函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

米国の銃規制

2013年01月04日 09時47分47秒 | えいこう語る
昨年12月、米国の小学校で銃乱射事件が起き、子供ら26人が殺害された。
事件のたび、二度と繰り返してはならないと思うのだが、銃乱射事件は一向に治まらない。
現実、米国はテロとの戦いを繰り広げている。またハリウッド映画は、バイオレンスものが相変わらず主流を占めている。護身用に銃を購入することができる環境であれば、この手の事件は後を絶たないように思う。
米国が銃規制に踏み切れないのは、NRA全米ライフル協会の厚い壁があるからだという。
マイケル・ムーア監督がNRAを取材したドキュメンタリーを観た。会長は世界的名優チャルトン・へストンだった。銃を放棄するヘストンやハリウッドは考えられないという感じがした。
※のんびり泳ぐカルガモ親子。銃を持っていれば、カモ鍋に見えてくる。


1962年製作のハリウッド映画「西部開拓史」のDVDを繰り返し鑑賞してみた。
ヨーロッパから新天地を求めて、東海岸に移住した人たちは、新たな土地の開拓を目指し、西部地区へと移動を続ける。多くの人を運ぶため鉄道が敷かれ、町が形成されていく。
ゴールドラッシュもあり、開拓者は西へ西へと移動する。町には酒場ができ無法者たちも集まる。それは日本の戦後の闇市時代を彷彿させる。
やがて、先住民たちや無法者たちを銃で追放し、安全な町を築いていく。
銃は自分たちの家族を守り、新しい町をつくるための「法律」だという。
もし、銃がなかったら先住民に阻まれ、今の米国はなかったのではないかと、その映画から読み取れる。
建国精神の高いプライドは評価するが、自分を守るために相手を犠牲にしてきたことへの配慮が、この映画では相当欠けているような気がする。
そこにあるのは弱肉強食の世界であり、勝者の論理のみが先行しているように思えるからだ。
無法者をはびこらせてはならないというのが、米国の建国精神のようだ。
それは現在も世界の保安官を自認する所以なのだろう。
我が国に例えてみよう。米国の護身用に認められている銃とは、自衛隊の集団的自衛権の解釈が、憲法九条で歯止めが掛けられている状態ではないだろうか。むやみやたらに使ってはならないということである。
だが、戦後生まれのシンゾウ君は、ハリウッドの映画を観すぎたに違いない。
憲法を改正し、自衛軍に改称するということは、むやみやたらに銃を使用できるということではないか。
相手が応戦してきたら、今時ピストルでもないだろう。ミサイルだ核爆弾だということになりかねないのだ。
レーガン大統領の襲撃事件以後、アサルトウエホン(攻撃用武器)規正法が成立したが、10年間の時限立法だった。
オバマ大統領は恒久法として復活させるという。
シンゾウ君にいいたい。銃をむやみやたらに発射できる国にしたら、我が国はどうなるか、たまには邦画も見てほしいものだ。
「仁義なき戦い」という、血みどろの争いがアジア周辺で、勃発するかも知れないのだ。
今回の自民党幹部の顔ぶれを思い出してみてほしい。
どこかの親分のような争い好きの顔ぶれも、いるのではないだろうか。