姉から聞いた話

 アメリカ在住の姉からメールが来ました。今日は終戦記念日で、なんだか不思議なものを感じるので、その概要を記しておきます。

 姉夫婦は8月初めから車で旅行に出かけていました。8月9日、カリフォルニア州からユタ州に出て、砂漠地帯を走っていたときのことだそうです。

 姉の夫(←アメリカ人)が、史跡の案内板があったと言い出しました。やがて、路肩に小さな空き地が見えてきました。姉夫婦は車を止めましたが、そこは石ころだらけの黄色い砂の空き地が広がるばかりでした。

 しかし、またしても姉の夫が、その地の由来を記した一枚の小さなプレートを見つけました。そこが史跡であることを示すものはそれだけでした。“Japanese-Americans”という語が姉の目に飛び込んできたので、姉は驚いて、そのプレートに記された説明を読みました。

 そのプレートには、次のようなことが書かれていたそうです。

 「第二次世界大戦中、カリフォルニア州にいた日系アメリカ人は、カリフォルニア州東部のマンザナーにある収容所に収容された。そのマンザナー収容所で“troublemaker”であったり、アメリカに忠誠を宣誓しなかったりした日系アメリカ人男性30~40人ほどが、懲罰の目的で、ユタのこの地に設けられた特別収容所に送られてきた。

 この特別収容所に収監された日系アメリカ人男性たちは、マンザナー収容所に再び送り返された人もいたが、この特別収容所で処刑された人もいた。

 これは、私たちの国の、罪の無い日系アメリカ人を苦しめた、歴史の誤り、拭い去ることのできない汚点である。」

 しかし、この特別収容所跡には、鉄骨の土台が地面に埋まっているだけで、もう何も残っていません。今はただ、黄色い砂漠と黄色い岩の山々が何百マイルも広がる中、砂ぼこりの風が吹いているだけで、通る車もほとんどなく、ここに車を止める人が一日何人いるだろうという感じの土地です。

 姉はその風景を眺めながら、「ああ、なんてかわいそうなんだろう。こんなところに連れてこられたなんて」と、胸が痛くなったそうです。日中は40度以上の高温で、辛かっただろうに、と。
 
 姉はもう二度とここに来ることはないだろうと思いながら、再び風景を見渡して、心の中で「安らかに眠って下さい。この話はみなに伝えますから」と言って、そこを離れました。
 
 そのユタの砂漠の中を、日本人や日系人が通ることが一年に何回あるだろうか、と姉は不思議でたまらず、よく車を止めて案内を読んだな、と思ったそうです。

 姉からこのメールを受け取ったあと、私はざっと検索してみました。でも、インターネットのレベルでは、ユタ州に存在した、30~40人という極めて小規模な日系アメリカ人収容所のことについては、まったく何も分かりませんでした。

 しかし、この8月15日に、姉が8月9日に体験したことを知って、私は何か縁のようなものを感じました。それで、私もこの話を伝えたいと思う次第です。
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