一川、山岡両大臣の問責決議案が採択され、それと引き換えに国会の幕が下ろされた。
まるで田舎芝居のようなレベルの、幕切れである。
震災の復興、消費税やTPP問題など、歳末も正月も返上し、国会論戦をし続けなければならないはずだ。
すべてを先送りし、曖昧にしてしまおうという“野田式泥試合”なのだろうか。
“初心な泥鰌”と見せかけているが、実は長い間永田町の汚い水槽の中で、財務官僚に飼いならされた“オオサンショウウオ”の化身ではないかと、この頃確信に近いものを覚える。
幕切れの結果、公務員給与削減は見送られた。来年あるだろう総選挙の備えなのだろうか。
さらに、バカさ加減もあきれるほどの出来事が起った。
福島県のゴルフ場が、基準値を上回るセシューム汚染で、廃業をやむなくされ、その保障を東電に求めた裁判である。
「そこにあるものはそこの所有」として、東電の責任ではないという判決が出たらしい。裁判官も東電の放射能に汚染されているようだ。
※我が店の玄関までのアプローチ。海のそばなので、波止場をイメージして私が作ったが、尾瀬沼という人もいる。

我が北海道はどうか。北電の“やらせ”に道が関与した問題で、はるみ知事は「反論せず」という“だんまり作戦”に出た。
関与を認めた担当課長の処分は速やかで、知事自身の減給も発表した。関与を認めたということだが、知事選では3戦連続惨敗している、民主党の反撃が聞こえてこない。ここが北海道民主党の実態であり、気合のなさだ。ここもまた、はるみ知事の逃げ切り勝である。
そこに新幹線札幌伸長問題が浮上する。新幹線と引き換えに、在来線の経営分離が終始一貫したJRの主張である。
知事としては新幹線伸長で北海道全体の活性化を図りたい。そこで在来線存続を主張していた沿線自治体に、地域のエゴを通すか、それとも北海道の活性化を目指すかとの、“踏み絵”を迫った。
抗しきれないとする各自治体、次々と在来線存続を放棄している。
残るは余市町と函館市だ。昨日副知事が余市町を訪れ、町長に、16日期限の“踏み絵”を置いてきた。テレビから見る町長の表情から、誰もが踏むに違いないと見ている。
残るは我が函館市だ。
北海道の玄関口としての歴史的プライドがあるせいか、道庁では“わがままなな自治体”と思われていた。
前市長時代までは、新幹線駅を函館に持ってくるという強硬姿勢を貫いていたが、近隣の北斗市に新駅が決まった。そこで、北斗駅から函館駅への在来線の絶対存続を訴えた。
しかし、今年4月に就任した工藤函館市長。諸般の状況から存続は無理だと判断し、第3セクター方式で道の協力を得ようとの方向転換に出た。
ところが、存続を主張し続けてきた経済界や市議会からの、猛烈な反発を受ける。その在来線死守には、函館市連合町内会も加担しているのだ。
昨年の総会で「(前)市長が存続を訴えているし、市民生活を守るためには、町会が動き署名活動をしよう」との緊急動議がなされ、反対する声もなく可決してしまったのだ。まるで今国会の幕引きと同様である。結果、11万人もの署名が集まった。
この市民の声を武器として、経済界や市議会が、現市長に詰め寄っているという構図だ。
私が言いたいのは、充分な討議を経ないままで、世の中が進んでいく流れが出来つつあるということだ。その流れはやがて大海に放り出され、すべてを曖昧にしてしまう恐れがある。
その曖昧さの中の不安に、忍び寄るものは何か。
オウム的なものであったり、独善的な政治であったりするのではないか。
「何が正しいか」
次の総選挙あたりで、そろそろ国民も答えを出さなければならないだろう。
マニフェストという“踏み絵”。踏んでいいか踏まない方がいいか。
「皇国の興廃この踏み絵にあり」・・・「天気晴朗なれど波高し」。
3:11はそんな時代の幕開けなのかもしれない。
私の脳みそも、どうやら放射能汚染されたような気がする。
これって東電に訴えていいのだろうか。
裁判所の判決は「脳みそはあなたの所有ですから」と却下されるのは間違いない。
まるで田舎芝居のようなレベルの、幕切れである。
震災の復興、消費税やTPP問題など、歳末も正月も返上し、国会論戦をし続けなければならないはずだ。
すべてを先送りし、曖昧にしてしまおうという“野田式泥試合”なのだろうか。
“初心な泥鰌”と見せかけているが、実は長い間永田町の汚い水槽の中で、財務官僚に飼いならされた“オオサンショウウオ”の化身ではないかと、この頃確信に近いものを覚える。
幕切れの結果、公務員給与削減は見送られた。来年あるだろう総選挙の備えなのだろうか。
さらに、バカさ加減もあきれるほどの出来事が起った。
福島県のゴルフ場が、基準値を上回るセシューム汚染で、廃業をやむなくされ、その保障を東電に求めた裁判である。
「そこにあるものはそこの所有」として、東電の責任ではないという判決が出たらしい。裁判官も東電の放射能に汚染されているようだ。
※我が店の玄関までのアプローチ。海のそばなので、波止場をイメージして私が作ったが、尾瀬沼という人もいる。

我が北海道はどうか。北電の“やらせ”に道が関与した問題で、はるみ知事は「反論せず」という“だんまり作戦”に出た。
関与を認めた担当課長の処分は速やかで、知事自身の減給も発表した。関与を認めたということだが、知事選では3戦連続惨敗している、民主党の反撃が聞こえてこない。ここが北海道民主党の実態であり、気合のなさだ。ここもまた、はるみ知事の逃げ切り勝である。
そこに新幹線札幌伸長問題が浮上する。新幹線と引き換えに、在来線の経営分離が終始一貫したJRの主張である。
知事としては新幹線伸長で北海道全体の活性化を図りたい。そこで在来線存続を主張していた沿線自治体に、地域のエゴを通すか、それとも北海道の活性化を目指すかとの、“踏み絵”を迫った。
抗しきれないとする各自治体、次々と在来線存続を放棄している。
残るは余市町と函館市だ。昨日副知事が余市町を訪れ、町長に、16日期限の“踏み絵”を置いてきた。テレビから見る町長の表情から、誰もが踏むに違いないと見ている。
残るは我が函館市だ。
北海道の玄関口としての歴史的プライドがあるせいか、道庁では“わがままなな自治体”と思われていた。
前市長時代までは、新幹線駅を函館に持ってくるという強硬姿勢を貫いていたが、近隣の北斗市に新駅が決まった。そこで、北斗駅から函館駅への在来線の絶対存続を訴えた。
しかし、今年4月に就任した工藤函館市長。諸般の状況から存続は無理だと判断し、第3セクター方式で道の協力を得ようとの方向転換に出た。
ところが、存続を主張し続けてきた経済界や市議会からの、猛烈な反発を受ける。その在来線死守には、函館市連合町内会も加担しているのだ。
昨年の総会で「(前)市長が存続を訴えているし、市民生活を守るためには、町会が動き署名活動をしよう」との緊急動議がなされ、反対する声もなく可決してしまったのだ。まるで今国会の幕引きと同様である。結果、11万人もの署名が集まった。
この市民の声を武器として、経済界や市議会が、現市長に詰め寄っているという構図だ。
私が言いたいのは、充分な討議を経ないままで、世の中が進んでいく流れが出来つつあるということだ。その流れはやがて大海に放り出され、すべてを曖昧にしてしまう恐れがある。
その曖昧さの中の不安に、忍び寄るものは何か。
オウム的なものであったり、独善的な政治であったりするのではないか。
「何が正しいか」
次の総選挙あたりで、そろそろ国民も答えを出さなければならないだろう。
マニフェストという“踏み絵”。踏んでいいか踏まない方がいいか。
「皇国の興廃この踏み絵にあり」・・・「天気晴朗なれど波高し」。
3:11はそんな時代の幕開けなのかもしれない。
私の脳みそも、どうやら放射能汚染されたような気がする。
これって東電に訴えていいのだろうか。
裁判所の判決は「脳みそはあなたの所有ですから」と却下されるのは間違いない。