全豪オープン2013 ロジャー・フェデラー総括-3


 注1:以下の記事はあくまでド素人の感想なんで、テニスに精通しているファンのみなさまにとっては噴飯物の内容だと思います。寛容なお心持ちで笑い飛ばして下さると幸いです。

 注2:バレエ・ファンのみなさまにとっては、「チャウは気が狂ったか」と思われて当然なほどイタい記事ですので、触らぬ神に祟りなしで読み飛ばして下さると幸いです。


 準決勝 対アンディ・マレー(イギリス)

   4-6、7-6(5)、3-6、7-6(2)、2-6

  またしてもフルセットマッチでした。マレーが終始押し気味でしたが、フェデラーはわずかなチャンスを見つけてそれに乗じるのが上手いので、私には最後まで分かりませんでした。第4セットなんて、マレーのサービング・フォー・ザ・マッチをブレークして、タイブレークとフルセットに持ち込みましたからね。いやはや、すごい執念と強靭さでした。

  マレーは絶好調だったです。良いファースト・サーブがバンバン入って、エースを2ケタも取ってました。コントロールも良かったし、精神的にも最後まで崩れませんでした。去年のウィンブルドン決勝で負けてベソかいてたのがうそみたいな強さでした。

  フェデラーの最も大きな敗因は、ファースト・サーブが良くなかったことだと思います。確率も低かったですが、それ以上に速度や角度などの質が良くありませんでした。そのため、ファースト・サーブがことごとくマレーに返されてました。サービス・エースは1ケタ台でした。フェデラーにしては、これは非常に少ない数です。

  フェデラーの強みの一つは、ここぞというときに物凄いファースト・サーブを打ってポイントを取れることですが、しかし今日はファースト・サーブの入りも質も良くなかったため、自分のサービス・ゲームをキープできませんでした。

  それで、逆にマレーのサービス・ゲームをブレークしても、またブレークし返されてしまいました。

  フェデラーの凡ミスは40個以上はありました。でも、マレーの凡ミスも似たり寄ったりの数でしたから、凡ミスはそんなに関係ないと思います。ただし、ウィナーはマレーよりも断然少なかったです。自分のサービス・ゲームでラリーに持ち込まれ、マレーのコントロールが利いた、かつパワフルなリターンに打ち負ける場面が目立ちました。一方、マレーは安定したサーブとリターンで、自分のサービス・ゲームを守りぬきました。

  しかし、ファースト・サーブさえ良ければ、フェデラーはおそらくマレーに勝てていたと思います。一昨日、ツォンガとフルセットマッチを戦い抜いた上に、今日はあれだけサーブが不調でも、今大会をずっとストレートで勝ち上がってきた絶好調のマレー相手に、フルセットマッチにまで持ち込んだんですからね。

  もう一つ思ったのは、「また、テニスがパワー中心の時代になってしまうのか」ということでした。マレーのリターンは強打中心で、常に直線的です。ネットにもなかなか出ません。

  ネットに出た数とネット・プレーでの得点率は、フェデラーのほうが圧倒的に高かったです。技術的な見ごたえがあったのも、やはりフェデラーのプレーのほうでした。ここでそう対応するかー!という変わったことをやります。発想が他の選手とは異なるんですね。

  それでも、マレーの強打には勝てませんでした。決勝はノヴァク・ジョコヴィッチ対マレーです。パワーを強みとする、同じようなプレー・スタイルの選手同士が戦うことになりました。たぶん、ジョコヴィッチが勝つでしょう。

  テニスはスポーツですが、基本的には興行、つまり見世物です。興行する側というのは、「観客を飽きさせないため」に、常に「ドラマ」と「変化」を演出しようとするものです。テニスでは、その一つに「世代交代劇」があります。

  テニスを興行する側が現在のフェデラーに期待しているのは、フェデラーが「新たなる王者」や「期待の新星」的な若い選手の前に、みじめに敗れ去ることです。そして、こうオチをつけたいわけです。「フェデラーの終焉を決定づける象徴的な試合となった」と。

  今回の全豪オープンでフェデラーが組み込まれたドローからは、興行側のこうした思惑と期待が見て取れるように思います。

  元プロテニス選手の杉山愛さんが、フェデラーがいまだにプレーを続けていられるモティベーションは何なのか、どういうふうにして自分をモティベイトしているのか、フェデラーにぜひ聞いてみたい、というようなことをブログに書いていました。

  私が思うのは、「若い選手に惨敗しろ、そして、落ちぶれて引退しろ」という周囲の「期待」の中でプレーをするのは、どんな気持ちがするものなのか、ということです。

  フェデラーが挑戦しているのは、あるいは、少なくとも結果的にフェデラーが革新しているのは、普通に見れば将来まだまだこれからの若者たち、10代や20代の選手たちを「モノ」扱いして次々と使い捨てにしていく、興行としてのテニス界が持つ残酷な特性そのものではないかと思えます。

  フェデラーが一選手としてツアーをこなすと同時に、選手を代表して興行側と交渉し、選手全体、とりわけ下位選手に対する待遇の改善と向上とに積極的に取り組み、また下位選手がランキングを上げやすいポイントシステムを支持しているのも、大半の選手たちが置かれている厳しい現実をかつては自分も経験し、またその後も自分自身の目で見てきて知っているからでしょう。

  フェデラーの夫人であるミルカさんも元プロテニス選手でしたが、20代前半で怪我のために現役引退を余儀なくされ、人生に絶望した経験を持つ人です。当時、すでにミルカさんと恋人同士だったフェデラーは、そうしたミルカさんの姿を身近で見ていました。

  今大会の何回戦だったか、実況中継が言っていたことには、ミルカ夫人は現在、フェデラーの選手生活を様々な面でオルガナイズしており、「パーフェクト」な人材なんだそうです。

  スポーツ選手の「セカンド・ライフ」は、どの国にもある社会問題の一つです。日本でもそうです(あの河野太郎衆議院議員も指摘している)。大半のスポーツ選手は、現役生活が終われば人生が事実上終わってしまいます。引退後の生活設計はないに等しい。たった20代や30代の若さで。ひどい場合には10代で。

  フェデラーは一流企業のスポンサーがたくさん付いている大金持ちじゃないか、という反感を持つ人々もいるでしょうが、「年齢のせいで衰えたフェデラー」、「劣化した元王者フェデラー」に、いまだにあれほど多くの、また新しいスポンサーがどんどん付いている(去年の年末にはモエ・エ・シャンドン社が加わった)のは良いことです。

  一つには、フェデラー自身のセカンド・ライフのため、もう一つには、「ロジャー・フェデラー」には依然として莫大な「商品価値」があるという事実を示すことで、現役の選手代表として、興行側に対する大きな影響力を保持し、必要なときにはその影響力を行使できるからです。

  しかしそれには同時に、ずっと世界ランキングのトップに居続けることも必要な条件です。もちろんフェデラーはテニスが好きで好きでたまらないから現役を続けているのでしょうが、一方で常識的な視点からテニス界を眺めてもいて、選手たちが若くして使い捨てにされる現状に違和感、甚だしくは抵抗感さえ抱いていると思うのです。

  そうした現状に挑戦し、それを改善しようとしているのだとすれば、フェデラーのレジスタンスは今回も充分な戦果を得たと考えてよいでしょう。フェデラーはまだまだ終わらないということを、今日の試合は逆に証明してしまいました。試合終了後、コートを去るフェデラーに対して、観客が総立ちでスタンディング・オベーションを送ったあの光景が、それを如実に示しています。

  まあ早い話が、31歳の「おっさん」ロジャー・フェデラーが、グランド・スラムの準決勝にまで行ったのはすごいね、ってことです。

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