来の仕事をしてきたのだろうか。
 
  その問いに国際原子力機関(IAEA)の専門家チームが答えてくれた。12日間にわたって調査し、「迅速な改善、しかし、課題あり」という暫定評価を公表した。そこには規制委に対する厳しい意見が書き込まれている。
 
  IAEAが規制委の改善すべき具体例として筆頭に挙げたのが「もっと能力のある経験豊かな人材を集め、教育、訓練、研究および国際協力を通じて原子力と放射能の安全に関係する技術力を上げるべきだ」という点だ。
 
  原子力施設の検査をより効率的に行えるように、関連行政手続きを修正すべきだとの指摘もされた。
 
  規制委に関しては活断層問題をはじめ、科学的根拠を欠く議論が注視されてきた。原発再稼働の申請に当たって無意味なほど大量の文書を作らせたこともすでに明らかにされている。
 
  国際社会の権威から「能力ある人材を集めよ」と言われてしまう規制委に、わが国は内閣からも独立した強い権限を与え、国の未来を決するエネルギー政策の根幹を任せているわけだ。規制委に助言する専門家集団の設置が必要だと強調するゆえんである。

  ここまで指摘されても政府も自民党も動かないのは、やはり、マスコミが怖いのでしょうね。何が本当に必要なのかより、自分の身を守ることの方が大事な議員しかいないのでしょうか。
  せめて、菅や委員を国会喚問して糾弾するくらいのことも出来ないのでしょうか。こうして、何もせずに、無駄な除染などに金を注ぎ込んでいるのですから、全く情けない国としか言いようがないですね。

  偶然でしょうか、福島の高校生が素晴らしい論文を書かれているようです。

  BuzzFeed   2016/02/08
  
  「福島の外部被曝線量は高くない」 高校生執筆の論文が世界で話題に

  福島は他の県や国に比べて高いのか。高校生の素朴な疑問は他に類を見ない研究に。

   福島の高校生は被曝線量が高い?
  福島第一原発事故が起きた、福島県の高校生と、他県、他国の外部被曝線量はどれだけ違うのか。福島高校の生徒を中心に216人のデータを比較した英語の研究論文が昨年11月、専門誌に掲載された。オンライン版は無料で公開されており、全世界で3万ダウンロードを超えている。
  執筆した福島高校3年の小野寺悠さんと、論文執筆をサポートした東京大大学院の早野龍五教授(物理学)が2月8日、日本外国特派員協会での会見後にBuzzFeed Newsの取材に応じた。 

  発端は素朴な疑問

  論文執筆プロジェクトの発端は小野寺さんら高校生たちの素朴な疑問だ。
「福島県で生活する私たちの被曝線量は国内の他の地域や、他国と比べて高いのか」
小野寺さんたちは、実際の生活パターンから測ってみたいと考えた。1時間ごとの外部被曝線量を調べることができる個人線量計「D-シャトル」を使えば、そ れが可能になる。福島高校の教諭のつながりや、事故後に高校で特別講義をするなど交流を深めていた早野さんら科学者のネットワークを使い、比較研究の土台 を作り上げた。
  福島市周辺、いわき市など沿岸部、そして会津と県内各地から6高校、神奈川県や広島県など国内6校、フランスからは40人、ポーランドから28人、ベラルーシから12人の高校生、教員が参加した。教員も含めて協力者は216人に及んだ。

  調査に参加した216人は2014年6月~12月の期間中、原則として2週間、線量計をつけて生活した。どこにいたか日誌もつけてもらった。データを もとに年間の被曝線量を換算すると、差はごくわずかだった。集団の真ん中にあたる中央値で比較すると、福島県内では0.63~0.97ミリシーベルト、県 外では0.55から0.87ミリシーベルト、海外0.51~1.1ミリシーベルトだ。
  フランスの高校生が発した一言「福島に人は住んでいるのか」
英訳など論文をサポートした早野さんには忘れられない問いかけがある。2014年、フランスの高校生からこう質問された。
  「本当に福島に人は住んでいるのか」
  確かに、原発周辺の地域は人が戻っていないが、小野寺さんが住む福島市内も沿岸部のいわき市も、郡山市も、そこで暮らしている人たちがいる。
  「その高校生は無邪気に聞いている。だからこそ問題は根深い。広島や長崎と同じように、福島の高校生が成長して海外に行くたび、同じ質問を投げかけられるのではないか。その時に大事なのは、しっかり根拠を持って、発信できる力をつけることだ」
そう考えた早野さんは、論文の英訳は手伝ったが、基本はすべて生徒たちに委ねた。

  会見後に記者からの質問に答える小野寺さん Satoru Ishido / BuzzFeed
「客観的な根拠と事実から判断する」
専門誌掲載にあたって、査読者から「なぜ2週間の記録で、年間の被曝量に換算できるのか」という質問があった。早野さん自身は答えなかった。「日本語でいいから、回答を考えてほしい」。小野寺さんにボールを投げた。
  小野寺さんの回答はこうだ。「高校生がデータをとった2週間は、朝起きて、登校し、授業を受けて下校するという高校生の基本的な生活を送っているときに計測したもの。1年間で換算しても問題はない」
小野寺さんは、論文執筆を通して学んだことがある。
「計測の結果、線量が高かったとしても、公表していました。データは計測するだけでなく、公表して、みんなで考える。リスクがあれば、それを回避する方法を考えればいい。客観的な根拠と事実に基づいて、判断することが大事なのだと思います」

  「伝統になってほしい」
  
  震災発生時、中学1年だった小野寺さんは一時的に親族を頼って関東に避難した。父親の指示で、室内でも放射線量の低い場所で生活していたという。その頃、早野さんはTwitterで原発事故や放射線について発信を続けていた。来年には定年を迎える。
  もうすぐ震災から5年。取材の合間に「福島高校の伝統になるといいな」と早野さんがつぶやいた。
「科学の方法をつかって考えること、福島から情報を発信すること。高校生から考えること」。それが早野さんが願う「伝統」だ。

  菅なんか、こうした高校生の気持ちをどう考えるのでしょうか。と言うか、自分のことしか興味がないのでしょうね。

どうにかならないものか!


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