函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

勝負について考える

2013年01月16日 11時37分13秒 | えいこう語る
大きな力士が小さな土俵の中で戦う大相撲、精神力の充実が勝敗の決め手となるようだ。
呼び出され土俵に上がった瞬間、二人は真剣での立会いを強いられる。居合い抜きのような勝負、どちらが生き残るか、それが相撲フアンには、たまらぬ魅力だ。
立会いまでのわずかな時間、徐々に身体全体にみなぎる気合の勝る者に、勝機が見えてくる。
「心・技・体」を極める者が、横綱を締める資格というのはよくわかる。
そかし「土俵の鬼」といわれた初代若乃花も、15日の戦いにはその気合が薄れる日があるといっていた。
その間隙に、果敢に挑むことで金星を手にできるのだろう。
「白鵬対妙義龍」。5度の戦いで、大津波も越えることができない完璧の防潮堤のような存在の白鵬に、真正面からの速攻で圧勝した。
昨年秋場所、横綱の張り手にあい失神状態になり崩れ落ちた。
またもや張り手が出るが、あごを引いて一気に懐に攻め込んでの勝利だ。
私は横綱の張り手は「心」を忘れた振る舞いだと思う。
格下の者に張り手を加えれば、単なる先輩の体罰だ。ひるんだところに付け入るのは、卑怯なやり方だからだ。
双葉山に心酔している白鵬なら、両眼がつぶれる行為だ。双葉山は片方の視力がなかったという。しかし心の目は開眼していたのだ。
私は半世紀にわたる大相撲のフアンだ。白鵬が双葉山の記録を凌ぐであろう存在だから、いわせてもらうのである。
※右側が恵山だ。この付近の入り江に、謝罪放免された榎本武揚が、北海道の産業開発で、船から降り立っている。


片や、我が北海道の、今や横綱的風格を持つのは、ジャンプの高梨沙羅選手だ。
「心・技・体」は、郷土の名横綱、大鵬に迫る勢いを感じる。
先日、落下地点で転倒し、多くのフアンを心配させたばかりだ。
ジャンプ台を近くで見たことがある人なら、彼女のその後のジャンプが、どれほどの恐怖なのか理解できるだろう。
遠征先のドイツで2勝を挙げ、個人総合トップで凱旋した。
「絶対勝たないといけないと思い、前日から気合も違った」と、弱冠16歳は精神の迷いのない笑顔を見せてくれた。
この二つの勝負から、我が国の政治という土俵を考えてみる。
公共事業の復活に、土俵から溢れるほどの大量の塩を撒き散らす。
昔のタニマチの後援者は喜ぶが、どうやら禁じ手の談合も頻繁に使われ、政界十八番の八百長も復活してきそうな気配だ。
予算のばら撒きは、単なる7月の参議院選挙のための買収工作ではないか。
我々相撲フアンは、八百長相撲を再び許してはならない。
でも、横綱ばかりではなく私たち国民が、民主主義という土俵で「心・技・体」を求められている時代ではないかと、この二つの勝負で考えさせられる。
1000兆円を越える借金、国民は土俵際まで追い詰められたのだ。
一度バブルを経験した国民が、二枚腰を発揮できるかが、平成25年日本場所の見所であろう。