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DAISPO WORLD BOXING EXPRESS

今年もやってるやってる~

あの試合から30年(WBAライト級:1995年5月15日)

2025年05月15日 05時04分36秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前となる1995年5月15日、後楽園ホールで行われた試合結果です。
WBAライト級戦:
王者オルズベック ナザロフ(協栄)KO2回2分57秒 挑戦者朴 元
(韓国)

*世界戦4戦目にして初めて世界王者としての雄姿を第二の故郷に披露する事となったナザロフ。3戦続けて敵地で勝ち抜いてきたナザロフには、試合前から王者としての貫禄が漂っていました。

(世界を獲得後、初めて後楽園ホールにその雄姿を見せたナザロフ)/ Photo: Youtube

実力者相手に、怖気づくことなく果敢に立ち向かった朴。両者共に好コンディションを思わせるこの試合は、スピーディーなキビキビとした展開となりました。

2回2分過ぎ、ナザロフが左ストレートからの右で挑戦者をたじろかせると、接近戦での左ボディー一発で朴をKO。実力差をまざまざと見せつけ、貫禄の防衛に成功しています。

防衛記録を3に伸ばすと同時に、全勝記録を21(16KO)にしたナザロフ。世界王者となり、また一段レベルを上げたようです。

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あの試合から30年(ヘビー級:1995年5月13日・その2)

2025年05月14日 05時32分33秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前の昨日となる1995年5月13日、米国カリフォルニア州で行われた試合結果です。
ヘビー級戦(12回戦):
前WBC王者レノックス ルイス(英)TKO5回2分55秒 ライオネル バトラー
(米)

*前年1994年9月に、伏兵オリバー マッコール(米)にまさかの一発KO負けを喫し王座から転落したルイス。その後名伯楽エマニュエル スチュワート氏を招聘し、新たなスタートを切る事になりました。

再起戦でルイスが迎えたのは、キャリア前半に黒星は多いものの実戦で実力を培ってきたしぶといバトラー。1つの無効試合を挟んで16連勝を飾っていた波に乗る選手です。

(しぶといバトラーを迎え再起戦に臨んでルイス)/ Photo: Wikipedia

初回、2回とマッコール戦からの反省からか、慎重なボクシングを見せたルイス。しかしその後の偉大なるボクシングキャリアを支える事になる左ジャブを随所に見せながら、タフなバトラーの荒々しいボクシングに対応していきます。

(左ジャブが冴えわたったこの日のルイス)/ Photo: Youtube

回を追うごとに実力差を見せたルイスは5回、右から左の逆ワンツーで一つ目のダウンを奪います。試合再開後、今度は伝家の宝刀である右でバトラーをキャンバスに送り返しゲームセット。再起戦としては申し分ない試合内容で勝利を収めると同時に、WBC王座への挑戦権を獲得しました。

ルイスがバトラーに快勝した興行には、ジョージ フォアマン(米)に歴史に残る勝利を献上したマイケル モーラー(米)も登場。中堅選手マービン フォースター(米)に大差判定勝利を収めています。

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あの試合から30年(WBAジュニアフェザー級:1995年5月13日・その1)

2025年05月13日 05時45分25秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前となる1995年5月13日、プエルトリコで行われた試合結果です。
WBAジュニアフェザー級戦(スーパーバンタム級):
挑戦者アントニオ セルメニョ(ベネズエラ)判定3対0(116-114x2、115-114)王者ウィルフレド バスケス
(プエルトリコ)

*日本をはじめ、世界各地を転戦してきた歴戦の雄バスケス。世界戦としては15戦目にして初めて母国でその雄姿を披露する事になりました。しかし「故郷に錦を飾る」その試合で、思わぬ落とし穴が待っていました。

この試合が10度目の防衛戦となったバスケスが迎えたのは指名挑戦者のセルメニョ。長らく世界1位にランキングされていた選手です。21勝(15KO)1敗という好戦績の持ち主であるセルメニョは、1993年師走に韓国に渡り崔 在元(韓国)と対戦。大凡戦の末判定負けを喫しています。その崔をバスケスは1994年7月に対戦し、一蹴しています。

(指名挑戦者セルメニョ(右)を迎えたバスケス)/ Photo: Youtube

勝負というものはやってみないと分からないものですね。バスケスとセルメニョが対戦した崔との試合内容と対戦結果を比較してみると、バスケスにとりセルメニョは容易な相手に見えてしまいます。しかし実際のボクシングというのはそうはうまくいかないようです。この日のバスケスは地元のファンの前だという気負いからか、またはセルメニョとの相性の悪さか、兎にも角にも最後まで調子に乗る事が出来ませんでした。

戦に続いての敵地での試合となった長身セルメニョは、初回からバスケスの嫌がるボクシングを展開し、36分間に渡り貫き通しました。この階級としては長身でリーチも長いセルメニョですが、その体形に似合わない超接近戦のボクシングでバスケスに強打を放つ間を与えません。時折バスケスが強打を当ててくると、それまで以上に体をくっつけパンチを放ち後続打を断ちます。

すでに大ベテランの域に達していたバスケスですが、結局は自分の持ち味を出せないまま試合終了。自分の波に乗れないためか、試合終盤には普段見せない疲れの表情を見せていました。

バスケスを研究し尽くし、僅差ながらも明白な判定勝利を収めたセルメニョ。決して鮮やかな王座交代劇ではありませんでしたが、対戦相手にとり「やりづらい選手」という印象を残しました。虎の子のタイトルを失ったバスケス。30半ばとなり「もう終わった」と思わせましたが、この試合後も数年に渡り世界トップ戦線で戦い続けるのですから大したものです。

(敵地で戴冠を遂げたセルメニョ)/ Photo: Youtube

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あの試合から30年(WBOジュニアバンタム級:1995年5月6日・その3)

2025年05月08日 05時34分31秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前の一昨日となる1995年5月6日、米国ネバダ州で行われた試合結果です。
WBOジュニアバンタム級戦(スーパーフライ級):
王者ジョニー タピア(米)負傷判定8回(1対0:68-64、66-66x2)挑戦者リカルド バルガス
(メキシコ)

*当時、計量が試合前8時間から24時間に移行するかどうかの激しい議論が行われており、計量後の選手たちのウェート比較も大きな話題となっていました。ジュニアバンタム級/スーパーフライ級のリミットは115ポンド/52.16キロとなります。しかし試合直前の体重はバンタム級のリミットを若干上回る119ポンド/53.98キロのタピアに対し、バルガスのそれは2階級上のフェザー級のリミットとなる126ポンド/57.15キロでした。

両者の体重差の影響からか、タピアは予想以上の苦戦を強いられる事になりました。ガードを固め、左ジャブと右パンチを主武器とするバルガス。それに加え足さばきは、スムーズヒットアンドランという基本に忠実なボクシングを展開するバルガス。日本には比較的多く見られるボクシングです。そんなバルガスを相手に、タピアは初回から鼻血を流す始末。2回、3回も同じような試合展開が続きます。

(基本に忠実なボクシングでタピアを大いに苦しめたバルガス)/ Photo: Youtube

その後、少々強引なボクシングでペース奪取を試みたタピア。6回に逆ワンツー(左から右)、ジャブとフックの中間のようなパンチでダウンを奪うことに成功します。バルガスの足が揃っていたため、このダウンからのダメージはそれほどありませんでしたが、タピアにとり非常に貴重な加点となりました。

続く7回、バッティングにより両者が負傷。ダメージは挑戦者の方が酷く、バルガスは左目じりを大きくカットしてしまいます。結局はこの傷が原因で試合はストップされることに。結局は6回のダウンが物を言い、タピアが命辛々引き分けで防衛に成功しています。

 

この試合が終わった時点(1995年5月6日)でのジュニアバンタム級/スーパーフライ級の世界王者たちの顔ぶれは下記のようになります。

WBA:李 炯哲(韓国/防衛回数1)
WBC:川島 郭志(ヨネクラ/2)
IBF:ハロルド グレイ(コロンビア/2)
WBO:ジョニー タピア(米/2)

*後にこの王座を13度防衛し、3階級制覇も達成する事となるタピアですが、当時はまだまだ世界王者として発展途上の段階。実力的には川島や李の上にいくことは出来なかったでしょう。

2月の防衛戦ではスーパーフライ級という呼称で呼ばれていたタピアのタイトル。しかしこの試合ではジュニアバンタム級戦としてアナウンスされていました。

(世界王者になる前のタピア。腰に巻いているのはNABFタイトルで、肩に下げているのはUSBA王座となります)/ Photo: JO Sports Inc.

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あの試合から30年(2団体ライト級ほか:1995年5月6日・その2)

2025年05月07日 05時06分13秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前の昨日となる1995年5月6日、米国ネバダ州で行われた試合結果です。
2団体ライト級戦(王座統一戦):
WBO王者オスカー デラホーヤ(米)TKO2回1分43秒 IBF王者ラファエル ルエラス
(米)

*この年の2月にデラホーヤとの対戦のためIBFジュニアライト級(スーパーフェザー級)王座を返上し、階級を上げてきたジョンジョン モリナ(プエルトリコ)との大激戦を制し、プロとして筋金を入れる事にも成功したデラホーヤ。今回はIBFタイトル保持者のルエラスとの王座統一戦に臨む事になりました。

(デラホーヤとルエラスによる王座統一戦が実現)/ Photo: Wikipedia

デラホーヤ、ルエラス共に細身の長身選手。しかしこの日のボクシングスタイルは対極的なものでした。IBFタイトルホルダーであるルエラスは、試合開始のゴングと同時にガードを高く上げWBO王者に肉薄していきます。デラホーヤはそれに対し左ジャブで応戦し、激しい攻防が繰り広げられることに。

初回同様、ルエラスが攻めデラホーヤが迎え撃つという展開が続いた王座統一戦。デラホーヤは2回中盤、右からの見事な左ショートフックで先制のダウンを奪います。実質、このダウンで試合が決まったと言っていいでしょう。試合再開後、これまた見事な右ストレートでダウンを追加したデラホーヤ。今回もルエラスはカウント内に立ち上がりましたが、その後の連打でレフィリーは躊躇することなく試合をストップ。僅か5分弱の攻防ではありましたが、見応えのある攻防に終止符が打たれました。

(見事な左フックでダウンを奪ったデラホーヤ)/ Photo: Youtube

2月のモリナに続け、現役世界王者を破り王座統一戦に成功したデラホーヤ。当時のデラホーヤは、一戦ごとに勢いと存在感を増していました。

(WBO王座に続き、IBFタイトルを吸収したデラホーヤ)/ Photo: Daily Mail

なおこの試合を放送したHBO局は、この試合が行われた時点では「WBOを主要団体として認めない」としています。まだまだマイナー団体として扱われていた当時のWBO。ということはこの勝利により、デラホーヤが世界初戴冠となり、トーマス ハーンズ(米)の偉業も、5階級制覇ではなく4階級制覇として見られていたということになりますね。

 

WBCスーパーフェザー級戦:
王者ガブリエル ルエラス(米)TKO11回25秒 挑戦者ジミー ガルシア
(コロンビア)

*ラファエルの実兄ガブリエルも同興行に登場。好戦的なガルシアを迎え保持する王座の2度目の防衛戦に臨みました。

試合はガブリエルが打ち続けるワンサイドマッチとなりましたが、ガルシアも挑戦者らしく奮戦。しかし試合が長引くにつれ、テレビ解説者も危惧するほど一方的な試合展開に。迎えた11回、主審をようやく試合をストップしましたがガルシアの被ったダメージは甚大なものでした。

(試合はまったくのルエラス(右)のワンサイドマッチに)/ Photo: the New York Times

ストレッチャーで運ばれ病院に直行したガルシアでしたが、残念ながら13日後の5月19日に帰らぬ人に。重い十字架を背負うこととなったルエラスですが、悲しみを乗り越えて力強く現役生活を続ける事となりました。

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あの試合から30年(ジュニアウェルター級ほか:1995年5月6日・その1)

2025年05月06日 05時16分33秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前となる1995年5月6日、後楽園ホールで行われた興行です。
ジュニアウェルター戦(スーパーライト級10回戦):
前WBAジュニアウェルター級王者ファン マルチン コッジ(亜)判定3対0(99-94、98-94、98-95)坂本 博之
(角海老宝石)

*「平成のKOキング」坂本が、19戦全勝(14KO)の勢いで世界王座に2度就いた強豪中の強豪コッジと対戦。3回にアルゼンチン人のボディー攻撃で2度のダウンを喫してしまった坂本。しかしそこから盛り返し、コッジ相手に大善戦をしました。

(日本の若武者が世界の強豪に「挑戦」)/ Photo: Youtube

結果はコッジが明白な判定勝利を収め実力を見せつけた形に。しかし坂本は敗れたとはいえ、その後が期待できる内容でした。

(後楽園ホールのリングで貫禄を見せつけたコッジ)/ Photo: Youtube

コッジはこの試合後、3度目の世界王座獲得に成功。坂本は翌年にOPBF(東洋太平洋)ライト級王座を獲得し、世界挑戦に向け順調に歩んで行くことになりました。

 

フライ級戦(10回戦):
元WBAフライ級王者ヘスス ロハス(ベネズエラ)TKO7回 大場 貴志
(姫路木下)

*日本フライ級期待の大場が、10連勝の勢いを持って元世界王者ロハスに「挑戦」。前半戦は善戦する大場でしたが、徐々にロハスとの実力差が浮き彫りになり最終的にはストップされる形に。

この試合から数年後、名古屋のリングで世界2階級制覇を達成する事になるロハス。その試合を含め長きに渡り、世界のトップ戦線で戦い続ける事になります。

 

フェザー級戦(10回戦):
元WBAバンタム級王者ルイシト 小泉(エスピノサ/比)TKO8回 シンヌン 山木
(山木/タイ)

*元世界王者と35勝(34KO)2敗の超強打者による対戦は、予想通りの大激戦に。初回、2回とルイシトがダウンを奪えば、シンヌンは4回と5回にお返しのダウンを奪います。最後は8回、ルイシトが3度のダウンを追加し打撃戦を制すことになりました。

この試合後、ジョー小泉氏のサポートを受けフェザー級で世界王者に返り咲いたルイシト。都合5度日本で試合を行いましたが、この試合が一番印象に残った試合と言っていいでしょう。

 

フェザー級戦(10回戦):
ジュン ゴーレス(比)判定3対0(100-93、99-93、99-94) 在元
(韓国)

*当時、世界が期待されたプロスペクトの一人として挙げられていたゴーレスが元世界1位のと対戦。好試合が期待されていた一戦でしたが、蓋を開けて見ると思わぬ凡戦に。真剣勝負なだけに、たまにはそういうこともあります。

 

ジュニアフライ級戦(ライトフライ級10回戦):
ガンボア 小泉(ジョマ/比)TKO6回 
 喆雨(韓国)

*後に4度目の世界挑戦でWBA最軽量級の暫定王座を獲得し、その後同団体内での王座統一に成功したガンボアの日本のリングでのデビュー戦。軽量級離れした強打を披露する事には成功しましたが、対戦相手のレベルがひどすぎました。の戦績をBoxRecで調べてみると、1991年2月に4回戦で判定負けを喫した以来の実戦に臨んだプロキャリア僅か2戦目の選手。世界を目指す選手がこのような選手と対戦しているというのは、ちょっとこれはいただけませんな。ただ、調整試合として見るのであれば別話ですが。

 

*ジョー小泉氏が自ら主催者となり行われた「ワールド・チャレンジャー・スカウト」。私(Corleone)の記憶違いで、これは第一回ではなく2度目の同興行でした。後楽園ホールは満員御礼となる大盛況だったようです。何と言っても当時の坂本の人気がその理由に挙げられますが、今現在(2025年5月)、世界戦以外でこのように集客力のあるイベントが日本国内で開催できるのでしょうか?残念ながら、難しいと言わざるをえないでしょう。

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あの試合から30年(IBFバンタム級:1995年4月29日・その3)

2025年05月04日 05時09分48秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から約30年前となる1995年4月29日、南アフリカで行われた試合結果です。
IBFバンタム級戦:
挑戦者ムブレロ ボティーレ(南ア)KO2回1分24秒 王者ハロルド メストレ
(コロンビア)

*この年の1月に、あのオーランド カニザレス(米)が返上し空位となっていたIBFバンタム級王座を獲得したメストレ。初防衛戦で15戦全勝(9KO)のボティーレの挑戦を受けるため南アフリカの地に降り立つことになりました。

(南アフリカで決行されたIBFバンタム級戦)/ Photo: BoxRec

日本で言う春真っただ中に行われたこの試合ですが、試合開始時の気温は4度と冬の寒さ。常夏のコロンビアから来た王者には、高地ヨハネスブルクの寒さはこたえたのかもしれません。

基本に忠実なボクサー同士による一戦は、両者がキビキビとしたボクシングを展開するという好スタートを切ります。挑戦者はややぎこちない動きをするメストレに対し、シャープなジャブで対抗。王者も負けじと応戦します。

(短い時間ではありましたが、両者がキビキビとしたボクシングを展開した好試合に)/ Photo: Dailymotion

長期戦も予感された戦いでしたが、終焉は突如とやってきました。2回、きれいな右でコロンビア人をフロアに送ったボティーレ。パンチを被弾してから若干の間をおいてダウンを喫したメストレ。見た目以上に効いたようで、何度も立ち上がろうと試みたメストレでしたが糸の切れた人形のようにその度にフロアに逆戻り。結局テン・カウント内に立ち上がることが出来ずに試合終了。衝撃的な王座交代劇となりました。

僅か4分半の攻防でしたが、長期政権を期待できるパフォーマンスを演じたボティーレ。全盛期のカニザレスとの一戦も見てみたかったです。

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意見番(05‐01‐25)

2025年05月01日 05時36分04秒 | ボクシングネタ、その他雑談

*「ビックジョージ」について書こう書こうと思っているのですが、中々時間が取れなくて...。そのうち記載します。

Photo: Amazon.co.jp

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あの試合から30年(IBFジュニアミドル級:1995年4月29日・その2)

2025年04月30日 05時08分51秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前の昨日となる1995年4月29日、米国メリーランド州で行われた試合結果です。
IBF
ジュニアミドル級戦(スーパーウェルター級):
王者ビンセント ペットウェイ(米)KO6回2分7秒 サイモン ブラウン(ジャマイカ/米)

*前年1994年9月に、長期政権を築いていたジャンフランコ ロッシ(伊)を破り世界王座を獲得したペットウェイ。初防衛戦に、ウェルター級とスーパーウェルター級で都合3つの世界タイトルを獲得してきた強打のブラウンを迎える事になりました。強打者同士によるこの戦いは、稀に見る大激戦となりました。

(初防衛戦に臨んだペットウェイ)/ Photo: SoundCloud

初回終了間際、ブラウンの右フックからの連打で王者が糸が切れた人形のようにダウン。ペットウェイはもう少し時間があれば、この回で試合は終わっていたほどの大ダメージを被ってしまいました。3回、今度はペットウェイがお返しのダウンを奪っています。ブラウンの左ジャブの打ち終わりに見事な右を重ね元王者をフロアに送る事に成功。ブラウンが被ったダメージは、初回にペットウェイが受けたものより甚大でした。

(強打者同士による対戦は、ダウン応酬の大激戦に)/ Photo: Youtube

5回、明らかな低打(反則打)でペットウェイがダウン。レフィリーはローブロー(低打)と気づかなかったため、公式なダウンとして数えられてしまいました。しかもブラウンはペットウェイが膝を付いているにもかかわらず、2発のパンチを放つ暴挙を行っています。これは明らかな反則行為ですが、それに対し主審は注意すら与えませんでした。ラウンド終了後にも打ち合う両者。レフィリーはそれを制止することも出来ずにブラウン陣営の抗議の的となっていました。

荒れた試合の流れは続く6回にも継続されます。今度はアクシデント・ヘッドバットで試合が一時中断。再開後、ペットウェイの見事な左フック一発でブラウンをKO。驚くことにフロアに倒れたブラウンは、意識を失いながらもパンチを放ち続けていました。3度のダウンはいずれも凄いものでしたが、ダウン後のブラウンの無意識ながらも戦い続ける姿勢は、驚き以外の何物でもありません。

(崩れ落ちていくブラウン)/ Photo: Facebook

(無意識状態でもパンチを放ち続けるブラウン)/ Photo: TikTok

強豪相手に衝撃的な勝利を収めたペットウェイ。不安定なボクシングを展開しますが、提供する試合は常にエキサイティングでした。

前日お届けしたバーナード ホプキンス(米)の戴冠劇、そしてこのジュニアミドル級戦に加え、元IBFライト級王者フレディ ペンドルトン(米)、後のWBAミドル級王者ウィリアム ジョッピー(米)、ジュニアミドル級とミドル級で世界獲得したジョン デビット ジャクソン(米)等も出場した今回の興行。この時期のドン キング氏は、継続的に贅沢な興行を提供し続けていました。

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あの試合から30年(IBFミドル級:1995年4月29日・その1)

2025年04月29日 05時18分49秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今から30年前となる1995年4月29日、米国メリーランド州で行われた試合結果です。
IBFミドル級戦(王座決定戦):
バーナード ホプキンス(米)TKO7回1分10秒 セグンド メルカド
(エクアドル)

*2016年まで世界のトップ戦線で戦い続けたホプキンスですが、世界初戴冠は3度目の正直で実る事になりました。

前年師走に拳を交えている両雄。メルカドの地元であるエクアドルの首都キトで行われたその試合では、倒そう倒そうと気が逸るホプキンスに対し、メルカドがうまくパンチを当て2度のダウンを奪っています。既にその実力を評価されていたホプキンスがそのままズルズルとペースを持っていかれる事はありませんでしたが、引き分けで何とか首の皮を繋ぐのが精一杯。しかしそれでも敵地のど真ん中で行われた死闘で負けなかったのですから、流石と言えば流石です。

4ヵ月ぶりに行われた両者による再戦は、前回とは異なりほぼホプキンスのワンサイドマッチで進んでいきます。比較的静かな立ち上がりを見せた戦いでしたが、3回からホプキンスの左右のパンチが当たりだし始めます。3回、4回、5回とラウンドを重ねる毎にホプキンスにペースが偏っていったこの試合。特にホプキンスの右パンチの的中率に素晴らしいものがありました。

(再戦はホプキンスの(右)の一方的な展開に)/ Photo: Youtube

7回、クリンチを分ける際レフィリーが突如試合をストップ。主審はエクアドル人の反応が鈍かったためとしていますが、メルカド陣営からストップに対し何ら抗議はありませんでした。前回の死闘と重ねると、あっけない幕切れとなったこの戦いでしたが、この試合以降ボクシング史に歴史を残すことになるホプキンスが、30歳、30戦目にして世界の頂点に君臨する事になりました。

1993年5月の初の世界戦では、当時のスーパースター候補生だったロイ ジョーンズ(米)を大いに苦しめましたが、勝利の女神は微笑まずに僅差の判定負け。メルカドとの初戦では、命辛々の引き分け。背水の陣で臨んだこの一戦では、その後のホプキンスの一部を見るような老獪さ、絶妙な試合運びを見せ勝利。しかしホプキンスがその後20年もの間活躍し続けるとは、想像すらも出来ませんでした。

(ようやく世界のベルトを獲得したホプキンス。ここから偉大なる歴史を作ることに)/ Photo: Sports Illustrated

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