ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

5/09日 御堂山・五井山・宮路山・御津山歩き:その9:宮路山から下山し、御津山までのアプローチ。

2024-05-20 05:26:02 | 草花

本日記事の宮路山は豊川市にあって標高362mの低山ですが、豊川市の近隣市民にとって、春はコアブラツツジの白い花や新緑の森で森林浴、夏は澄んだ沢の水との戯れ、秋はコアブラツツジほかの紅葉を楽しみ、冬は山頂の宮道天神社本殿(奥の院)から初日の出を拝む山となっています。

また、歴史的には度々登場する場所のようです。

有名どころでは持統天皇の御幸、藤原師長、浄瑠璃姫、藤原孝標の女(『更級日記』中で記述)、阿仏尼(『十六夜日記』中で記述)、斎藤茂吉など。

斎藤茂吉の訪問時の歌:引馬野ににほひし萩をみとめむと宮路山べをのぼりつつをり
           宮路山つひにのぼりてたちこむる狭霧の奥の海をしぞ思ふ

なお、諸説はありますが、貝原益軒によれば持統天皇の行幸があったことから「宮路山」という名前が付いたとされます。(しかし、『三河国神名帳』に正五位下宮道天神の記載があることから、宮路の名が持統帝以前に始まるとしています。)

低い山ではありますが、この地に鎌倉街道の通う時代には重要度の高かった場所だったようです。

宮路山到着 ↓

脇にはモチツツジの大株

 

大きな石碑 ↓

「宮路山聖跡」と刻まれていて大正5年10月に建てられた碑(高さ2.7m)

 

眼下に低い山並み ↓

小高い緑の山並みの最先端にこれから行く御津山があります。画の右側上部に豊橋港

 

宮道天神社を目指し少しだけ下る ↓

宮路山は微妙に東西の双耳峰になっていて、東側の低い方の峰に宮道天神社奥ノ院が祀られています。

そこを目指します。(運が良ければ富士山が見えます。)

 

 

宮道天神社奥ノ院 ↓

神社参拝後に、お待ちかねの富士山遥拝となりますが・・・・

 

 

富士山方面 ↓

東向きの林に木立の隙間があり、おそらくこの向きが富士山ビュー可能なのでしょうね。

でも、今回は生憎そういう空模様ではありませんでした。

 

下山開始:

神社の前から下山路を辿ります。

 

 

道迷いの始まり ↓

この倒木を跨いだあたりから道迷いが始まりました。結果的には40分強、道を失っていたことになりました。

 

山中をあっちこっち、正規ルートに戻るべく進んでいます。

 

イチヤクソウ ↓

山の中腹に竹藪が出てきたことによって、人里が近づいたことを実感します。

竹藪の中で所々にイチヤクソウの群生を見ます。

 

サルノコシカケ ↓

 

 

フタリシズカ ↓

 

 

ウラジロウツギ ↓

山中に耕作放棄地らしき場所があり、その端にこの花が咲いていました。

 

 

害獣除けフェンス ↓

このフェンスがこれから行く方向に延々と張られていて、小生は害獣側に居たので長い区間にわたり、

道に出ることが出来ませんでした。この心細い水の流れ沿いに道があったようですが、このあたりで

やっとフェンスの外側(人間の生活側)に脱出することが出来ました。

 

 

れっきとした人間の道 ↓

この道を歩いてやっと人間界に戻ってこられたことになります。

 

 

宮路山から下山 ↓

下山地点には地蔵尊が祀られています。

 

ここからは人間の生活空間を進むことになります。 ↓

 

 

次なる御津山に至るアプローチ:

まずやっと出てきた人家。

 

車道歩き ↓

交差するのは国道23号線(豊橋-名古屋-津-伊勢市神宮内宮前)のバイパス延伸部分。

 

トキワツユクサ ↓

道端で雑草然として咲いていました。

コメント (2)
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