近頃読書がすっかり疎かになっているが、芸術の秋、音楽を聴くのも悪くないでしょう。
にしては、そのレベルが低いって声が聴こえる、主に妻がのたまわっているのだが、職業に貴賎なし、まして音楽においておやだ、コンチクショー。
敵は何故だかベートーベンが好きで、こちとらウイーンに行ったことが無いから、親近感もわかず、もっぱら生家を訪れたことのあるモーツアルトを贔屓にしているが、ベートーベンのあの深刻な顔がそもそもいけねえ、我がモーツアルトにはあのおちゃらけた手紙があるってんだ。
朝からついエキサイトいたしまして失礼しました。
お手紙はどちらかと云うと文学のカテゴリーかも知れませんね。
今朝も湘南は穏やかな小春日和、志を立ててもこの快適な陽気にすっかりのぼせ上って、足元が定まらないから、遠くまで行くことも出来ず、食うに困らないからまあまあこの辺でと、生涯小事に係わって、それ故この辺りから大人物は出ない。
まあ、そんな土地柄ではありますが、我が故郷ゆえ大変愛着があります。
東京から1時間15分、前は海後ろは山の良い土地柄なのに人口減少が問題だとか、後20年ほどで2万6千人まで減ってしまうとのお話、その何が問題かと云うと、どうも税収が減少して町の財政がひっ迫するらしい、まあ、その頃まで生きちゃいねえからどうでもいいんやってことなんだけど、そもそも昔はもっと人口が少なくてやり繰りできたのに、一度贅沢を知ってしまうと生活の質を落とせないってお話なんじゃないのか。
こういったことを云うときっとお叱りを受けることになるんだけど、生活が困窮して無料の食糧を取りに来る人の姿を観ていても、つぎはぎの当たった衣類を着ている人など見当たらない。
昔は裕福でなくともつぎはぎをして長く着るのが当たり前だったのに、確かに世界の製造工場中国が動き出してからモノの値段が格段に下がり、少し悪くなったらポイっと捨てて新しいのに買い替えるという風潮が80年代の頃から出てきた。
着るものと食べるもののビンボーの度合いはイコールじゃなきゃおかしいのに、要は出費の比重が狂ってるんじゃないのかと思うわけよ。
人間衣食足りて礼節を知ると云うけれど、どちらかと云うと食の方が優先で、衣の方は寒さが防げればいいってのが最低ライン、食の方は必要なカロリーと栄養が無いと死ぬからね。
思えば僕も退職後はわずかな年金で親子3人が暮らすビンボー生活。
6年前に隠居生活になったときにパンツが15枚ほどあってこれで一生買わないで済むと思ったが、擦り切れたりゴムが延びたりして今では8枚ほどに減ってしまったので、その内買わなきゃいけない。
靴下も30足あったのが残りわずかで、この間買い足した。
でも、シャツやズボン、上着などはほとんど買ってない。
ズボンは太って入らなくなってこの春3本買ったが安物だ。
セーターなどは保管が悪いから虫に食われて穴が開いているが、そういったものは寝間着となっている。
以上のような状況で、我が家の出費の多くは食料品だ。
毎朝JAに野菜を買いに行くが価格的にはこの辺りで最も安い、SMで買う気になんてならない、魚も妻がマサで買っているが、丸を買ってきて捌いているので驚くほど安い。
ウルメ鰯が10尾300円とか伊佐木が5尾で400円とかそんなレベルだ。
一応、株式会社イナリヤト食文化研究所を主宰しているので、二宮の野菜と相模湾の魚を如何に料理するか研究しているが、要はどうすれば美味く喰えるかを考えているわけだ。
しかも、分かったことは素材が新鮮な場合は、なるべく手を加えないことが一番だということで、そんな事当初から予想されていた。
にしても、生活にに対する食費の割合がベラボーに高い、いわゆるエンゲル係数が高いのだ。
これが一般的なビンボー人の出費パターンの特徴で、ここから導かれることは、やっぱり衣より食が優先されるってことだ。
で、この人間存在の最後の砦、食が他のものをすべて諦めてひっ迫しているとすれば問題だが、どうもそうじゃないような気がしている。
要は貧困層が増えて大変だ大変だと大騒ぎしているが、餓死者が出るまでには未だずいぶん時間があるので、喫緊のことではないことは誰もまともに考えていないということだ。
行政と云うのはどうもバランスシートを作らないようだから、町の資産がどれだけあるのか分からないが、財政が潤沢な時に時の町長などが、人間の通例として自分の足跡を残すために過大なインフラを作っていることがが多く、人口減と共にそれらのインフラがデカすぎて稼働効率が落ち、しかも管理費がベラボーにかかっているのではないだろうかと疑っている。
はっきり言って何がどうなっているかは精査してみないと分からないが、人口減少に対していかに対処するかという課題を与えられても、そんな事分かればこんなところで逼塞していない、無能なジジイに気軽に過大な課題を与えるもんだなあと驚いている。
イナリヤト食文研のワインとビールはこちらからご覧になれます
にしては、そのレベルが低いって声が聴こえる、主に妻がのたまわっているのだが、職業に貴賎なし、まして音楽においておやだ、コンチクショー。
敵は何故だかベートーベンが好きで、こちとらウイーンに行ったことが無いから、親近感もわかず、もっぱら生家を訪れたことのあるモーツアルトを贔屓にしているが、ベートーベンのあの深刻な顔がそもそもいけねえ、我がモーツアルトにはあのおちゃらけた手紙があるってんだ。
朝からついエキサイトいたしまして失礼しました。
お手紙はどちらかと云うと文学のカテゴリーかも知れませんね。
今朝も湘南は穏やかな小春日和、志を立ててもこの快適な陽気にすっかりのぼせ上って、足元が定まらないから、遠くまで行くことも出来ず、食うに困らないからまあまあこの辺でと、生涯小事に係わって、それ故この辺りから大人物は出ない。
まあ、そんな土地柄ではありますが、我が故郷ゆえ大変愛着があります。
東京から1時間15分、前は海後ろは山の良い土地柄なのに人口減少が問題だとか、後20年ほどで2万6千人まで減ってしまうとのお話、その何が問題かと云うと、どうも税収が減少して町の財政がひっ迫するらしい、まあ、その頃まで生きちゃいねえからどうでもいいんやってことなんだけど、そもそも昔はもっと人口が少なくてやり繰りできたのに、一度贅沢を知ってしまうと生活の質を落とせないってお話なんじゃないのか。
こういったことを云うときっとお叱りを受けることになるんだけど、生活が困窮して無料の食糧を取りに来る人の姿を観ていても、つぎはぎの当たった衣類を着ている人など見当たらない。
昔は裕福でなくともつぎはぎをして長く着るのが当たり前だったのに、確かに世界の製造工場中国が動き出してからモノの値段が格段に下がり、少し悪くなったらポイっと捨てて新しいのに買い替えるという風潮が80年代の頃から出てきた。
着るものと食べるもののビンボーの度合いはイコールじゃなきゃおかしいのに、要は出費の比重が狂ってるんじゃないのかと思うわけよ。
人間衣食足りて礼節を知ると云うけれど、どちらかと云うと食の方が優先で、衣の方は寒さが防げればいいってのが最低ライン、食の方は必要なカロリーと栄養が無いと死ぬからね。
思えば僕も退職後はわずかな年金で親子3人が暮らすビンボー生活。
6年前に隠居生活になったときにパンツが15枚ほどあってこれで一生買わないで済むと思ったが、擦り切れたりゴムが延びたりして今では8枚ほどに減ってしまったので、その内買わなきゃいけない。
靴下も30足あったのが残りわずかで、この間買い足した。
でも、シャツやズボン、上着などはほとんど買ってない。
ズボンは太って入らなくなってこの春3本買ったが安物だ。
セーターなどは保管が悪いから虫に食われて穴が開いているが、そういったものは寝間着となっている。
以上のような状況で、我が家の出費の多くは食料品だ。
毎朝JAに野菜を買いに行くが価格的にはこの辺りで最も安い、SMで買う気になんてならない、魚も妻がマサで買っているが、丸を買ってきて捌いているので驚くほど安い。
ウルメ鰯が10尾300円とか伊佐木が5尾で400円とかそんなレベルだ。
一応、株式会社イナリヤト食文化研究所を主宰しているので、二宮の野菜と相模湾の魚を如何に料理するか研究しているが、要はどうすれば美味く喰えるかを考えているわけだ。
しかも、分かったことは素材が新鮮な場合は、なるべく手を加えないことが一番だということで、そんな事当初から予想されていた。
にしても、生活にに対する食費の割合がベラボーに高い、いわゆるエンゲル係数が高いのだ。
これが一般的なビンボー人の出費パターンの特徴で、ここから導かれることは、やっぱり衣より食が優先されるってことだ。
で、この人間存在の最後の砦、食が他のものをすべて諦めてひっ迫しているとすれば問題だが、どうもそうじゃないような気がしている。
要は貧困層が増えて大変だ大変だと大騒ぎしているが、餓死者が出るまでには未だずいぶん時間があるので、喫緊のことではないことは誰もまともに考えていないということだ。
行政と云うのはどうもバランスシートを作らないようだから、町の資産がどれだけあるのか分からないが、財政が潤沢な時に時の町長などが、人間の通例として自分の足跡を残すために過大なインフラを作っていることがが多く、人口減と共にそれらのインフラがデカすぎて稼働効率が落ち、しかも管理費がベラボーにかかっているのではないだろうかと疑っている。
はっきり言って何がどうなっているかは精査してみないと分からないが、人口減少に対していかに対処するかという課題を与えられても、そんな事分かればこんなところで逼塞していない、無能なジジイに気軽に過大な課題を与えるもんだなあと驚いている。
イナリヤト食文研のワインとビールはこちらからご覧になれます