函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

新幹線と縄文

2013年01月18日 11時32分03秒 | えいこう語る
我が国に始めて新幹線が走ったのは1964年だ。
そして、北海道に新幹線が到着するのが2015年だ。半世紀遅れの到着となる。
この半世紀に、我が国は随分変った。ごく身近で考えると、変わったものの最大級はテレビだろう。
白黒で、映像が悪いとテレビを叩くと元に戻った。そんな時代から、まるで映画館のような大型の液晶テレビになったことだ。
そんな時代の変遷を体験してきた私は、今のテレビは畳がテレビに変身したのではないかと思っている。
この半世紀での文明の発達は、新幹線に乗ったような早さだった。
でもこんな素晴らしい世界なのに、生きることの充実感が希薄なのだ。
なんだか白黒であった時代が、皆が生き生きしていたような感じがしてならない。現代は色彩が氾濫しすぎて、色盲になったような気もする。世の中が見えにくくなった、そんな感じだ。
新幹線がやってくるというので、各地域がその恩恵にあやかろうと様々な動きが見られる。未来のまちづくりを目指しているが、今までの新幹線到着駅に見られたような、変わりばえのない発想のように思われる。
半世紀遅れの北海道新幹線には、何か違った役割があるように思えてならない。
私の住む地域一体は縄文遺跡の宝庫だ。
新幹線が到着する同年には、ユネスコの世界自然遺産の登録になるようだ。
※これはユネスコには登録されていないが、世界の恵山だ。高山植物と四季の変化がみごとだ。


縄文社会は「自然との共生」といわれ、持続可能な地球にするための多くのヒントが隠されている。21世紀は環境の世紀といわれるのは、自然環境をこれ以上破壊すると、この世紀で人類は滅びるのではないかという意味だと、私は考えている。
たぶんそう考えている人は多いに違いない。脱原発でいかなければ、原発事故で我が国は滅びる可能性があるからだ。
津軽海峡の地下トンネルを抜け、地上を走る文明の最大利器の新幹線で蝦夷共和国に出る。そこは縄文世界だ。
縄文の施設を見学し、北の海の幸が満載の縄文ランチを食べ、縄文露天風呂に浸る。日本近代史の生きた博物館といわれる函館と、その夜景を堪能する。身も心も表れて、また文明社会に戻っていく。
そんな道南観光圏ができないものかと、ストーブの音しか聞こえない早朝に考えてみた。
まだ決まっていない新幹線の駅名。函館北斗駅や北斗函館駅ではない。
未来の大地北海道だ。【どこでもドア駅】なんてのはどうだろうか。