函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

津軽海峡

2013年01月11日 09時34分10秒 | えいこう語る
その昔、大和朝廷の政治支配が及ばなかった奥羽地方から北方の地域を、蝦夷と呼んでいた。
平安時代に入ると桓武天皇の命により、坂上田村麻呂が17年間にわたって奥羽の征討をおこない服従させる。この頃から蝦夷とは北海道を意味するようになった。
鎌倉時代の史書「吾妻鏡」には、戦に破れた者や強盗の類が蝦夷が島に流れたと記されている。源頼朝は奥州の藤原氏を滅ぼした後、津軽の豪族であった安東氏を蝦夷管領に命じている。
当時は蝦夷のことを「渡り島」といい、やがてその南端は渡島半島と名付けられる。北海道と改名されたのは明治2年のことである。
これら中央からの支配体制の推移から考えると、本州と北海道の間の海峡は「津軽海峡」と呼ぶのが筋だろう。
津軽海峡だから、元は青森県の領海に違いない。
もし青森県と北海道が仲が悪かったなら、北海道側は漁業料を支払わなければならないのではないか、と、たわいもないことを考えてみた。
こんなことを考えたのは、築地の初せりで、大間産のマグロが1億5千万円の最高値で落札されたからだ。
昨年の最高値もやはり大間産で、5千万円だ。その前が函館側の戸井町産で、3千万円台だった。
戸井町のこのマグロ船はその後、火災で沈没したという。
縄文時代にこの海峡を往来していた丸木舟は、大きいもので全長6メートルほどだったという。一攫千金のマグロを追うための船の建造費は、1億円もするという。津軽海峡はいつの世も「男のロマン」をかき立てるのだろう。
※除雪は大変だが、かき氷のようでおいしそうだった。


マスコミはそれを持てはやすが、マグロの初せりは安倍政権の公共事業の大盤振る舞いと似ている気がする。
その裏に隠されている、もっと大事なことを報道していない気がするからだ。
マグロ船団の操業地域からは、建設中の大間原発が見える。カメラは意識的にそこを避けているのではないだろうか。
大間原発は地上最強の猛毒である、プルトニウムを燃料とする我が国最大の原子炉だ。
肺への許容量は【4000万分の1グラム】といわれる。
事故が発生すればマグロの値段は【1億5千万円がゼロ】になりかねない。
「大間マグロVS戸井マグロ」の戦いは、今やマスコミのおかげで、紅白歌合戦をしのぐ勢いだ。
「安心・安全なクリーンエネルギー」と宣伝し、広告料をたくさん貰ったのもマスコミだ。
マスコミが喧伝するものは、眉につばを付けなければ、命取りになりかねないというのも、私たちは肝に命じるべきだ。
4日、戸井町で漁船が転覆し3人が亡くなった。
戸井町史を開くと、50年前の昭和38年1月、突風により漁師13名が死亡するという大惨事があった。
極寒の津軽海峡は、家族を守るための命との戦いなのだ。
津軽海峡のマグロ戦争、高値を煽るばかりがマスコミの仕事ではない。
津軽海峡が「安全・安心な海域」であり続けることを報道するのが、マスコミの使命ではないかと、早朝の前浜を眺めてふと心に寒風が吹き込んでくるのを感じる。
今日で4日連続波も風もないが、今朝のウニ漁も中止になった。
どうやら、寒気が厳し過ぎるのが理由のようだ。