日本の最近の政治を見ていると国民の命より外国人のそれを優遇しているようにしか思えません。
それも何度も書きましたが、為政者達日本を率いる人達が正しい国家観も歴史観も持たない奴等が殆どであることが大きな原因と言えるでしょう。
つまりは、シラス国という究極の民主主義を造り上げたことを全く教えられていないからと言えるでしょう。
そうして育てられたエリート達は完全に洗脳され日本人嫌いになっているのですから日本人の為に働くなんてことは考えもしないのでしょう。
まずは、ここから買えなければ日本の再生は有り得ないでしょう。
その日本のシラス国の素晴らしさを関ヶ原の戦いの出来事でねずさんが教えてくれています。
何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。
ねずさんの学ぼう日本より 2022/05/09
藤堂仁右衛門と 湯浅五助
・・・略
日本は、天皇のシラス国です。
それは、天皇を絶対権力者として崇(あが)める政治体制ではありません。
まして、天皇教でもありません。
国家最高権威として、政治権力を持たず、また政治権力よりも上位の御存在である天皇が、民衆を「おほみたから」とする。
そうすることで、権力の最大の使命を「民衆が豊かに安全に安心して暮らせるようにする」とした、これは究極の民主主義といえ る国家体制です。
それを日本は、7世紀という、いまから1300年もの昔に実現しています。
権力を持つ人が偉い人なのではありません。
権力に媚びて自己の利益を図ることが社会常識でもありません。
どこまでも、民衆の仕合(しあわ)せを願って行動することが、政治権力や行政や司法の役割とする。
そのために、権力よりも上位に天皇という存在を戴(いただ)き、その天皇によって民衆を「至上の宝」としていただく。
これは、全世界が歴史を通じて築くことができなかった、そして日本だけが築くことができた究極の民主主義です。
こうして保護された日本の庶民は、ただ自分が生き残るために、嘘や虚飾に走るのではなく、みずからの霊(ひ)に恥じない生き 方を追求することを大切に生きることができました。
そして人々がそういう生き方に、まさに「みをつくす」ことができる社会が構築されたことによって、我が国は、きわめて民度の 高い社会を築き上げることができたのです。
藤堂仁右衛門の行動も、これを赦(ゆる)した家康の行動も、ここに原点があります。
家康の家臣たちにとっては、勝利の確定のために大谷吉継の首は欠かせないものです。
けれど、組織の頂点にある家康にとっては、ひとりひとりが誇りを持って生きることができる組織そのものが大事なのです。
これが日本の形の根本です。
今の日本人にこの心が残っていると信じたいが、見えるものは逆のように思えます。何としても、この心を取り戻したいものです。