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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

縄文時代の盛土遺構

2011年12月04日 14時21分49秒 | えいこう語る
昨日午後、私の村から車で20分ほどの旧南茅部町で「南北海道考古学情報交換会」が開催された。
南茅部は国宝「中空土偶」の出土地域で、多くの縄文遺跡が発見されている。今回は「盛土遺構」についての解説があるというので出かけてきた。
盛土とは集落周辺に詰まれた「捨て場」である。
土器もあれば、人骨や魚や動物の骨もある。
縄文時代はすべてのものに魂があり、再生を願っていたようである。「祭祀」を含む「モノ送り」の場としての研究もなされているようだ。
様々な角度から考察しているが、それを特定する結論には達していないという。
果てしなき想像性の世界、そこが縄文研究の魅力なのかもしれない。


考古学とは「お金にならない学問」のようだ。
ありとあらゆるものが想定され、その考えは果てしもないものだからだ。
果てしもないものは実態がつかめないので、価値がつき難いのだろう。
原子物理学はどうか。
「お金になる学問らしい」。文明の進歩に寄与するからだ。しかし、ありとあらゆるものを想定しなければならないものを、危険という壁の寸前で、それ以上の想定はやめ「安全・安心」という、人間に役立つ範囲にしておくからだ。などと、ふとそんな考えも浮かんでくる。
「捨て場」ということから想像すると、縄文のゴミは「遺跡」と呼ばれる。
私たちが置いていくゴミは、遠い未来の人たちからなんと呼ばれるだろうか。
特に「原発」の残骸は。
「盛土」で特に興味を惹かれたのは、北海道新幹線の新駅になる北斗市の「館野盛土遺構」からの発表である。
6メートルほど隆起した活断層を利用した「盛土」だ。そこに沿って集落が形成されている。
「壁」や「塀」のような用途で、風を防いだのではないだろうか。
その活断層は函館湾を縦断し、函館山方向に繋がっているという。北斗市と函館山の延長線上は、下北半島の太平洋側へと続く。活断層は以前地震が発生し、今後も地震が起きやすい断層ある。
大間原発が危険性が実感として沸いてくる。
その近くに「館崎遺跡」がある。この盛土の側には幅の広い道路があり、道路をつくる時に、削った土を盛土したものではないかとの解釈があった。
私は縄文時代にそんな幅広の道は必要ないのではないかと思う。
大雨になると、山から流れてきた雨が、道路に流れ込む。縄文時代に道は、川と同じ意味を持っていたのではないだろうか。だから道路の側に盛り土をして堤防を築いたに違いない。私の判断はそうだが、発表者すべてが持ち時間をオーバーをしてしまい、質問の時間がとれなかった。
考古学の研究者は、時間がどんなにあっても足りないくらい、想像を膨らませるらしい。
今年は10月にオープンした「中空土偶」の博物館に、すでに4度足を運んだ。
私の際限もない想像力、と言えばかっこよすぎるが、単なる妄想を受け止めてくれるのは、この博物館である。