四川の地震(3)

  朝のテレビ・ニュースはやはり都江堰の被害状況ばかりを報道していた。

  職場でまたいろいろな人と話した。成都にいる友人(日本人)と電話で話したという人がいた。その人の話によれば、成都の揺れはそんなにひどくなかったそうだ。日本でいえば震度3くらいの揺れではないか、ということだった。だから成都の被害はそんなに大きくなかったらしい。

  でも、テレビのニュースでは、成都の人民広場に野宿する人々の姿が映し出されていた。あれはどういうことだろう。

  今、中国の都市は不動産バブルである。次々と高層マンション群が建てられている。企業や機関ごとにその職員が居住するマンション群を建設するために、おのずと収入による居住地域の区別化が進んでいる。早い話が、富裕層の住むマンション群が、コロニーを形づくって郊外を主として点在しており、貧困層は昔ながらの下町にある古い団地に住む、という状況になっている。

  中国では10年ほど前に建築物の耐震基準に関する法律が施行されたが、厳密に守られているとは素人目に見てもまったく思えなかった。30階建ての高層ビルがたったの2、3ヶ月で建ってしまう。ちゃんと基柱を地底に打ち込んでいるのか、柱に鉄筋は入っているのか、疑わしく思えてしまう。冗談だろうが、中国のほとんどのビルの「鉄筋」は、実は竹の棒だ、と聞いたことがある。

  成都でテント生活をしている人々は、おそらく貧困層に属する人々なのだろうと思う。彼らが住んでいたのはたぶん古くて脆い建物で、震度3程度の揺れにも堪えられなかったのだろう。

  結局のところ、私が知りえた地震に関する「情報」とは、多少の地震が起きても被害を受けないような階層の人々を通じてのものなのだ。現に彼らはつつがなく、平常と変わらない生活を送っているという。彼らにとって、地震はまるで別世界で起きた他人事のようなのかもしれない(もちろん、会社や機関ごとに存在する共産党の委員会の指導によって、募金活動が行なわれ、寄付金が集められているはずだが)。

  1976年にも中国は大地震に見舞われている。河北省の唐山を震源とする地震で、20万人の死者が出たといわれている。当時、北京にいた中国人に聞いてみたら、唐山大地震のときは北京も大きく揺れたという。76年、その中国人は大学生で、学生宿舎に居住していた。地震が起きたのは真夜中だった。驚いた学生たちは建物から寝巻き姿のままで外に飛び出した。

  「中国人は地震に慣れていない。地震に関する知識もない。私もワケも分からず、とにかく自分の部屋があった3階から階段を駆け下りて外に出た。建物が密集しているところでは、外に出るのは逆に危険だということは、日本に来てはじめて知った。だけど、今回の地震のように、中国では地震が起きたとき、屋外に出ても危険だが、屋内にいればもっと危険だ。」 この中国人も、中国の建物が地震に対していかに脆いかを言っていた。

  帰宅して夜のテレビ・ニュースを観た。地震発生後3日目にして、ようやく震源地の汶川、震源地に近い綿竹、綿陽、北川の映像が流れ始めた。汶川の映像は人民解放軍のヘリか、中国の国営放送のヘリが上空から撮影したものらしかった。海外のメディアは山岳地帯にある汶川には、さすがにまだたどりつけていないらしい。だが、綿竹、綿陽、北川などの都市から、日本のメディアが中継していた。

  当局が許可すれば、海外のメディアはいずれ汶川にも入るかもしれない。これらの中小規模の都市以外にも、村、鎮、庄などの小さな行政区域が点在している。これらの地域の状況はどうなっているのだろう。考えれば考えるほど恐ろしくなってきた。
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