違いのわからない女~おばんざい編~

  先週の土日は京都に行っていました。仕事で行ったのです。仕事は土曜日だけでしたが、せっかくの京都ですから、土曜日の夜は京都に泊まり、日曜日はプチ観光をして、夕方の新幹線で東京に戻ることにしました。

  観光の時間は半日しかありませんでした。多数決(割と大勢で行った)により、嵐山散策ひとつに絞るということに決定しました。

  京都駅から嵯峨野線に乗り、嵯峨嵐山駅で下車しました。まず天竜寺に行きました。天竜寺は修学旅行のときに来たことがあります。そのときの記憶はほとんどありませんが、ただ寺の境内を流れている小川に、黒い鯉が大量に生息していた覚えがあります。小川に指を突っ込むと、指をエサと間違えて群れなして食いついてきました(←我ながらアホなことしか覚えてない)。

  その小川の川底がコンクリート製になっていて、黒い鯉たちの姿はまったく見えませんでした。ちょっと残念。

  夢窓国師がデザインしたという庭はとてもきれいでした。嵐山の濃い緑の森を背景にして、その下に大きな池があり、石で流水を描き(石庭)、処々に四季の草花が植えられて、実に絶妙な配置です。

  度重なる火災により、寺の現在の建物はほとんどが明治時代に再建されたものだそうです。それでもオリジナルの姿を忠実に再現しているのでしょう、平安時代っぽい建物が面白かったです。上の写真も天竜寺です。雨戸に相当するものなのでしょうね。名前は同行者の一人が教えてくれましたが、高校の古典の授業で「源氏物語」とか「枕草子」とかに出てくるような名前で、忘れちゃいました。

  お昼ごはんはちょっとお値段の高い和風レストランで食べました。「湯豆腐とおばんざい御膳」です。前の日、土曜日の晩ごはんは仕事の延長の立食パーティーで、出された品は東京の食べ物とまったく変わりませんでした、それで、「湯豆腐とおばんざい御膳」を前にして、ようやく「京都」らしいものが食べられる、と気分はウハウハでした。

  湯豆腐は嵐山の名物らしいです。食べ方は東京と変わりません。でも、豆腐の他に水菜みたいな野菜も入っていたかな?「おばんざい」とは京都の家庭料理のことだそうです。黒豆の入ったおこわ、鶏肉とかぶとちらし卵のお吸い物、野菜や湯葉の煮物、刺身、漬物などがありました。

  やっと京都らしい料理にありついたと思ったのですが、食べているうちになんだか段々と飽きてきてしまいました。なぜかというと、漬物と湯豆腐の漬け汁(醤油ベース)を除いて、他の各料理の味つけがすべて同じなのです。つまりお出汁の味です。どれを食べても同じような味がしました。

  食べているうちに、徐々に料理を「食べている」というよりは、「片づけている」という感じになってきました。味のない(と私には感じられる)カボチャの煮物をもそもそと食べているうちに、京都の人は、本当に毎日こういう味の薄いものばかり食べているのだろうか、飽きないのだろうか、と思えてきました。

  お昼ご飯の後は嵐山を登って化野念仏寺まで行きました。大雨が降った翌日とあって、蚊に刺されまくりました。でも竹林に挟まれた小道が実にきれいで、盛んに写真を撮っていると、同行者の一人に「写真の通は竹林そのものを撮るのではなく、西日が射して地に影を倒す竹林の根元を撮るものだ」と言われました。

  私がそのとおりにしようとしたところ、その人は今度は「デジタルカメラでは良い写真は撮れない」とケチをつけてきました。私はかまわず写真を撮り、撮った画像をその人に見せつけてやったところ、その人は一転して「お、うまく撮れたじゃん、後でデータを送って」としゃあしゃあと言いました。

  タクシーを拾って京都駅に戻りました。夕ご飯は車窓の風景を眺めながらの駅弁ですませるつもりでした。もう京都の「おばんざい」は充分に堪能したし、味の濃い料理の駅弁を買おう、と思いました。

  ところが、私が立ち寄った駅弁販売コーナーは、「京都のお弁当」専門店でした。急いでいた私は(←発車5分前)販売員のお姉さんに聞きました。「どれがいちばん売れ行きがよいですか?」 お姉さんはニッコリ笑って言いました。「こちら、『京のおばんざい弁当』となっておりま~す♪」 しまった、と思いながらも、聞いちゃった手前、私はその「京のおばんざい弁当」を買いました。

  静岡の浜名湖を通過したあたりでお弁当を開きました。お昼に食べたおかずとほとんど、というかまったく同じおかずでした。ただご飯だけが普通の白米でした(上にじゃこを散らしてあった)。あと牛肉の煮たのがありました。

  箸に挟んだ煮たカボチャを見て、「デジャ・ヴュだな~」と思いました。結局、お昼に食べたのとほとんど同じおかずを黙々と「片づけて」いきました。最後に牛肉の煮たのを口に含んだ瞬間、お出汁の味がしました。味のない(と私には感じられる)牛肉をもぐもぐと食べながら、心の中で「もう勘弁してくれえ~!」と叫んでいました。

  同時に、私の脳裏にはある疑念が湧いてきました。嵐山のレストランといい、駅弁といい、これら観光客向けの「おばんざい」というものは、わざと激薄な味つけにしてあるのではないか?ということです。

  京都の地元の人は、もっと味のあるおかずを食べているのではないでしょうか。私が「おばんざい」には味がない、と感じたのは、決して私が東北出身であることだけが理由ではなかろう、と思います。

  それに、私は10数年前にも京都に行ったことがあり、嵐山にも行きました(そのときは天竜寺には行かなかった)。渡月橋のたもとにある料亭がありまして、そこは湯豆腐メインの料亭だったのですが、湯豆腐以外にも季節のお弁当を出していました。そのお弁当がたいそうおいしかったのです。

  今回は、お昼ご飯の予約をとってくれた人の手前もあって(←京都在住の人なので)、その料亭のことを言い出せませんでした。ですが、実はこの秋にも、もしかしたら京都に行くかもしれません。もしあの料亭がまだあるのなら、次こそリベンジしたいと思います。  
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