キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

ザボンの花

2017年11月11日 | Weblog
なんの因果か2時半に目が覚めてしまい、二度寝に失敗してしまったので、昨夜寝る前に読み始めた庄野潤三「ザボンの花」を読む。
この講談社学芸文庫で発売された2014年4月10日から時を置かずして東京駅の八重洲ブックセンターで1時間ほど店内の読書テーブルで貪るように読んだにも関わらず、全く新しい小説としか思えず、あれは一体何だったのかと虚しくもある。
「水道管の水垢理論」も当てにならないもんだ。
庄野潤三の世界はゆったりとしているので、貪り読んでも味わいが感じられないものなのかもしれない。
晩年の小田急沿線の丘の上の家での老夫婦二人の生活を書いた私小説は、あまりにも身近なことがそのまま書かれていて面白くなく好きになれないが、初期の家族小説は小説家として駆け出しで、客観的な目で観察して書こうとしているので、小説世界が著者から少し離れたところにあり面白いのだと思う。
昭和31年に単行本として出された「ザボンの花」は、当時のゆったりした東京郊外の生活振りが書かれていて、今ではオレオレ詐欺の電話が掛かってくるが、この頃は時に押し売りがやって来てインチキ品を押し付けられたり、鋳掛屋などに鍋の修理を頼むと難癖を着けて法外な代金を請求されたりしたもので、豊かになった分だけ被害額も莫大になっているが、基本的な人間のセコイ言動は変わらないなあと思う。

そうこうしているうちにお寺の鐘が鳴り、新聞屋がやって来たが、空はまだ暗く夜の帷が開けるにのはまだ少し間がある。
この後少し寝たようだが7時前に起きて、上の息子が帰ってきて風呂に入っていたので、雨戸を開けて朝飯を食べる。
納豆、野菜スープにシメジと白菜を加え、鯖の一夜干しを焼く。

9時からBS3で川端康成に関する番組2本を放送した。
最初のは古美術愛好に関するもの、池大雅と浦上玉堂を特に好んだようだ。
長谷の自宅に国宝が随分あるのだが、娘婿が公開せずに管理している。
もう一つは「伊豆の踊り子」の場面を天城峠の茶屋から湯ヶ島の福田屋、下田の港までを大林宣彦が訪ねながらの番組だった。

海に散歩に出てプリンスホテルの所から上がろうとしたら、この間の台風で西湘バイパスが崩れていて不通、その先の吉田邸迄の砂浜が浚われて無くなっていた。
二宮、大磯海岸ともに西湘バイパスで豊かだった海岸が駄目になってしまったが、大学出の土木建築家より、無学な漁師のほうが将来海岸が無くなることを的確に言い当てた。
その反省があってしかるべきなのだろうが、未だになくコンクリートでさらに補強をして、山から土砂を持って来て海岸に撒いているだけだ。
学問というのは価値があるものなのだろうか。

結局、最初に浜に降りたところへ戻ってから杉山のバアサンの所へ行ったので、えらく時間が掛かってしまった。
絹ごし豆腐二丁を買う。
ヤオマサで何時もの担当者が岩海岸のキハダ鮪と長崎の鰹を勧めてくれたが、鮪の刺身とかまを買った。

家に帰ったのが昼を過ぎていて、焼き鳥丼を妻と息子が食べていた。
股肉を付け焼きにして、笹身を塩焼で山葵、葱を焼き、丼に海苔を敷いて丼にして、若布と豆腐の味噌汁、鉄砲漬けで食べたが、焼き具合、たれの具合が丁度よく美味かった。

プレシネは「The last frontier」1955年米映画で、私が生まれた年に製作されている。
インディアン対砦の北軍との戦いに、ラブアフェアが絡むオキマリのパターンのヴァリエーション。
ララミー砦も出てきて親近感があった。

昼寝をしたが、日差しが遅くまでベッドを照らして暖かだった。

晩飯はふろふき大根、豆腐のソテ、キハダ鮪刺身とかま塩焼、麦乙湯割りとWH湯割り。
柿の種、バタピー、ラーメンスナック、美濃屋のあられ、柿。

「美の壺」木の器、筋目を丸鑿で90度に削る手法の器があり心惹かれた。
西條八十の歌の番組、古関裕二と組んで軍歌を沢山作ったが、国が交戦状態にあるときにそれを激励したことを戦後手のひらを反すように非難されたのは酷いもんだと思う。
非難している人の多くが戦中一億玉砕を叫んでいた人たちだから、日本人は恥知らずというか軽薄というべきか。
「新日本風土記」渡し舟、これは前に観たが、いいものである。
井上陽水と玉置浩二の歌番組、二人とも以前より落ちたなあと思う。
最近良く出ている全盛期を過ぎた演歌歌手が惨めなだけじゃないんだね、時間は万人に平等に与えられたものだ。
コメント
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