函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

高齢化社会の倫理

2013年01月31日 11時51分24秒 | えいこう語る
加藤尚武教授の「環境倫理学のすすめ」という本がある。
環境倫理学には大きく3つの主張があり、その1つ「自然の生存権の問題」は、人間だけでなく、生物の種、生態系、景観などにも生存の権利があるので、勝手にそれを否定してはならない、というものだ。
「なぜ人類は地球生態系を破壊する可能性を持っているのか。それを回避する有効な決定システムを持っているのか」という問題を考えると、正義、権利、平等、自由というような価値の基礎概念や、近代化、進歩主義、保守主義というような歴史の基礎概念が、今日、どのような根本的な疑問に晒されているのかが見えてくるという指摘だ。
※これが我が村で、今が一番"超”旬な、とどホッケとサクラマスとおとひめ昆布だ。


時々、私のブログに登場する88歳と84歳の老夫婦のことだ。
84歳の奥さん、自宅でおじさんを風呂に入れることができないと、町会長の私に相談に来た。
以前から入浴介護を進めていたが、おじさんが拒否するので、おばさんはやれるだけやるといっていたが、心身の限界が来たという。
「自分は家で最期を迎えたい。施設に通い始めると最後は施設に入る羽目になるのでは」という、おじさんの言い分もよくわかる。
今回の入浴ディーサービスの手続きで、包括支援センター、保健士、役所福祉課、入居施設の4箇所の関わりを知った。
田舎なので関係者もほとんど顔見知りだ。手続きやおじさんへの心のケアーにも配慮された処理だったと思う。これが大きな町なら、コミュニケーションの配慮も欠くことがあり、報道されるような様々な問題が起きうるだろうと思う。
施設の迎えの車が来た時も、私はおばさんの代わりに付き添いした。
初めて入所する保育園児のように「帰りたい」と、泣いていやしまいが、心配で午後から様子をうかがいにも行った。
6時間ほどして帰宅したが、来週も行くとおばさんに話していたようだ。
おばさんはというと、南北戦争が終わり奴隷制度が開放されたような穏やかさで、1日を暮らしたようだ。
入居者は知り合いも多い。入浴後もみんなで集まり、リハビリを兼ねた競技をして楽しんでいるが、おじさんは仲間に加わらなかった。
環境に適応していくのが生物の本質というなら、やがて環境に慣れていくのだろう。
私は施設の中で、少し気になったことがある。
施設のBGM が民謡や演歌で、それが高音量だ。入居者のほとんどが難聴なので、音量を高くしているという。おじさんは難聴ではないので、うるさくて昼寝ができなかったといっていた。
10年後にこの施設にやってくる私の世代、どんなBGMが適当なのだろうか。
ブラームスやモーツワルトでの静かな環境で、好きな本を読んでいたい。そんな環境は、我がままの範疇なのだろうかと、ふと近未来を想像してみた。
自宅で生を終えたいというのは、人間本来の生存権なのだろう。しかし現状はそうはいかない。
「高齢化社会の倫理」についてちょっぴり考えてみた、お正月だと思ったら、あっという間に1月も終ろうとする、昨日の出来事だ。