▼2021年、旭川市でいじめにあった中学女子が凍死した事件は、健全な児童育成を図る、日本の教育の在り方について、大きな疑問を投げかけた。
▼この問題はいまだに解決に至っていない。市の教育委員会がまとめた報告書には、黒塗りがある。
▼先日この黒塗りがない報告書が、道外の市民団体のサイトで公開された。関係者は、本物に違いないという。
▼いじめ問題の委員を務めたことがある教授は「重要なのは被害者と遺族のプライバシーの保護。教育委員会の了承も得ずに、個人の一存で公にするのはよくない」と見解を述べる。
▼全くその通りだと思うが‟黒塗り”なるものが、本質を解明するのを妨げているのではないかという疑問も浮かぶ。
▼いじめ問題の解明には、教育委員会や学校、そして被害者の家族、さらに第三者委員会なるもので行なう。
▼多分教育委員会が主導しての会議となるので、その時点で真相解明は期待できない。なぜかというと、第三者委員会なるものは、体制側から指名された人物で、構成されているからだ。
▼私自身が教育行政の、第三者委員会に何度か属している経験から、体感でそう感じるからだ。
▼一言でいえば「教育行政に批判的なことを言わないように」というのが教育行政の本音だ。だからいじめ問題で行政主導で進めていくのは、本質的な解明は期待できないというのが私の結論だ。
▼退職した学校長と話したことがあるが、今の教育行政では‟いじめ問題”など、解決できないと話していた。現場の校長がそういうのだから間違いないだろう。
▼教育行政とは、その後ろに国家(文科省)がついているからだ。教育とは国家そのもの構成にかかわるものなので、現場からの意見は言いづらいというのが本音だろう。
▼「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」第26条(教育に関する事務の管理及び執行の状況の点検及び評価等)というのがある。
▼この評価は第3者委員会なるものが行い、それを議会に報告するというものだが、委員会に提出する評価報告書は、教育委員会が作成する。
▼つまり自分たちの仕事を、自分たちで評価しているということだ。これでは正しい評価とは言えない。そんな状態が健全な教育行政を、阻害しているようだ。
▼先日ブログで紹介したが、国連事務次長の中満 泉氏が理事長を務める「国連インターナショナル・スクール」では、国際的な教育プログラム(IB)を採用している。
▼この特徴は徹底的に思索型・探求型の、クリティカル・シンキング(批判的思考)を養うことだという。
▼日本の「批判的思考」は、世界的に見ても最低レベルだという。「批判的思考」とは、他者を批判することではない。
▼この思考法は、証拠やデータを広く精査・分析し、異なる視点を持つ他者の多様な意見を聞き、議論しながら進めていくというものだ。
▼中満氏は【教育に投資しない国に未来はない。教育改革が日本を活性化する】と指摘する。この指摘からして、我が国での「いじめ問題」は、一向に解決しないのではないかと思う。
▼単純に言えば、現在の教育行政には「自己批判」がないということだ。批判されることを恐れ、教育行政が根本から揺らぐと考えているからだ。
▼旭川市の「黒塗り報告」が、解除されたことに関し、旭川市長は「一番大事なのは被害者を保護することだ」と怒りの発言をする。
▼だが「黒塗り」にする体質そのものが、被害者の声なき声を排除しようとしているのではないか。「黒塗り」の中には、被害者の真の訴えが隠されているように思うからだ。
▼確か「黒塗り」が始まったのは「個人情報保護法」からだと思う。個人の情報を保護するという目的が、組織を保護するということに、濫用されてはいないかと思われる、旭川いじめ事件だ。
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