「マニュエル・ルグリの新しき世界」Bプロ(2)

  再び念を押します。Bプロに参加したダンサーたちのファンのみなさまは、くれぐれも読まないよーに。この(2)は特に。

  第2部。

  「マリー・アントワネット」(パトリック・ド・バナ振付)、ダンサーはアニエス・ルテステュとパトリック・ド・バナ自身。

  衣装が面白かったです。ルテステュはシースルーの白い生地で作られた、腕にフィットした肘までの袖口にフリルの飾りが幾重にもつき、また胸を寄せあげ、胴体部分をぎゅっと締めた感じのラインという、ロココ調のドレスを思わせる上着を着ていましたが、下は白いパンツだけで、しかも生脚でした。ド・バナはそれの男性版です。同じ素材の生地で、ロココ調デザインの長い上着とベスト、首にはスカーフを結んでいます。下はやはりパンツのみ。

  ルテステュとド・バナは舞台の真ん中に置かれた椅子にそれぞれ座り、それから立ち上がって踊り始めます。ルテステュは悲しみにくれた表情をしています。ベタな解釈をするなら、ルテステュはもちろんマリー・アントワネットで、しかも革命後に幽閉された身なのでしょう。ド・バナはマリー・アントワネットの人生、あるいは運命そのものといったところでしょうか。ちょうど、アルベルト・アロンソ振付『カルメン』の「運命」みたいなものでしょう。

  マリー・アントワネットの生涯を暗示するような振付の踊りでした。振付は「コンテンポラリー」だと思いますが、特に特徴的だとか、印象に残ったとか、すばらしいとか思った振りはありませんでした。どちらかというとワンパターンな動きが目立ちました。たとえば、ド・バナがルテステュの両腕を持って、ルテステュの身体を低く振り回すリフトとか。

  あとは踊りというより、演劇的な仕草を踊りっぽくした動きばかりでした。はっきり言ってルテステュほどのダンサーにはあまりに役不足で、彼女の才能を無駄に遣っていると思いました。

  天下のパリ・オペラ座バレエ団で、それこそ多くの優秀な振付家たちの、多種多様なスタイルの作品を踊りこなしてきたベテランのエトワールが、なんでこんなのに簡単に引っかかるのか、と疑問でした。

  「ハロ」(ヘレナ・マーティン振付)、ダンサーはヘレナ・マーティン自身。

  ヘレナ・マーティンはフラメンコ・ダンサーのようですが、腕や脚の動かし方は多分にバレエ的で、体つきは豊満ですが割とほっそりしています。スペイン国立バレエ団に長く在籍していたそうなので、純粋な民族舞踊としてのフラメンコ・ダンサーではなく、バレエと融合した創作舞踊としてのフラメンコ・ダンサーなのでしょう。

  縁に長い房のついた淡い金色のショールを大きく振り回しながら、舞台じゅうを旋回する動きがメインの振付でした。あとは少しばかり、激しくタップ(と言うのか?)を踏む動きもありました。

  繰り返しになりますが、なぜ一流の優秀なバレエ・ダンサーは、こういうのにいともたやすく引っかかってしまうのでしょうか?バレエしかやってこなかったから、他の世界を知らないのか?だから見たことのない踊りなら即座にすごい、と思ってしまうのか?しかも、なんでみな判で押したようにフラメンコに惹かれるんだろう?不思議でならん。

  「ドニゼッティ・パ・ド・ドゥ」(マニュエル・ルグリ振付)、ダンサーは上野水香、高岸直樹(ともに東京バレエ団)。

  当初の予定では、デヴィッド・ホールバーグが上野水香とこの作品を踊る予定でしたが、ホールバーグはフリーデマン・フォーゲルの代わりに「アザー・ダンス」を踊ることになったため、「ドニゼッティ・パ・ド・ドゥ」のリハーサルで、上野水香の相手役を務めていた高岸直樹が出演することになったそうです。

  フォーゲルの負傷にともなう一連の変更は、すべてマニュエル・ルグリの判断によるそうです。ホールバーグは元々「アザー・ダンス」をレパートリーとしていたようですし、高岸直樹はリハーサルでホールバーグの代わりに上野水香と踊っていたのですから、しごくまっとうな判断だと思います。

  この「ドニゼッティ・パ・ド・ドゥ」は、2007年の「ルグリと輝ける仲間たち」で、ドロテ・ジルベールとマチュー・ガニオ(ともにパリ・オペラ座バレエ団)が踊ったのを観ました。あの黒を基調にしたアゲハ蝶みたいな色彩の衣装で思い出しました。

  ルグリはパリ・オペラ座バレエ団の若手プルミエール・ダンスーズ、もしくは若手エトワール級のダンサーをこの作品の踊り手として想定していたわけで、もちろんクラシック・バレエのテクニックを最優先した振付です。

  上野水香と高岸直樹の踊りがどうだったかは言うまでもないですね。ですが、アダージョは、上野水香はむしろホールバーグと踊るよりは、高岸直樹と踊って正解だったんじゃないでしょうか。二人の踊りはよく合っていたと思います。

  会場に貼り出されていた掲示には、「ドニゼッティ・パ・ド・ドゥ」では男性ヴァリエーションは踊られない、と書かれていました。でも高岸直樹はヴァリエーションを踊りました。コーダもなんとか踊りぬきました。最後のマネージュでは脚がほとんど上がらなくなっていて痛々しかったですが、高岸直樹のダンサーとしてのプロ根性はすばらしいと思います。

  とはいうものの、いいかげんやめてほしいんです。上野水香を海外の有名ダンサーのガラ公演にねじりこんで、いわゆる「抱き合わせ販売」をすることによって、「上野水香は日本を代表するバレリーナである」という既成事実を無理に作っているとしか思えないやり方は。もちろん、上野水香がそうされるにふさわしいダンサーなら何の文句もありません。でも、少なくとも今の彼女はそれほどのダンサーではないと私は思うし、むしろ彼女をこういうやり方で甘やかしてチヤホヤすることで、逆に彼女の成長の芽を摘んでしまっているのではないか、そんな気さえします。

  上野さんに関しては面白いことが起きました。「ドニゼッティ・パ・ド・ドゥ」のカーテン・コールが終わって、幕が完全に閉じられて照明が暗くなったとき、幕の裏側から、トゥ・シューズで大股に歩いていっているらしい、ゴツゴツゴツゴツ、という大音響が聞こえ、それに続いてまたも大音響で、ガンガンガンガン、と階段を下りていっているらしいトゥ・シューズの音が客席じゅうに響きわたりました。こんなバレリーナは初めてです。ますます気持ちが滅入りました。

  「マリー・アントワネット」、「ハロ」、「ドニゼッティ・パ・ド・ドゥ」の3連チャンで、気分がすっごく盛り下がってしまいました。

  「失われた時を求めて」(ローラン・プティ振付)より“モレルとサン・ルー”、ダンサーはギヨーム・コテ、デヴィッド・ホールバーグ。

  サン・ルー(ギヨーム・コテ)がモレル(デヴィッド・ホールバーグ)に誘惑され、篭絡されてしまうシーン。コテもホールバーグも肌色の全身レオタードという衣装のため、身体のラインが露わな上に、まるで裸のようでギョッとする。ホールバーグは「アザー・ダンス」で下ろしていた前髪を撫でつけたオール・バックで、なおさら大人っぽく見える。コテは前髪を下ろしたままで、やや気弱そうで頼りない感じ。

  ストーリーははっきりしていて、デモーニッシュな雰囲気を漂わせながら時に強引に、時に甘く言い寄るモレルを、サン・ルーは拒みながらも徐々に彼に惹かれていき、ついにはモレルの足にキスをするに至る、という結末。

  額を出して髪を後ろに撫でつけたホールバーグが、サン・ルー役のギヨーム・コテを見据えながら、傲然とした態度でゆっくりと歩み寄っていく横顔が、なかなか迫力がありました。あらためて、ホールバーグは大人になったわねえ、と感慨深かったです。数年前の小林紀子バレエ・シアター『くるみ割り人形』(「レ・シルフィード」だったかな?)での、あの超ヘタレな踊りっぷりが夢のよう。

  振付は難しくありません。クラシックの振りをベースにして、二人が同じ振りで踊ったり、二人で組んで踊ったりというものでした。特に二人で組んで踊るとき、サン・ルーとモレルが互いの身体をエロティックに絡ませたまま静止する振りが多く、ホールバーグとコテの重なり合った身体と交差する手足が作り出すフォルムがとても美しかったです。

  ただ、モレル役のホールバーグはブロンドで背が高く大人びた顔立ち、サン・ルー役のコテは褐色の髪でホールバーグより背が低くて少年ぽい顔立ち、と見た目的にはバランスが取れていましたが、コテのテクニックがやや危なっかしくて、冒頭で一人で踊っているときは少し不安定でした。

  ふと思ったんですが、サン・ルーをフリーデマン・フォーゲルがやったらどうかなあ、と。イメージ的には似合うような気がするんですが。それとも、ホールバーグと背丈がそんなに変わらないかな?この踊りは、踊り手によってかなり異なった雰囲気を醸し出せる作品だろうと思いました。

  『三人姉妹』(ケネス・マクミラン振付)より別れのパ・ド・ドゥ、ダンサーはシルヴィ・ギエム、マニュエル・ルグリ。

  このBプロでギエムとルグリが何を踊ってくれるのか楽しみにしてたんだけど、結局はニコラ・ル・リッシュがマニュエル・ルグリに変わっただけなような気が・・・。ギエムとルグリで新しいことをやるんじゃなくて、ギエムの踊れる作品にルグリが付き合っているだけという印象が残りました。

  それでも第1部の「優しい嘘」は凄まじくすばらしかったですが、この『三人姉妹』はねー、なんというか。

  このパ・ド・ドゥは、ヴェルシーニン(マニュエル・ルグリ)がマーシャ(シルヴィ・ギエム)に別れを告げにやって来て、そこで踊られるものです。もちろんギエムは淡いクリーム色の膝下丈のドレス、ルグリは例の軍服姿です。

  『三人姉妹』最大の見せ場で感動的な踊りのはずですが、あのギエムとルグリが踊ったにしては、何の感動も抱けませんでした。ギエムもルグリもともに練習不足というか、踊りこみ不足のような印象を受けました。二人ともそこそこ踊っているけど、今ひとつ物語、ヴェルシーニンとマーシャの複雑に交錯する心情が伝わってきません。

  それから、ルグリはパワー不足ではなかったかと思います。もしくは、踊り全体が小さい上に、やたらと細かいステップにこだわり、目的が足技の披露に傾いていた観がありました。このシーンでのヴェルシーニンの踊りが持つはずの骨太さ、スケールの大きさが感じられません。

  精密な機械人形があわただしく踊っているような、ちっさい「別れのパ・ド・ドゥ」でした。パリ・オペラ座バレエ団のダンサーが踊ると、どうしてもこうなってしまうのでしょうか。

  ギエムがルグリに合わせて、『オネーギン』からタチヤーナとオネーギンの別れのパ・ド・ドゥを踊ればよかったと思います。それならすごく話題になったに違いありません。でもギエムはタチヤーナを踊ることを許可されていないそうですから、はなから無理な話ですが。なんでクランコ財団はギエムに踊らせないのかね?今どきは中国国立バレエ団だって、すっごいショボいセットとショボい踊りでも『オネーギン』を上演しているご時世だというのに。

  そんなわけで、個人的には、トリの『三人姉妹』が不発に終わってしまいました。こんなことなら、「優しい嘘」をトリに持ってきたほうがよかったかもしれません。

  またお金の話で恐縮ですが、これでS席19,000円は高すぎます。妥協しても15,000円くらいが適当だと思いますよ。実際のパフォーマンスから値段をつけるとすれば。2月もまだ初めにして、さっそく2010年の「少しくらい金返せ賞」候補が決まってしまいました。
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コメント
 
 
 
同感です (ここなっつ)
2010-02-12 10:52:16
6日のマチネを観ました。何かつまんなくて・・・。ガラだから「感動」することは少ないとは思いますが、最後、軍服の似合わない軍人を見てしまったのも、痛かった・・・。

少し予想をしていたので、2階の後ろの席でしたので、「悔しい」程度は大きくなかったですが。
 
 
 
Aプロのほうが本気だったのかも? (チャウ)
2010-02-12 22:09:19
ほんとは、ルグリ的にはAプロのほうが本当にやりたかった舞台だったのかもしれませんね。

もちろん、ルグリほどの人が、Bプロの段取りや準備をおろそかにしたなんてまったく思いません。
それでも、以前の「ルグリと輝ける仲間たち」を思い出すと、今回のBプロはちょっとな~、と思いました。

でも、「優しい嘘」は本当にすばらしかった!です。
 
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