団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★ベトナム人講演会で「殺してしまえ!」

2015年04月27日 | ベトナム大虐殺

  ベトナム戦争での虐殺の犠牲者を招待した韓国 を、第 675回の「壮大なブーメラン」で、どうしたんだろうと不思議に思いながら取り上げました。

  どうやら、ハン・ホング聖公会大教授が仕掛け人で、韓国の意思とはちがったようです。この教授結構筋金入りのベトナ ム戦争批判者のようです。

  ウィキペディアより

   韓 洪九

  韓洪九(ハン・ホング、한홍구、Han Hong-goo、1959年7月16日 - )は、大韓民国の聖公会大学校教養学部教授、歴史家でありリベラル派知識人の一人。自身のハンギョレ新聞連載コラムを書籍化した『韓洪九の韓国現代史』な どの著作がある。

  …中略
 
  ベトナム戦争派兵問題

  韓は朴大統領のベトナム戦争派兵問題に対しては特に手厳しい。彼は自著『韓洪九の韓国現代史』でベトナム戦争に対し 冷戦下の代理戦争としての側面より もアメリカの植民地解放運動抑圧としての面を重視し、日本による侵略と植民地支配に苦しんだ韓国の近代史と重ね合わせな がら、朴大統領を批判している。ベ トナム戦争における韓国軍の虐殺、婦女レイプ問題の謝罪と補償を求める運動の指導者でもあり、2001年には金大中大統 領(当時)のベトナム大統領への謝 罪と補償を引き出すなど一定程度の成果を挙げた。[1]しかし韓自身はこの結果を不充分とし、韓国民全てがベトナム人に 対して犯した罪悪を自覚するまでこ の問題は終わらないと述べている。また『韓洪九の韓国現代史』日本語版序文では、自身がこの問題に関わることを通じて、 日本による韓国植民地支配とそこで 起こった悲劇、韓国軍事独裁政権の圧政とベトナム人虐殺などといった罪悪は偏狭な民族主義(反日/嫌韓)によってではな く、人類共通の民主主義の基準に依 り裁かれるべきだと悟ったと記し、偏狭な反日意識を脱そうとする切っ掛けとなったことを述べている。…以下略

  ベトナム戦争での韓国の行状を批判しているので、公平な人かなと思ったら、日本に対しても植民地支配などと間違った 批判をしているようです。
  いずれにしても、韓国で、これだけのことをやれば、命も危ないのじゃないでしょうか。

  案の定ベトナム戦争の退役軍人が反発しているようです。

   NEWSポストセブンよ り   2015.04.22

   韓 国の枯葉剤戦友会 ベトナム人講演会で「殺してしまえ!」

   迷彩服を着こんだ数十人の中高年男性の団体が4月9日、韓国・大邱の慶北大キャンパスに集い、次々と怒 声をあげていた。ベトナム戦争の退役軍人団体「枯葉剤戦友会(大韓民国枯葉剤後遺症戦友会)」である。

   団体の名称からはベトナムで枯葉剤を撒いた米軍への批判デモを想像させるが、怒りの矛先は韓国軍による民間人への暴行・虐殺の被害を受けたベトナム人の 講演会に向けられていた。現地紙記者が語る。

  「講演会の主催者側に対して『放っておいていいのか。殺してしまえ!』という罵声や開催を許可した大学当局に向けて『学長は辞任しろ!』といった怒号が飛 び交って、辺りは騒然としていました」

   本誌は昨年4月、3号にわたって「韓国軍はベトナム戦争で何をしたか」をレポートした。ベトコン狩りの名のもとに各地の農村を襲って村民を虐殺し、若い 女性を強姦して殺害するなどの蛮行が繰り返された。民間人犠牲者は9000人にのぼると推計されるが、この事実は韓国社 会で長く「タブー」とされてきた。

   今年はベトナム戦争終結から40年にあたる。そのタイミングで韓国軍による虐殺の生存者が生き証人とし て初めて訪韓したのだ。訪韓したのはグエン・タン・ラン氏(63)とグエン・ティ・タン氏(54)の2人。

   ラン氏は1966年2月15日、韓国陸軍「猛虎部隊」襲撃で65人が犠牲になったタイビン村事件の生き 残りの男性である。この村では約1か月で1000人以上の村民が殺害された。

   韓国のリベラル紙『ハンギョレ』によればその日、ラン氏は防空壕に隠れていたが、猛虎部隊に見つかって 引きずり出された。「20世帯あまりの住民が 集められ、一人の軍人の号令とともに四方から銃弾が飛んできて手榴弾が投げられた」という。母親は下半身のない死体で発 見され、妹は頭に重傷を負い、数時 間後に死亡した。

   タン氏は1968年2月12日、韓国軍によって住民74人が犠牲になったフォンニ・フォンヤット村の生 き残りの女性で、虐殺により家族5人を失い、自らも腹部に銃弾を受けた。

  女性や子供にも容赦しなかった韓国軍による残虐行為の告発を枯葉剤戦友会は妨害した。ベトナム戦争で米軍が散布した 枯葉剤の被害を受けた退役軍人を主体とする同団体の会員数は2011年時点で約13万人。在韓ジャーナリスト・藤原修平 氏が語る。

   「団体のホームページを見ると、ベトナム戦争は『反共の正義の戦いであった』と位置づけられています。また参戦により約10億ドルの外貨を獲得し、経済 成長の礎を築いたと考えられている。彼らにとって今回の被害者はその神聖な戦争を冒涜する存在であり、許せないというこ となのでしょう」

   枯葉剤戦友会は2013年5月、ソウルで安倍晋三・首相と橋下徹・大阪市長の顔写真や名前が印刷された 垂れ幕を燃やし、両氏の慰安婦関連発言に抗議していた。

   日本には「戦争被害者である慰安婦の声を聞け」といいながら、ベトナムでの残虐行為は隠蔽し、「被害者 は何も語るな」という矛盾してきた韓国の姿勢を象徴する団体なのである。  ※週刊ポスト2015年5月1日号 

  韓国には碌な団体がないですね。自分たちの被害は針小棒大に言い募るが、自分たちがやったことは一切認めず、相手を 非難するだけです。
  
  しかし、この件はもっと世界に広めるべきですね。こんな絶好のチャンスを活かさない手はないですが、相変わらず、日 本政府も外務省も何の動きも無いようです。本当に、日本の名誉を挽回する気持ちがあるのでしょうか。

  というか、マスコミだって、取り上げたのはこのポストだけじゃないでしょうか。やはり、反日マスコミを一掃すること が急がれます。


辛抱できなかった朝日

2015年04月27日 | 朝日新聞

  昨日、「安 倍総理大臣スピーチ」で、朝日が攻めあぐねているようですが、どうせすぐに非難を始めるだろうからその動き に注目と書いたら、何のことはない直に始めました。
  本当に、日本が嫌いなのでしょうね。どうやっても、日本を叩きたくて辛抱できないようです。

  朝日新 聞デジタ ルより  2015年4月23日

   社説 70 年談話へ―未来への土台を崩すな

  「未来への土台は、過去と断絶したものではありえない」。安倍首相は、自らのこの言葉を忘れるべきではない。

  アジア・アフリカ会議(バンドン会議)60周年首脳会議での安倍首相のきのうの演説は、肩すかしに終わった。

  首相は、60年前に採択された「平和10原則」の一つである「侵略行為の抑制」を引用し、「この原則を、日本は先の 大戦の深い 反省とともに、いかなる時でも守り抜く国であろうと誓った」と述べるにとどめた。

  10年前の会議では、小泉首相が戦後50年の村山談話を踏襲し、「わが国はかつて植民地支配と侵略によって、アジア 諸国の人々 に対して多大の損害と苦痛を与えた」と表明。この表現はそのまま戦後60年談話に生かされた。

  きのうの首相演説は、歴史認識の表明に主眼があったわけではない。ただ、10年前の経緯もあり、安倍氏が日本のかつ ての過ちに どのように触れるのか、来週の米議会での演説とともに注目を集めていた。

  首相は会議に発つ前夜のテレビで、村山談話について「引き継いでいくと言っている以上、もう一度書く必要はないだろ う」と述 べ、戦後70年の安倍談話には「植民地支配と侵略」「おわび」などは盛り込まないことを示唆した。きのうの演説はこれに沿った内 容だ。

  この考えには同意できない。

  「侵略の定義は定まっていない」といった言動から、首相は村山談話の歴史観を本心では否定したいのではと、アジアや 欧米で疑念 を持たれている。

  引き継いでいるからいいだろうとやり過ごせば、疑念は確信に変わるだろう。表立って批判されなくとも、国際社会にお ける信頼や 敬意は損なわれる。

  それがいったいだれの利益になるというのか。

  一部の政治家が侵略を否定するような発言を繰り返すなか、村山談話は国際的に高く評価されてきた。その後のすべての 首相が引き 継ぎ、日本外交の基礎となった。率直に過去に向き合う姿勢が、「未来への土台」となったのだ。それをわざわざ崩す愚を犯す必要は ない。

  首相はきのうの演説後、中国の習近平主席と5カ月ぶりに会談した。両国関係を発展させ、アジアや世界の安定と繁栄に 貢献をして いくことで一致したという。歓迎すべき流れだ。

  そうであればなおさら、首相はごまかしのない態度で過去に向き合う必要がある。「植民地支配と侵略」「おわび」を避 けては通れ ない。

   
    中・韓との「未来への土台」は国交断絶しかないのですから、本当は、もっと本当の歴史を語り断絶宣言をしても良 いくらいなのですが、それは、今で なくても、もうそこまで来ている中・韓の崩壊を待ては、敢えて手を下すこともないと安倍さんは考えているのかもしれませ んね。もちろん、アメリカも刺激し ないようにとの思惑も絡んでいるのでしょう。
  夏の談話発表までに、余命3年作戦で動きが出てくれば面白いのですが、そうは上手く行かないでしょうか。いずれにし ても、中・韓との国交断絶で日本の繁栄は約束されたようなものです。何とも、待ち遠しい。
  
  それにしても、朝日は、中・韓に発破をかけられたのか、本当に辛抱が足らないですね。中・韓と一緒に壊滅してもらい たいものです。それも、実現しそうな気がします。

  安倍首相の演説の動画を早くも上げてくれていました。

   


★公職追放

2015年04月27日 | 日本再生

  日本の大学が戦後GHQの工作で左翼のやり放 題になったことは、今や、ネットでは多くの人が知っているでしょう。そういう私も、気が付いたのはもしかしたらネットか らだったのかもしれません。

  しかしながら、その詳細については想像するだけで、実際にどうであったのかは余り知識はありませんでした。

  草莽崛起がそのあたりを詳しく書いてくれています。かなり分量があるので、全文は、是非、リンク元で読んでくださ い。その酷さが良く分かります。
  GHQも、よくもここまでやったと思いますが、それで復活した左翼も酷いものです。

  草莽崛起ー PRIDE OF JAPANより  2015/04/21

  GHQ の命令によって国家の中枢となるべき20万人以上の日本人が、戦争協力者ということで公職追放ー7年後に廃止

  今日は何の日 4月21日 1952年 - 日本で公職追放令廃止。最後まで追放解除にならなかった5,700人の公職追放が解除。

   日本が武装解除を行った後、アメリカ占領軍はポツダム宣言が「有条件条約」であることを無視し、無条件降伏したと主張して勝手に 振る舞うようになった。

   占領政策はほとんどすべてポツダム宣言違反であり、国際法に沿わないことが行われたのである。そしてそのことが日本に”敗戦利得 者”を生んだことを忘れてはならない。

   その占領政策の一つが公職追放令だった。

  占領軍はまず、ミズーリ号での休戦協定調印式から約1ヶ月後の昭和20年(1945)10月4日、「政治的市民的宗 教的自由に対する制限の撤廃に関する覚書」を発表し、内務大臣、警察幹部、特高警察全員の罷免と再任用の禁止を指示し た。

  これを見てもわかるように、最初に占領軍が行ったことは戦前の左翼を押さえていた機関に属する人を、一挙に追放する ことだった。
これが占領軍が一番最初にやりたかったことなのだ。左翼を押さえた期間を解体することが、占領軍民生局の第一にやりた かったこと だった。なぜならルーズベルトの周辺、とりわけ占領軍民生局は左翼の巣であったからだ。

   終戦直後、アメリカ側の定めたプレスコードによって、完全なる言論統制が敷かれ、占領軍の批判は一切で きなくなっ た。

    戦後の占領下、GHQの命令によって国家の中枢となるべき20万人以上の日本人が、戦争協力者という名前を冠せられ 公職から追放された。

  戦前、少しでも重要なポストに就いていた者であれば、戦後は公職についてはいけないという指令だった。これは実業界 にも波及した が、最も悪い影響を受けたのは学界、言論界だった。

  ここで重要なのは学校、ジャーナリズムに対する公職追放の徹底だった。公職追放令の中心になった人は、ハーバード・ ノーマン である。

   戦前、帝国大学は「天皇の大学」だったから、左翼系の学者やコミンテルンに通じているような人たちは辞めさせられ た。この人たちが、敗戦日本における公職追放令の後、真っ先に戻ってきたのである。そこに元々いた帝国大学教授の多くは 公職追放 になってしまった。

  そして、後に新しくできた大学の教授を排出するような日本の一流大学、旧帝国大学や一橋大学の総長・学長は左翼系に なった。戦前 ならば、天皇陛下の大学にふさわしくないと批判された人たちである。

   彼らのような敗戦利得者が日本に及ぼした影響は大きい。

  その結果空いた重要なポストを戦前の左翼およびそのシンパが占めることになった。彼らが占めた地位は、大学教授や ジャーナリスト など、長続きするような地位だった。

    東大、京大、一橋大など、日本の主要大学の総長、学部長クラスの多くが、占領軍の民生局による公職追放令によって空 いた席にポストが与えられた。こうして大学社会は、多くの教授たちを追放した挙句、完全に左翼、共産主義者たちの手に握 られてし まった。

  彼らが戦後、日本中に数多く作られた大学や短大に教え子を輩出して教授職に育て、かつ、この人たちが作った試験問題 で公務員を 作った。

  そうした教授連中とその弟子たちがアカデミズムやマスコミ界の牙城に君臨し、教壇の上から、またマスコミによって 「南京大虐殺」 などのデマが広まってしまった。日本の主要大学のトップの多くは左翼が居座り、以後もそれがずっと続くことになる。

    彼らが教えた主要大学の卒業生は優秀だから、高級官僚になり、有力な新聞社や有力な出版社にもいっぱい入った。また 高校や中学校や小学校の教師もその系統の学者に教育された。

  このような現象は、言論界でも大新聞社においても同様に起こった。戦前、骨のある記事を書いたような人たちは皆、公 職追放令に よって切られてしまったのだ。…以下略

  これだけのことをされて、日本が曲がりなりにも今まで続いてきたことはもしかしたら奇跡じゃないでしょうか。多分、 他の国だったら、共産国になっていたか、崩壊したか。
  それだけ、戦前の人達が凄かったと言えそうです。今の、堕落した日本人では到底無理だったのじゃないでしょうか。
  そうした中で、復興に奮闘してくれた人たちが80年代になって一線を退きだしてからの日本の堕落振りを見るとそれは 明らかでしょう。
  やはり、日本の復活は、左翼・在日の一掃と日本人の再教育が絶対に必要ですね。日本人が日本人を取り戻して初めて再 生が成ると言うものです。それさえできれば、後は、日本の時代でしょう。

何とか実現してもらいたい!