年末の2017年12月06日、第1266回の「【日いづる 国より】<最終回>」で、中山恭子さんの番組が終わるのに驚かされましたが、水島さんが約束してくれていた新しい番組が始まったようです。
新番組【夢を紡いで】の最初のゲストは西部さんでした。学生運動を止めて以後のパチンコやチンちろりんの話も興味深いものがあります。
それで終わらなかったのが並の人間じゃなかったということでしょう。
これから、どんなゲストを迎えて興味深い話が聞けるか楽しみです。
それにしても、香川の恥玉木の希望の党からの離脱は何時なのでしょうか。それとも、希望の党のバカ共に教育して考えをかえさせることが出きるのでしょうか。
せめて、半分くらいの目を覚まさせて新党を立ち上げてもらいたいものです。
なんて、呑気なことを書いていたら西部さんが亡くなられたそうです。それも入水自殺。何となく、何時もと違って、転向後の生活や亡くなられた奥さんの話題などだったので、やはり、もう覚悟されていたのでしょう。
何時死んでも良いと思いながらも、自殺はしたくない私とは覚悟が違うようです。所詮、凡人は凡人のようです。
産経ニュースより 2018.1.21
【西部邁さん死去】「俺は本当に死ぬつもりなんだぞ」 妻の死から思索深め…
「ウソじゃないぞ。俺は本当に死ぬつもりなんだぞ」-。21日に死去した西部邁さん(78)はここ数年、周囲にそう語っていた。平成26年の妻の死などによって自身の死への思索を深め、著作などでもしばしば言及していた。
昨年12月に刊行された最後の著書「保守の真髄(しんずい)」の中で、西部さんは「自然死と呼ばれているもののほとんどは、実は偽装」だとし、その実態は「病院死」だと指摘。自身は「生の最期を他人に命令されたり弄(いじ)り回されたくない」とし「自裁死」を選択する可能性を示唆していた。
言論人として人気を集めたきっかけは、テレビ朝日の討論番組「朝まで生テレビ!」。「保守」を思想レベルまで引き上げた知性は、左右を問わず多くの知識人の尊敬を集めた。
知人らによると、東京・新宿で、酒を飲みながら知識人らと語り合うのが大好きだった。ケンカや後輩への説教もしばしばだったが、相手を後からなだめたり、後日、電話で酒場に誘ったり。優しさと人なつっこさもあった。たばこもこよなく愛し、「思考の道具」と言ってはばからなかった。
親米の論客からは「反米」と批判されたが、最大の問題意識は独立の精神を失い、米国頼みになった日本人に向いていた。いつも「今の日本人は…」と憤りを語っていた。
宮崎さんが、最後の本について書いてくれています。
宮崎正弘の国際ニュース・ 早読みより 平成30年(2018)1月22日(月曜日) 通巻第5587号
西部遭氏、入水
氏は予告通り、遺言通りに冥界へ旅立った
予期はしていた。なにしろ遺作のなかで、自死について自ら語っているからである。
弔辞の替わりに以下、拙文(小誌に書いた書評)を再録して、追想に替えたい。(1)に関しては、1月7日付けで、直後に西部氏から私信をいただいているが、プライベートなことなので公開しない。
(1)
たしかに現代日本は価値紊乱、絶望へ向かって暴走している
希望がない日本にスマホというバカ製造機がはびこっている
西部遭『保守の真髄 ――老酔狂で語る文明の紊乱』(講談社現代新書)
この本の帯に「大思想家ニシベ、最期の書」とあるのは意味深長にして、文明を揶揄しつつ自己をオブラートに包みこんで語る、自伝風の遺書なのか、これはうっかり書評しかねると思ったのは師走のことだった。
初読だけで、軽率に本書を論ずるには、おろそかにできない風刺が、あるいは隠れた警句があまりにも多すぎる上に、現代日本への絶望が随所に、その行間からもあふれ出している。西部氏がいつも常用するオルテガは一ケ所だけで、今度はシュペングラーやニーチェの登場箇所が多い。
やはり、うっかり書評をできないと二度思った。
そこで時間をおいて読み返して、あらためて書評に挑んだが、何かためらいがあるのだ。
これは遺書にするつもりなのか、それとも西部氏のことだから、別の企てを描いて遺書に仮託した文明批評なのか、躊躇がつづくばかりなのである。
かくして評者(宮崎)、この書全体に流れる、氏のただならぬ絶望感を論ずる試みをやめた。それは読者各自の判断にお任せした方がよいだろう。…以下略
やはり、奥さんに先立たれたことが堪えたのじゃないでしょうか。所詮男は奥さんの手の平の上で踊っているだけかも。日本は女性の天下。世界の女性とは違います。