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団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★ネアンデルタール人とホモサビエンスは交配していた

2022年10月26日 | 国体・皇室・シラス

 

ネアンデルタール人の血が日本人に混じっているとねずさんも教えてくれていました。
  今度のノーベル賞でそんな話題が又騒がれているようです。

  宮崎さんも取り上げてくれています。何と、神武天皇と関連付けて想像を膨らませているようです。
  何だか、日本の歴史がどんどん面白くなってきたようです。

  「宮崎正弘の国際情勢解題」より   令和四年(2022)10月20日(木曜日)弐 通巻第7498号

  神代のウガヤフキアエズの子が人代のカムヤマトイワレビコに「突然変異」
  ネアンデルタール人とホモサビエンスは交配していた

 ロシア南部アルタイ山脈の洞窟遺跡(59000年ほど前の洞窟)から出土した13人のネアンデルタール人の骨や歯からDNAを抽出し解読したところ、2人は父と十代の娘であることが分かった。
https://www.nature.com/articles/d41586-022-03005-y
 (英悟原文は上記サイト、英科学誌『ネーチャー』、この記事は32ドル)

 本年度のノーベル賞受賞のペーポ博士(独マックスプランク研究所)らの国際研究チームが英科学誌『ネーチャー』(10月20日号)に発表した。
『ネーチャー』といえば、世界的な科学生物医学雑誌で、日本人では南方熊楠が初めて寄稿し合計51本が掲載された(熊楠の英悟論文集も翻訳出版されている)。

 ペーポ論文では10歳前後の男児と成人女性は孫と祖母か、或いは甥、叔母の関係、またはいとこ同士の関係とみられる。ネアンデルタール人のDNA解読で家族や親族の関係が明らかになるのは初めてのことだ。
 ペーボ博士と言えば、ネアンデルタール人の細胞核DNAを初めて解読し、「ホモサピエンスとネアンデルタール人は交接していた」と画期的な論文で世界的に知られる。
同書の日本語訳もベストセラーとなった。くわえてペーポ博士は近縁のデニソワ人を発見した。

 さて、このニュースで直感的に連想したのだ。
神代のウガヤフキアエズの子が人代のカムヤマトイワレビコに突然変異したのは、ネアンデルタール人とホモサビエンスは交配していたとする仮説が正しければ謎は解ける。

 『古事記』では、この箇所はじつに神秘的に描かれている。
 神武天皇(カムヤマトイワレビコ)の母親となる「豊玉毘売姫、自ら参出て白ししく、妾は已に妊身めるを、今産む時に臨りぬ。こを念ふに、天つ神の御子は、海原に生むべからず。故、参出到つとまをしき(中略)。海辺の波限に鵜の羽を萱草にして、産屋をつくりき」

 そして豊玉毘売姫は夫(ヒコホホデモノミコト)に「お産の現場を見るな」と要請したが、夫は見てしまった。
 「八尋鮫になりて匍匐ひ委蛇(もこよ)ひき」。
 鮫の化身だった。見られて恥を知る母親はウガヤフキアエズをうみ置いて海原へ去った。

 そのウガヤフキアエズ(天津日高日子波限建鵜萱草葺不合命)が玉依毘売命と結婚し、イツセ、イナヒ、ミケヌノ、そしてカムヤマトイワレビコの四兄弟を産 んだ。イツゼは神武東征に同行し紀国亀山で戦死し、イナヒ(稲氷)とミケヌノ(御毛沼)は『古事記』では次兄が「波の穂を跳みて常世国は渡りました。稲イ ナヒは海原に入りましき」となる。
 生き残ったカムヤマトイワレビコが神武天皇として樫原に即位した。

 この箇所を『日本書紀』でみると、過程はほぼ同じであり、肝心の神が人になった経過は、ウガヤフキアエズの母親が鮫の化身で大海原へ還ったという物語が、日本人の祖先誕生。すなわち天皇誕生という風に結びつけられている。

 日本に明石原人、中国に北京原人がいた。ネアンデルタール以前だろう。現存する原人の骨はインドネシアのジャワ原人だが、学説はや山のように存在するにしても、ホモサピエンスに突然変異したのではなく、交接したという大胆な仮説が、生き生きとしてこないだろうか?

 人類の歴史の長さは想像以上のものがあるりょうです。神話もどうやら深い真実が含まれているようです。
  宮崎さんやねずさんが神話の解説をしてくれているのをどこか夢物語のように捉えていましたがもっと真剣に考えるべきなのでしょう。
  それにしても、何とも凄い日本に改めて驚かされます。


★日本を取り戻せ 大江匡房の延久の善政

2022年10月12日 | 国体・皇室・シラス

 今日のねずさんが教えてくれている大江匡房の延久の善政は全く知りませんでした。 
  何と、中・高で全く教えてくれないそうです。それで全く知らなかったのかもしれません。
  それにしても、日本の教育はここまで狂っているんですね。それを改正しようともしない政治の劣化も酷いものです。

  と言うか、戦後のこうした教育で育った人達が、政・官・財・マスメディアの偉いさんになっているのですからどうにもならないようです。
  こういう日本を導くべき人達はネットもしないのでしょうか。それとも、今の体勢を壊すのは自分の利得権益を失うことになるのが嫌なのでしょうか。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より      2022/10/05  

  日本を取り戻せ 大江匡房の延久の善政   

  ・・・略

 たいへん不思議なことに、昨今の中学や高校では歴史の授業で、この「延久の善政」を教えません。
教科書だけでなく、副読本にさえ「延久の善政」は書かれていないことが多いようです。
なぜなら、この「延久の善政」に触れることは、当時の日本社会が理想とし、明治の大日本帝国憲法が理想として「シラス国」の概念を説かなければ、延久の改革が「なぜ善政と呼ばれたか」の説明がつかなくなるからです。

 大江匡房はまさに碩学と呼べる人です。
その人およびその思想、あるいは彼の理想としたものは、同じく幕末から明治にかけての碩学・井上毅(いのうえこわし)にたいへんよく似ています。
井上毅は、大日本帝国憲法を起草し、また教育勅語、学制序文などを起草した人ですが、彼の理想もまた「シラス国」の再現にありました。

 日本の歴史は、7世紀の大改革(大化の改新)、19世紀の大改革(明治維新)がキーポイントとなっていますが、同時にこれを再構築しようとした1069年の「延久の善政」も、わたしたちにとって、忘れてならない大改革であったのです。

 高砂の尾の上の桜咲きにけり
 外山のかすみ立たずもあらなむ

 実に、深い歌だと思います。



  それにしてもアメリカは日本を研究誌尽くしていたようです。何を教えなければ日本が終わるかをここまで掴んでいたことに驚かされます。
  そして、それを利得の為に受け入れる日本人の情けなさ。やはり、日本人の目覚めを待つしかないのでしょう。
  果たして、日本人は目覚めるのでしょうか。


★シラス国を再興した大化の改新

2022年10月11日 | 国体・皇室・シラス

 シラス国を知ったのはねずさんのお陰であることは何度も書いてきました。こんな日本の根幹を教えない戦後教育には怒りしかない。
  そのシラス国を再興したのが大化の改新だったとねずさんが書いてくれています。これも全く知りませんでした。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より      2022/10/04  

  シラス国を再興した大化の改新    

  ・・・略
  つまり大化の改新は、
「天皇を中心とする中央集権国家の建設を目指した」のではないのです。
「天皇を中心とするシラス国の復活を実行した」のです。
その証拠は、大化の改新の翌年に打ち出された改新の基本方針の中に明確に書かれています。

 1 公地・公民とし、豪族が私的に私有していた土地や民衆を天皇の直轄に戻す。
 2 そのために班田収授法(はんでんしゅうじゅのほう)によって戸籍と、土地の登記簿をつくる。
 3 全国を国と郡ぐんに分ける。
 4 租庸調(そようちょう)による税制を引き、国が税を直接取り立てる。

 要するに1〜4までを総括すれば、土地や領民に関して、豪族の支配を認めず、すべてを天皇の統治という大本の状態に戻すと明確に述べています。
このことを戦後の学者や学校の教科書などでは、「だから天皇を中心とした中央集権国家にしたのだ」と説いているわけですが、そこが違うのです。

 本当に何度も繰り返しになりますが、大化の改新の際の前も後も、天皇には政治の直接権力はありません。
政治権力は、あくまで天皇の下にある朝廷の、それも太政官にすべての権限があって、天皇は、その太政官に政治的権威を与える役割です。
つまり天皇は、会社にたとえればオーナーであって、実質的な会社の経営(製造、営業、経理、賞罰、軍事)等の一切は、太政官という名前の社長に全権を委任(親任)しているのです。
これが我が国の天皇が、世界の王国などと異なる最大の違いです。

 大化の改新は孝徳天皇の時代に行われたことですが、すべてを成し遂げたあと、これを推進した中大兄皇子は、孝徳天皇から数えて二代後に天智天皇となられています。
つまり天智天皇は、皇太子殿下のときに大化の改新を断行し、それが一段落してから、政治の上の機構である天皇となられたわけです。
その天智天皇の御製が、実は百人一首の一番歌になっています。

 秋の田のかりほの庵の苫をあらみ
 わが衣手は露にぬれつつ

 この御製は、天智天皇が、天皇自らが農事に精を出されているお姿を詠んだ歌です。
君民一体となって、みんなが豊かに暮らして行く。
それがシラス国である、ということです。



  それにしてもシラス国を造り上げた日本の素晴らしさには感動しかない。何とかして、このシラス国を再生したいものです。
  何と言っても権威と権力の分離という最高の民主主義はこれからの世界に必要なのですから。


★十七条憲法と治(し)らす

2022年10月10日 | 国体・皇室・シラス

 ねずさんのお陰で私のようなバカもシラスを知ることが出来、日本の素晴らしさに目覚めました。
  とは言え、反日売国左翼・在日・マスメディアに未だに洗脳されている人達がまだまだ体勢を占めているようです。
  この体勢が崩れて大半の日本人が本当の日本の歴史をしるようになれば日本再生も見えて来るでしょう。

  今回もそんな素晴らしい日本をねずさんが教えてくれています。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より      2022/10/02  
   
  十七条憲法と治(し)らす

  ・・・略

 人は、失敗を重ねることで成長するのです。
だからこそ、一度の失敗をあげつらって地位ある人の足をひっぱるのではなく、「以礼為本(礼をもって本(もと)とせよ)」というのです。

 五番目の神様は天之常立神(あめのとこたちのかみ)です。
天の常に立つところです。そこに十七条憲法は「絶餮棄欲」を置いています。
「貪りを絶ち欲を捨てよ」という意味です。
人の上に立つもの、政治や行政の長となる者は、まずは自己の欲心を捨てよというのです。

 以下、創世の神々は、伊耶那岐神(いさなきのかみ)、伊耶那美神(いさなみのかみ)までで、合計17柱です。
そして十七条憲法も十七条あって、そのひとつひとつの条文が創世の神々と対応しています。
6番目以降まで解説すると長くなりますので、別な回にお話します。

 日本は、神代の昔から高い文化性を保ち、その高い文化性を国の根幹にしてきました。
日本が世界に類例のないほどの高い民度を保つことができたのは、そこに歴史があるからです。
その根幹にあるもの。それが「シラス(知らす、Shirasu)」です。



  それにしても、この素晴らしい日本を教えない日本の教育やマスメディアの改革を急がないと本当に日本は消滅するのじゃないでしょうか。
  もし、日本が消滅すれば世界も終わりを迎えると考えるのは考え過ぎでしょうか。
  そんなことにさせないためにも日本人は目覚めなければなりません。


★究極の民主主義

2022年10月08日 | 国体・皇室・シラス

 民主主義は戦争に負けたお陰でアメリカに無理やり押し付けられたものと戦後教育で洗脳されていたのでねずさんにシラス国を教えて貰った時には本当に驚きました。
  まさにGHQの思惑通りの考えを信じていました。その嘘に気が付いたのがねずさんのお陰であったことに本当に感謝するしかない。

  今回も、その究極の民主主義を書いてくれています。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

   ねずさんの学ぼう日本より      2022/09/30
  
  究極の民主主義

  ・・・略

 日本は、はるか上古の昔に国家の最高権威と政治権力を立て分け、政治権力者は、国家の最高権威によって親任されるという形を生み出しました。
国家の最高権威は天皇です。
そして日本国家の領土領民のすべては、天皇の「たから」です。
だから「おおみたから」です。
そして権力者は、その天皇の「おおみたから」たちが、安全に安心して豊かに暮らしていけるようにするための存在とされたのです。

 このことを民衆の側から見ると、むしろ積極的に天皇の権威のもとにあることによって、権力者からの自由を得ることになります。
天皇という存在があるから、民衆は権力者の私物にならずに済んでいるのです。

 権力者が権威と権力の両方を持ち合わせていれば、それは選挙で選ばれようが世襲であろうが、権威と権力の両方を併せ持った時点で「ウシハク」統治者です。民衆を騙そうが、奪おうが思うがままです。
ところが民衆が最高権威のたからものであって、権力者は最高権威者から民衆を預かっているという立場となると、権力者は常に公正でなければならず、私心を持たずに民衆の安寧のために奉仕する役割となります。
これこそまさに「究極の民主主義」です。それがシラス統治です。

 日本の天皇を、西欧など大陸の王や皇帝と同じものであるかのようにいう人がいます。
全然違います。
西欧など大陸の王や皇帝は、絶対的権威であり、絶対的権力者です。
ところが日本の天皇は、神代の昔から続く万世一系のお血筋であり国家の最高権威ですが、権力者ではありません。
権力者よりも上位の存在です。
そして天皇という存在があることによって、民衆と権力者は人として対等な存在となり、民衆は権力者からの自由を得ているのです。

 そしてそのありがたさは、「なぜそうなのか」を誰もが知ることによって共有されなければならないことです。
だから「シラス」統治は、「知らす統治」でもあります。
それが上古の昔からの日本の原点です。



  それにしても、究極の民主主義を造り上げてきて先人の凄さには驚くと共に、その素晴らしい民主主義をアメリカに騙されて捨てたバカさ加減に今更ながら日本人のお人好しに呆れるばかりです。
  やはり、「いい加減に目を覚まさんかい、日本人! 」としか言いようがないですね。


★刑法と法治主義

2022年09月27日 | 国体・皇室・シラス

 大宝律令は教わりましたが、律が刑法で実際には無かったなんて全くしりませんでした。これも最初に教えてくれたのはねずさんでした。
  そして、その裏には明察功過という素晴らしい考えがあることを知りました。まさに現代と真逆の考え方です。
  確かに、監視社会のようで息苦しいところもあるでしょうが安心して暮らせる社会には到底叶わないでしょう。
  こんな政治を産み出していた日本の凄さを改めて思い知らされます。

  今回もそんな日本の素晴らしさを書いてくれています。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より      2022/09/19
  
  刑法と法治主義

  ・・・略

 奈良・平安時代には死刑が執行されなかったという話は、学校でも教わることですが、死刑が非人道的だから死刑を執行しなかったのではありません。
死刑の執行など起きないように、つまり重大犯罪が起きないように、総力をあげて犯罪を未然に防いでいたから、結果として死刑を執行する必要がなかったのです。

 この点、現代の日本は、奈良平安の昔の日本よりも、はるかに遅れた社会を営んでいると言わざるを得ません。
現に、日々重大犯罪が起きているのに、誰も責任をとりません。
国会で乱闘騒ぎがおき、女性議員が羽交い締めにして投げ飛ばされるという、明らかな暴力事件が起きても、責任はうやむやです。

 刑法はあるのに、犯罪を犯した者を取り締まり処罰するだけです。
刑法に書かれていなければ、明らかにそれが犯罪であっても、放置されます。
それが果たして、人々のための世の中といえるのか。
ここに法治主義の限界があります。

 道徳心を養い、権限と責任が明確であること。
それが実現できないのが法治主義だというのなら、法治主義は、極めて退廃的かつオクレタシステムと云わざるをえないのではないかと思います。

 冒頭に「なぜ我が国では律が広がらなかったのでしょうか」と問を投げさせていただきました。

 ここまでお読みになられた方には、もう答えは明らかであろうと思います。
「犯罪者に罰を与えるための律」は、犯罪そのものを抑止することに注力することによって、事実上、ほとんど利用価値がなかったからです。

 みなさまは、いかが思われるでしょうか。
Chinaのように、次々と起こる犯罪に厳罰をもって対処する国と、
昔の日本のように、世を挙げて犯罪そのものを発生させない国と、
どちらが安心して住める、住みよい国といえるのでしょうか。

 前者は、悪いことをする人にとっては、捕まりさえしなければ天国です。
けれど、一般の普通の人にとっては住みにくい国です。
後者は、道徳に縛られますから、一般の人々にとって、ちょっと窮屈かもしれません。
けれど、弱い者ほど安心して住める国です。

 これは価値観の問題かもしれません。
けれど私は、たとえ少々窮屈であったとしても、後者の国に住みたいと思います。

 そしてこれがどういうことかといえば、すくなくとも私には、現代型法治主義よりも、日本の古くからのカタチである「明察功過」の方が、はるかに進歩した住みよい国であったように思えます。
ですから私達が、もっと進んだ未来を創造するなら、明察功過に法治をくわえた、新たな社会システムを構築していくこと。
そのことが私達日本人がご先祖に恥じない立派な国造りへの道であり、世界の民衆が望む政治の未来なのではないかと思います。



  やはり明察功過は素晴らしいですね。こんなことを成し遂げていた日本の凄さには驚かされます。
  それを知らずにここまで劣化してしまった今の日本を見て先人はどう思われているでしょうか。
  何とか、この理想の社会を取り戻したいものです。


★権力者による私的支配を拒否し続けてきた自由の民とは

2022年09月26日 | 国体・皇室・シラス

 ネットでねずさん達に出会い、正しい国家観と歴史観を少しでも理解出来たことこそが我が人生後半の最大の出来事でした。
  その中でも、やはり衝撃はシラス国でした。こんな国家の根幹を教えない教育で育った恐ろしさを思わずにはいられません。
  それを改正しようともしない政治の劣化には呆れるしかない。

  それを日本人に教える為に活動してくれているねずさんには感謝しかない。

  そのシラス国を今回も書いてくれています。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より      2022/09/18
  
  権力者による私的支配を拒否し続けてきた自由の民とは

  ・・・略

 いまでも多くの日本人は、道や電車で財布を拾えば、黙ってそのまま警察に遺失物として届け出をします。
一昔前の日本人なら、たとえば明治時代に日本にやってきたイザベラ・バードは、旅館に大切なものを置き忘れたとき、それを黙って日本人の馬子が届けてくれ て、謝礼を渡そうとしたけれど、馬子が決して謝礼を受け取ろうとしなかったことに、たいへんな驚きをもって、その事実を手記に遺しています。

 誰もが安心して食べられる社会が営まれていたからこそ、人々は個人の利益よりも、正直であることや、魂に恥じないことを大切にする社会を営むことができたのです。
外出するときに、家に鍵などかける必要など、毛ほども感じなかった時代は、ほんの半世紀前まで、日本ではあたりまえだったことです。

 英国のチャーチルは、
「民主主義は最悪の政治である。
 これまで試みられてきた、
 民主主義以外の
 全ての政治体制を除けばだが」
という有名な言葉を遺しました。

 なにも学校で習った民主主義だけが、最高の政治形態ではないのです。
そのことは世界に先駆けて民主主義を実現したとされる英国の首相が、そのとおりに語っている。

 日本には、上古の昔から続く、究極の民主主義があります。
それは、民をこそおほみたからとする、シラス統治です。
私は、小手先の憲法改正論以前に、私たち日本人が、もともと日本が持っていたこの究極の民主主義についての理解を、国民的常識にしていくことの必要性を強く感じます。

 そしてそれこそが、神々の望む日本の姿です。



  こんな素晴らしい国体を持ちながら国民に教えない教育は本当に狂っています。教育に携わっている人達は恥ずかしいとも思わないのでしょうか。
  と言うか、この人達こそそが正しい国家観も歴史観も教えられて来なかった代表と言えるでしょう。
  それだけにこの教育改正が進まないのでしょう。根本的な矛盾です。


★幕府もGHQも天皇を倒さなかった理由

2022年09月17日 | 国体・皇室・シラス

 ねずさんがシラスとウシハクという国体を造り上げた日本の素晴らしさを分かり易く解説してくれています。
  権威と権力を分離したこの仕組みの素晴らしさをまずは日本人が知り、世界に広げることこそが日本のやるべきことです。


  それにしても、この素晴らしい国体を教えない教育を何時まで放置しておくのでしょうか。
  ねずさんのお陰で目覚めた人も多くなってきたようですがまだまだ少ないのが現実でしょう。
  まずは、日本人を目覚めさせることが急がれます。


★エリザベス2世死去とは、国民に愛される王室の時代の終わり

2022年09月16日 | 国体・皇室・シラス

 エリザベス女王で支えられていた英王室の今後が女王の死去でどうなるかが心配されるようです。
  もう王室なんて時代じゃないのかもしれません。権威と権力を分離したシラス国日本もそれを理解していない国民が殆どなだけに安泰とは言えないのじゃないでしょうか。
  英国は王室が無くなっても殆ど影響無いでしょうが、日本はそんなものでは住まないというかやはり消滅でしょう。

 及川さんが解説してくれています。


  世界の王室が終われば、残るは日本の皇室だけということもありえるのかも。と言うか、日本の国体は何があっても守らなければならない。皇室が無くなれば日本の存在意義も無くなる。


★マッカーサーを心服させた昭和天皇

2022年09月04日 | 国体・皇室・シラス

 シラス国の日本に産まれた幸せをこれ程までに感じさせてくれる話はないのじゃないでしょうか。
  昭和天皇がマッカーサーに初めて会った時の話をねずさんが何度も取り上げてくれています。
  マッカーサーに一瞬で真実を理解させたのはやはり昭和天皇の凄さでしょう。これは世界のウシハクの指導者には出来ないことでしょう。これこそがシラス国の天皇だから出来ることなのです。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より      2022/08/28
  
  マッカーサーを心服させた昭和天皇

  ・・・略

 マッカーサーは驚きました。
世界中、どこの国の君主でも自分が助かりたいがために、平気で国民を見捨てて命乞いをし、その国から逃げてしまうのが、いわば常識です。
ところが陛下は、やれ軍閥が悪い、やれ財閥が悪いという当時のご時勢下にあって、「一切の責任はこの私にあります、絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処せられても」と淡々と仰せになられたのです。

 マッカーサーは、咥えていたマドロスパイプを、机に置きました。
続いて椅子から立ち上がりました。
そして陛下に近づくと、今度は陛下を抱くようにしてお掛けいただきました。さらに部下に、
「陛下は興奮しておいでのようだから、
 おコーヒーをさしあげるように」と命じました。

 マッカーサーは今度はまるで一臣下のように掛けていただいた陛下の前に立ちました。
そこで直立不動の姿勢をとりました。
「天皇とはこのようなものでありましたか!
 天皇とはこのようなものでありましたか!」
彼は、二度、この言葉を繰り返しました。そして、

「私も、日本人に生まれたかったです。
 陛下、ご不自由でございましょう。
 私に出来ますことがあれば、
 何なりとお申しつけ下さい」と言いました。

 陛下も、立ち上がられました。そして涙をポロポロと流しながら、
「命をかけて、閣下のお袖にすがっております。
 この私に何の望みがありましょうか。
 重ねて国民の衣食住の点のみに
 ご高配を賜りますように」と申されたのです。

 こののちマッカーサーは陛下を玄関まで伴い、自分の手で車の扉を開けて陛下をお見送りしました。
そしてあわてて階段を駆け上がると、これまでのGHQの方針を百八十度変更するあらたな命令を下しています。
このことがあったあとマッカーサーは、次のように発言しています。
「陛下は磁石だ。私の心を吸いつけた。」・・・中略

 その昭和天皇の辞世の御製です。

 やすらけき世を 祈りしも いまだならず
 くやしくもあるか きざしみゆれど

 この御製は昭和六十三年八月十五日に陛下が全国戦没者遺族に御下賜遊ばされたものです。
「安らかな世をずっと祈り続けたけれど、
 それはいまだなっていない。
 そのことが悔しい。
 きざしはみえているけれど、
 そこに手が届かない」
という意味と拝します。

 昭和天皇は崩御される直前に、「悔しい」と詠まれておいでなのです。
どこまでも国民のためを思うご生涯を遂げられた昭和天皇の思いに、わたしたちは日本国民として、ちゃんと答えているのでしょうか。



  日本は昭和天皇のお陰で復興出来たと言っても過言ではないでしょう。これこそがシラス国の力でしょう。


★乙巳の変はクーデターだが、背後の首謀者は誰だったのか?

2022年08月29日 | 国体・皇室・シラス

 乙巳の変(いっしのへん)なんて全く知りませんでした。というか読むことも出来ませんでした。あの中大兄皇子と藤原鎌足が蘇我入鹿を退治して大化の改新が始まったと教わってきたので、突然の変化に驚いたものです。
  日本の文化の凄さがどんどん解明されていますが、これも本当に驚かされます。

  そんな説を謎を説く本が出たようです。何時もの宮崎さんが書評で取り上げてくれています。
  真実はどこにあるのか分りませんが日本が素晴らしい歴史を持つことは間違いないでしょう。
  この素晴らしいシラス国を嫌う人達には是非目を覚ましてもらいたいものです。

  「宮崎正弘の国際情勢解題」より   令和四年(2022)8月17日(水曜日)弐 通巻第7433号

  書評  

 乙巳の変はクーデターだが、背後の首謀者は誰だったのか?
  乱の本当の狙いは違うところにあったのではないか?

 遠山美都男『新版 大化改新──乙巳の変の謎を解く』(中公新書)

 大化の改新を歴史教科書は必ず扱い、横暴を極めた蘇我一族を葬りさり、律令制度のあたらしい政治に向かうバネとなった改革だったと乙巳の変を肯定的に捉えている。
 主役は中大兄皇子と中臣鎌足、学問的なバックボーンが南淵請安だったとする学説も多い。これは蘇我氏を悪役とした日本書紀と藤原家家伝により、イメージが固定してしまったからだ。
とくに乙巳の変の現場の挿絵は蘇我入鹿の首が飛び、簾のなかにいた皇極天皇は驚き、陪席していた古人大兄皇子はさっと自宅へ逃げて門を閉ざした。この絵画は江戸時代になってから、住吉如慶と具慶の合作で談山神社所蔵の「多武峰縁起絵巻」。後世の後智恵で描かれている。
実際の暗殺現場は、特定されていない。
これまでの通説に対して、ふつふつと疑問がわいてくる。

 第一に殺害現場は本当に大極殿だったのか? 第二に三国(高句麗、新羅、百済)からの外交使節がならんでいた儀式の最中だったというのも怪しい。いや、外交儀礼はあったのか。
第三に息子の入鹿が討たれたのに、すぐ近くの甘樫丘の要塞のような豪邸にいた蘇我蝦夷はなぜ迅速に反撃しなかったのか? 軍勢は中大兄皇子側より多かった筈だ。

 第四は中大兄皇子側の軍事作戦立案は中臣鎌足ひとりだけだったのか。すぐに甘樫の丘から飛鳥側を挟んで対岸に位置する飛鳥寺に本陣を構え、蝦夷側に使いして投降を呼びかけた。この意表を突く戦略は誰が立案したのか。なぜ中大兄皇子の本陣は飛鳥寺だったのか?

 第五に皇位を継承した軽皇子(孝徳天皇)はいかなる役目を果たしたのか? なぜ中大兄皇子は皇位をすぐに継承できなかったのか? のちに天武天皇となる大海大兄皇子は、このとき何処で何をしていたのか?

 著者の遠山氏はこうした疑問点を整理し、まず暗殺場は殿中ではなく、門を閉鎖した中庭あたり、外交使節は難波周辺に滞在していたが新羅使は来ていなかった事実を述べる。
遠山説によれば、黒幕は軽皇子である。
蘇我蝦夷は情報を誰よりも早く掌握できる立場にありながら迅速な対応が取れなかったのは、入鹿との連絡が円滑に取れていなかったからだと評者(宮崎)は推定するが、すぐに反撃できないのは自軍の豪族等の動揺が激しいこともあった。
真ん前の飛鳥寺に古人大兄皇子が赴き、仏門に帰依すると武器を捨てたことを見たからだ。つまり蝦夷は古人を次期皇位継承の最有力とみて、大いに工作してき たのだから総てが無になった失望が大きかったのだ。後智恵で皇位が継げたのは軽皇子だから、彼が首謀者という論理展開になる。

戦後の歴史教育はでたらめな史観の横溢、神話否定、こうなると資料のない古代史は「一人一党」の世界となって、奇想天外な騎馬民族説がでたかと思えば、太安万侶は不比等だったとかいう梅原猛のチンドン屋、左翼の本山は網野善彦、永原慶二あたりか。
 近年、錯綜した歴史解釈もしだいに落ち着きを取り戻し、さすがに戦前の皇国史観的な天皇絶対を唱える論客はまれとなって論理的推測の論考が増えてきた。
 本書は、そうした流れの一冊で、客観的に精密に大化の改新の実像にせまる。当時の豪族間の力関係などの問題を提議している点も、有益な観点が多い。
 たしかに乙巳の変はクーデターだが、背後の首謀者は中大兄皇子と中臣鎌足を操った人がいたかもしれない。
また本当の乱の狙いは政治の刷新ではなく、違うところにあったのだと著者は力説する。 
 横暴にふるまった蘇我入鹿を討ち、蘇我蝦夷を自殺に追い込んだ結果、何が鋭角的に変わったか? 
皇極天皇はその場で退位を決め(史上初めての譲位)、本命だった皇統後継は蘇我系の古人大兄皇子でなく、軽皇子(孝徳)へ遷った。つまり古人大兄の皇位継 承を阻止することが、乙巳の変の最大の眼目であり、皇極天皇を自然なかたちで退位していただき軽皇子が皇位を継ぐ(実際にその通りになった)。
 乙巳の変で蘇我宗家は全滅した。
ところが石川麻呂など蘇我別家は生き残り次期政権でも大幹部となった。蘇我分家はその後の壬申の乱で大友皇子側に付いたため滅亡への道を歩む。
時系列で整理すると、622年(推古天皇30年)に聖徳太子が死亡し、蘇我氏の権勢はますます横暴となった。六年後に推古天皇は後継指名せずに崩御され た。有力後継者は聖徳太子の息子=山背大兄皇子と田村皇子だった。蘇我氏は山背大兄皇子の最強の支援者だった境部魔理勢を滅ぼし、力づくで田村皇子(舒明 天皇)を即位させた。
641年(舒明天皇13年)舒明天皇が崩御され、皇后だった皇極が即位し、蘇我氏は古人大兄皇子を次期皇統後継にするため、いよいよ山背大兄皇子が邪魔になる。蘇我入鹿は斑鳩を攻め、ついに山背を自殺へ追い込んだ。
これで古人大兄皇子の次期後継は固まった。
こうした横暴きわまる蘇我一族を許しがたいと決意したのが中大兄皇子と中臣鎌足だった。
密議が進んだ。
「入鹿とかねてより不和の噂のある蘇我倉山田石川麻呂が謀議に引き込まれた。鎌足の建言により、まず中大兄が麻呂の娘を娶り、両者の間に姻戚関係が結ばれ た後、謀議の全容が麻呂に打ち明けられたのである。麻呂は一党への加担に同意した。さらに鎌足の推挙によって弐名の刺客、佐伯子麻呂と葛城推犬飼網田が選 抜された」を遠山氏は解説を続ける。
蘇我蝦夷の周辺にあった漢東直らは、さっと立場を変え、中大兄皇子側に投降するか、逃亡した。

戦略的見地からみた場合、もっと愚劣な行動をとったのが古人大兄皇子だろう。直ちに蝦夷の要塞に駆けつければ、クーデターを不首尾に終わらせることが可能 だった。とっさに、そうした判断ができないばかりか、古人大兄皇子は、飛鳥寺というクーデター側の本陣へ駆けつけ、自ら髪を下ろし、武器を捨て仏門に入っ た(後日、殺されるが)。学僧の南淵請安は乙巳の変とは無関係だった。
乙巳の変へと至る前段は聖徳太子の皇子、山背大兄皇子を蘇我が滅亡に追いやった悲劇で、これは乙巳の変の一年半前のことだった。
この惨劇を契機として中大兄皇子側の計画は入念に練られ、時間をかけて仲間を増やしていく。謀議の中心は中臣鎌足(後の藤原鎌足。このころは鎌子と名乗った)。
 鎌足は中大兄皇子と蹴鞠の場で偶会し、意気投合したことになっている。密議の場所は南淵塾のあった談山神社だとされたが、これも嘘くさい。というのも評 者は桜井駅から談山神社へ歩いてみたことがあるのだが、緩い山道で、かなりの時間がかかり、頻繁に密議を行った場所とは思えないからである。

また帰国後の南淵請安が拠点としていたのは、石舞台のかなり南の集落で、談山から更に南方向である。ということは密談、謀議の過程はかなりの部分がフィクションだろう。
 ならば討たれた蘇我氏とはいかなる存在だったのか?
 「あくまで世襲王権に依存・寄生する存在として誕生した。王権の身内的存在として、いわば王権の補完的な要素として、王権内部に組み込まれて存在することが蘇我氏の特質であり、その最大の存在意義であった(54p)
 王権の簒奪ではなく、内部に寄生して王権を事実上左右できる立場をえるのが蘇我の野心であり、後年、類似パターンを繰り返すのが藤原不比等以後の四兄弟と藤原仲麻呂ということになる。
まさに「歴史は繰り返す」

  所詮、人間なんて権力を手にしたいのでしょう。それだけにシラス国で、権威と権力を分離した日本の凄さを思わざるを得ません。
  こうした乙巳の変(いっしのへん)もその争いと言えるのでしょう。何だかんだ言ってもこうやってシラス国を作り上げた日本は本当に素晴らしい。

それを忘れた日本!

★理性のない覇権主義の反知性に勝つには軍事力しかない

2022年08月07日 | 国体・皇室・シラス

 シラス国という概念を持たない世界はウシハクである理性のない覇権主義のようです。
  それに勝つには軍事力しかないと小堀桂一郎さんが書いてくれたようです。

  宮崎さんが書評で取り上げてくれています。所詮、理性の無い覇権主義を防ぐには軍事力しかないのです。
  ウシハクに勝つには軍事力は必要悪なのです。綺麗事では奴隷になるしかないのです。

  「宮崎正弘の国際情勢解題」より   令和四年(2022)8月1日(月曜日)
 通巻第7419号

   書評  

 権は天に勝たず、楠正成の国家・正義・倫理観の普遍性
  理性のない覇権主義の反知性に勝つには軍事力しかない

 小堀桂一郎『國 家理性及び國軆について』(明成社)

 執筆動機を著者の小堀桂一郎氏は次のように言われる。
 「苛烈なる現代の國際社会における安全保障の最大の条件は、国際関係の法的秩序が常に公正に維持されてあるという事で ある。その秩序を安定した形で保持すべき要因は端的に武力・軍事力以外にない。この力をそれがあるべき様に統御する健全 な国家理性の機能について、我々はもう一度歴史に学び直す根気を持ってよいのではないか」。
 この箇所を読んで評者(宮崎)、はからずも天武天皇の詔を思い出した。

 「まつりごとの要は軍事なり」
 小堀氏はまず『国家理性』という言葉の意味をさぐり、この「複合語の原意が有つ緊急避難的・超法規的な必要性の緊迫感 は(歴史学者等の解釈に)含まれていない」
 現代政治学は、単に「国是」と解釈しているから、往々にして歴史解釈を間違える。
 国家理性はややもすれば哲学的であり、マイネッケを連想してしまうが、現在のわれらが日々目撃しているのは『理性』を 喪失した戦争、ウクライナの悲劇、そして侵略の牙を露骨に見せびらかして周辺国に軍事威圧を加えている北京の侵略政権 だ。

 「現在の国際社会には、じつはヒトラー主義の最悪の増長期にも匹敵するほどの理性の破壊が進行しつつあるのを如何にす べきか。それは改めて言うまでもない、中国共産党の習近平政権の為しつつあるジェノサイドであり、更に南シナ海の海域に おいて停まる処を知らぬ攻撃的覇権主義である。(中略)粗野で利己的な欲望にその粉飾としての政治的必要の名を冠してい るだけである。しかも彼等の行動原理としての政治的必要は国益のためでさえなく、党派の利権であり、政権内の有力な個人 の金銭欲を充す必要でしかない」

 まさに私利私欲、暴君の暴走を周囲はとめる力もない。
 「理性的思考とは凡そ縁のないこの様な国家と国民を一衣帯水の距離に隣人として持つ我々は、この面からしても国家行動 の格率としての国家理性の理念は我々の現実的応用には耐えない骨董的概念語でしかない」(48-49p)。
 近年の考古学は従来の歴史解釈を革新した。
 16500年前の土器、岩宿遺跡の発見、そして三内丸山遺跡の出現と方々の遺跡から出土した輝かしい芸術としての縄文 土偶。火炎土器。
祭祀は天皇伝統の根幹だが、こうした「祭政一致の国体は、日本という国家の建設より遙か以前今を去る七千年という蒼古の 昔の縄文時代の文化の段階で既に形成されはじめていた。天神地祇への畏敬と感謝という住民の精神生活の様式が具体的な形 をとった」(132p)。
日本の国家理性の古さ、その安定感。あらためて歴史の神髄に触れる論考を読んだ。

  やはり日本は奇跡の国ですね。それを忘れた今の日本に世界を導くことは出来ない。
  まずは日本人がシラス国の素晴らしさを知ることから始め、世界を導くしか世界を平和にすることは不可能です。

さて、出来るかな!

★日本書紀講義 11 誓約(うけひ)

2022年07月18日 | 国体・皇室・シラス

 天の岩戸の物語の裏に、権威と権力の分離という日本の国体の真髄が含まれていることを知ったのもねずさんに教えられてからですから極最近と言っても過言ではないでしょう。
  これ程に大切なことを教えない教育を改革しない限り日本の再生は有り得ないのは間違いないでしょう。
  その日本にとって最も大切なことに手を付ける気力も矜持もない政府・自民党には呆れるしかない。それ程に職が大事なのか。

  ねずさんがこの大事な話を何度もとりあげてくれています。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より      2022/07/11

  日本書紀講義 11 誓約(うけひ)

  ・・・略

 天照大御神は最高神です。従って天照大御神の御言葉は、常に深い慈愛の御心から生れす絶対の慈愛の御言葉です。
ということは天照大御神の明らかな誓約(うけひ)の結果のすり替えには、何か深いお考えがある、ということになります。

 実は、これもまた次回以降に続く物語の先取りになりますが、ここで「あること」を察した素戔鳴尊(すさのをのみこと)は、こ の後、八百万の神々の田んぼのあぜを壊したりと、高天原で大暴れをします。
ところがそれに困った八百万の神々は、天照大御神に
「スサノヲ様が暴れています。天照大御神様、なんとかしてください」と天照大御神ばかりを頼るのです。

 高天原は、神々の共同体です。
そして天照大御神は最高神であり、高天原の最高の御存在です。
その天照大御神様が、微にいり細にわたり、いっさいを取り決め、取り仕切るのでしょうか。

 たまたまやってきたのが清き心の実弟だったから良かったものの、これがもし、本物の悪神がやってきて、天照大御神様に何か あったら、誰がどう責任をとるのでしょうか。
天照大御神は太陽神です。天照大御神様に何かあれば、高天原も地上も、太陽の恵みの一切を失うのです。

 日本書紀は、こうして責任を伴う権力と、その権力を任命する権威とを切り分けることの大切さを、物語として我々に教えてくれ ています。
その「高天原と同じ統治をしなさい」との天照大御神の御言葉から生まれたのが、我々の住む日本という国家です。ですから日本 は万世一系の天皇を国家最高権威とし、将軍や太政大臣、総理大臣などの政治権力者は、その下位の存在としてきた歴史を持ちま す。
 
 ですから、天皇を英語でエンペラーと呼ぶのは間違いです。
なぜならエンペラーは、王の中の大王、つまり政治権力者の頂点を意味する用語だからです。

  それにしても、日本とは何とも凄い国です。それを教えない教育は何とも情けない。この差は何なのでしょう。


★★全日本人に見てほしい!天皇とは何か?

2022年06月06日 | 国体・皇室・シラス

 何と、ねずさんと竹田恒泰さんが対談してくれています。これは全日本人に見て貰いたい。
  特に、政・官・財・マスメディアに人達には強制的にでも見せるべきです。まず、ここから初めて、正しい国家観と歴史観を身に付けさせましょう。
  その後にテストで及第点が取れない奴は何度でも再テストです。それで、少しは日本も変わるかも。

 

 

  どこまで続くのか楽しみです。出来れば長く続けてほしい。


★心あてに折らばや折らむ

2022年06月01日 | 国体・皇室・シラス

 シラス国の意味を知らない者が昔から皇族の中にも存在したようです。そんな奴は退治するしかないと歌った人がいたようです。
  今の政治家や皇室をも予言していたのじゃないかと思えます。と言うか、今こそシラスを知らない日本人が最大の最悪の時代じゃないでしょうか。

  そんな歌をねずさんが取り上げてくれています。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より       2022/05/26     

  心あてに折らば や折らむ
  
  ・・・略

 だからこそ我が国は、古来から「シラス」を統治の根本としてきました。
けれど、いつの時代にも「ウシハク」人はいるのです。
その違いがわからないなら、「心あてに折らばや折らむ」、
つまり当てずっぽうでも良いから折ってしまえ(放逐してしまえ!)と凡河内躬恒は詠んでいます。

 これを我が国の高位高官の人が言ったというのなら、いささか傲慢さを感じてしまうのですけれど、身分の低い凡河内躬恒が、う たいあげたところに、この歌の凄みがあります。

 百人一首の歌の順番には、歌を解する上において、とても大きな意味があるのです。
そしてこの歌は28番歌の源宗于(みなもとのむねゆき)と並んで、我が国の統治の在り方の本質を、わたしたちに厳しくもやさ しく教えてくれている歌なのです。 



  これこそが真の民主主義でしょう。反日売国左翼・在日共が跋扈する最悪の時代も日本を導くべき政・官・財・マスメディアにもシラスを知らない者ばかりなのだから当然と言えるでしょう。

  やはり、正しい国家観と歴史観を取り戻すことが先決です。それが出来なければ日本の再生はありえない。