函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

体罰といじめ

2013年01月29日 16時25分09秒 | えいこう語る
中学校の時、前の席にお下げ髪の可愛い子が居た。
時々髪をひっぱった。可愛いからちょっぴりいたずらをしてみたかっただけだ。
彼女は私のいたずらを、いじめと感じていたのかもしれない。
いつか同期会で、その時の彼女の思いを聞きたいと思ったが、彼女は20代で旅立ってしまった。
大相撲の高見盛りが引退した。
勝っても負けても、果敢に攻めまくる闘志に感動した。
土俵に上がりひざががくがく震えるのを抑えるため、こぶしで自分の顔を殴って、気合を入れたという。
気弱な自分自身に、体罰を加えたように思う。
緊張する引退会見の席、これからの抱負を聞かれた高見盛りに、親方の高見山が「早く嫁をもらえ」と、突っ込みを入れた。
「親方それはないですよ」と、この親子のように仲のいい師弟は、笑った。
ハワイ出身の高見山「強くなる前にいじめる」という相撲界の掟?に従い、随分体罰を受けたようだ。その高見山も弟子の指導には竹刀を持ち、体罰を加える光景を見たことがある。
高見盛りの会見風景は、この世界で強くなるための体罰など、愛情の内といった雰囲気に包まれていた。この師にあって、この弟子である。
※水平線上にクジラのような形をした、下北半島が見える。大間原発工事は着々と進んでいるらしい。


大阪の高校の部活での体罰事件。3~40発ものビンタを食らわせ、殴られた生徒が自殺した。
スポーツで有名な学校らしいが、その伝統を継続するため、日常的に体罰を加えていたようだ。学校の名を高めるのが先決で、生徒はそのための単なる駒としか、扱われていなかったのだろう。
この問題で、様々な討論が行われているが、学校現場では、いかなる体罰も許さないとする意見が多いようだ。
いたずらを重ねて授業を妨害する生徒に、拳骨の1つもくわえずに、警察に逮捕してもらうのがいいというのだろうか。
学校の式典で「国旗、国歌」を強制し、従わない教師を処罰する。
国(旗・歌)、国さえ除けば、ただの旗と歌である。そこに国がふっついただけで処罰される。これって、国によるいじめであって、体罰にも見える。
自衛隊法改正で、武器を持ち戦える自衛隊にすると、紛争地帯に派遣される自衛隊は、死を強制されることになる。
国益を守るためにはやむを得ないというのであれば、死にたくない人をも死なせるかもしれない国家は、体罰の元締めということになる。
何もここまで、とって付けたように考えることはないだろうと思うかもしれないが、自衛隊法改正や九条改正は、殺人を認める国家になるということだ。
とりとめのない話になってしまったが、ようは限度の問題だ。
とはいえ、国と国との戦いは、限度を越すと原子爆弾を投下しなければ終了しないというのは、我が国が一番知っている。
私は体罰に関してこんな思い出がある。
中学校時代、廊下の向こうから先生がやってきた。私は当然頭を下げ挨拶をした。すれ違いざまに、頭を殴られた。
「私が悪いことをしたのでしょうか」と尋ねると「お前は礼儀がきちんとしすぎているからだ」といわれた。
まるで、吉本興業のようなギャグの一場面だ。
先生は他界されたが、その事件は中学時代の思い出のトップにある。
なぜなら、先生から贈られた強烈なメッセージだからだ。
9・11以降の「テロとの戦い」。その時にいわれたのは“寛容”だ。
アベちゃん「危機突破」も勇ましいが、「寛容」も忘れないでね。