3:11以降、言葉が操作されているのではないかと感じる。
特に「安全・信頼」という言葉の意味が、揺らいでいる。
言葉は意思を相手に伝える手段だ。その意味は共通の理解により成り立つ。
「危険・不信」であるものに、ちょっぴりひねりを加えると「安心・安全」と伝わる。正確に言えば嘘をつくことだが、言葉にひねりを加えただけで、嘘をついているという、罪悪感が薄れる。
「神風が吹いて戦争に勝つ」
誰もが信じ難いことだが、国家やその上に鎮座まします“神”が担保となれば、国民は信じてしまうのだ。その背景には、ある種の“圧力(暴力といってもいい)装置”が働いているからだ。
「原子力発電は必要だ」
あの原爆を投下を思い出し、誰もが危険だと思っているが、国家繁栄に電力が必要だという背景があるので、原発に反対する者は、半ば“国賊”扱いになる。
原発を要らないと主張する者は、ロウソクで生きればいいというように、国民が国民を“村八分”する状態を作り出してしまう。これも目に見えない“圧力装置”が、作動しているからだ。
※雪雲が水平線に覆いかぶさっている。♪夜が明けたら一番早い汽車に乗って・・・という、淺川マキの歌が流れてきそうな朝だ。

“大阪維新の会”率いる橋下新市長、実に歯切れのいい言葉が飛び出す。
閉塞状態にある我が国を、改革しようとする意気込みさえ感じられる。
小泉内閣の「自民党をぶっ壊す」と同様「市役所をぶっ壊す」という、その勢いに市民が呼応した。
市役所という巨大組織、今あるものには対応ができるが、新しいものへの挑戦はまったく対応できない、既得権太りの組織になっている。
橋下氏の挑戦は、旧態依然とした自治組織の改革につながりそうなので、先行き不安な市民はそこに魅了されるのである。
「痛みを伴ってもいい」という、ある種の自虐的喜びも含まれているのだ。
「改革なくして大阪なし」
市民ばかりか、各政党までも秋波を送っている。
大衆が迎合する要素、どこかに危うさが漂ってはいやしないだろうか。
とはいうが、危うさがあるが必要だというのは、原発とどこかに通っているような気もする。
だが、橋下氏の教育条例の改正は、“圧力装置”そのものではないだろうか。
教育はある種の強制力であるが、人間の自由も保障されなければならない。
橋下氏の憲法感も聞いてみたいものである。
私たちは、3:11をテレビの画像を通じて、被害意識を共有した。
それにより国家の財政危機を自覚し、消費税導入も素直に受け入れてしまいそうである。
大阪は市の交響楽団の予算も削減の予定だという。
日本ばかりではなく世界中が混迷の状態にあるが、そんな時代こそ真実を見極める芸術の存在こそ、必要になってくるはずである。その兼ね合いも考慮して欲しい。
小泉元首相は忙しい公務をぬって、クラッシック鑑賞をしていたようだ。ヒットラーも然りである。
橋下氏はどうであろうか。
発言を詳細に分析する必要がありそうな人物である。
特に「安全・信頼」という言葉の意味が、揺らいでいる。
言葉は意思を相手に伝える手段だ。その意味は共通の理解により成り立つ。
「危険・不信」であるものに、ちょっぴりひねりを加えると「安心・安全」と伝わる。正確に言えば嘘をつくことだが、言葉にひねりを加えただけで、嘘をついているという、罪悪感が薄れる。
「神風が吹いて戦争に勝つ」
誰もが信じ難いことだが、国家やその上に鎮座まします“神”が担保となれば、国民は信じてしまうのだ。その背景には、ある種の“圧力(暴力といってもいい)装置”が働いているからだ。
「原子力発電は必要だ」
あの原爆を投下を思い出し、誰もが危険だと思っているが、国家繁栄に電力が必要だという背景があるので、原発に反対する者は、半ば“国賊”扱いになる。
原発を要らないと主張する者は、ロウソクで生きればいいというように、国民が国民を“村八分”する状態を作り出してしまう。これも目に見えない“圧力装置”が、作動しているからだ。
※雪雲が水平線に覆いかぶさっている。♪夜が明けたら一番早い汽車に乗って・・・という、淺川マキの歌が流れてきそうな朝だ。

“大阪維新の会”率いる橋下新市長、実に歯切れのいい言葉が飛び出す。
閉塞状態にある我が国を、改革しようとする意気込みさえ感じられる。
小泉内閣の「自民党をぶっ壊す」と同様「市役所をぶっ壊す」という、その勢いに市民が呼応した。
市役所という巨大組織、今あるものには対応ができるが、新しいものへの挑戦はまったく対応できない、既得権太りの組織になっている。
橋下氏の挑戦は、旧態依然とした自治組織の改革につながりそうなので、先行き不安な市民はそこに魅了されるのである。
「痛みを伴ってもいい」という、ある種の自虐的喜びも含まれているのだ。
「改革なくして大阪なし」
市民ばかりか、各政党までも秋波を送っている。
大衆が迎合する要素、どこかに危うさが漂ってはいやしないだろうか。
とはいうが、危うさがあるが必要だというのは、原発とどこかに通っているような気もする。
だが、橋下氏の教育条例の改正は、“圧力装置”そのものではないだろうか。
教育はある種の強制力であるが、人間の自由も保障されなければならない。
橋下氏の憲法感も聞いてみたいものである。
私たちは、3:11をテレビの画像を通じて、被害意識を共有した。
それにより国家の財政危機を自覚し、消費税導入も素直に受け入れてしまいそうである。
大阪は市の交響楽団の予算も削減の予定だという。
日本ばかりではなく世界中が混迷の状態にあるが、そんな時代こそ真実を見極める芸術の存在こそ、必要になってくるはずである。その兼ね合いも考慮して欲しい。
小泉元首相は忙しい公務をぬって、クラッシック鑑賞をしていたようだ。ヒットラーも然りである。
橋下氏はどうであろうか。
発言を詳細に分析する必要がありそうな人物である。