ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

鳳来寺山山行 その3:東照宮から鷹打場まで

2022-03-08 04:16:16 | 草花
日本の国に徳川家康(東照大権現)を祭神とする東照宮は全国に700社以上あったそうですが、統廃合などにより現在は130社ほどになっているようです。
それをランク付けしてしまうのが日本人の”悪い癖”ですね。
第一番は日光東照宮、 第二番目は久能山東照宮  そして第三番目となると諸説が入り乱れてしまいます。
ある人は家康の出生地である岡崎の滝山寺東照宮を指し、またある人は三河の鳳来寺山東照宮を指しますが、どちらも愛知県内のものです。
 仙波東照宮(埼玉県川越市)、金地院東照宮(遺言、遺髪などが残る京都市)、上野東照宮(別名「三初権現」東京都台東区上野)を言う人すらも出てきます。
小生的にはどうでもよいことなのですが、せっかく鳳来寺山に来ていて、東照宮にお参りするわけですから、後追いになりますがその由緒などを記しておきます。

松平広忠卿と妻の於大の方が世継ぎの出来ないことを憂い、夫婦そろって三州煙巌山鳳来寺の峯薬師へ参籠され祈願したところ、その証があって間もなく於大の方が身ごもり、その後天文11年(1542)壬寅年12月26日に出産したのが竹千代(のちの徳川家康)であった。
そし於大の方は生涯を通じて、名代を鳳来寺の峯薬師に遣わして報謝の誠を捧げた。
・・・・その伝えに感銘した三代将軍家光は鳳来寺に家康公をお祀りする東照宮を建立することを思い立ち、慶安4年(1651)辛卯年9月17日に落成創祀した。 
ということでした。
江戸時代には幕府の直轄工事として幾多の修理を重ねると共に昭和・平成と大改修を行い、現在に至っているということです。

さて、山行のレポートに戻ります。
巨大な針葉樹 ↓

「行者越え」をして、昼食をとってから元気を取り戻して、稜線歩きに入ってすぐに大きな針葉樹を見かけました。
おそらくモミの木だと思いましたが、大人三人で抱えてもまだ足りないくらいの太さがあります。しげしげと眺めて行きます。



ユズリハ ↓

山中でもユズリハの木を見ます。この地方では多く見かける樹種ですね。



お墓の集まり ↓

東海自然歩道から一本の道が派生していて、その道はよく踏まれているようでしたので、やじうま根性でそこを辿ってみると、この空間がありました。おそらく鳳来寺の住職関係のお墓のようです。



今度は落葉樹の大木 ↓

墓地の向こう側にまた大きな木がありましたが、今度は落葉樹でした。けやきかな?と思いましたが、来歴は判りません。



一旦下る。 ↓

東海自然歩道は稜線から一旦下り、広い参詣道と合流します。下の赤屋根の建物はお寺関係者の宿坊として使われているようですが、40年以上前に来た時にはここで昼食に精進料理を食べた記憶があります。

山道は一般参詣道と合流し、東照宮を目指します。

東照宮の石段登り口 ↓


登り切って石の鳥居を振り返る ↓


石の鳥居の上に野生ランのセッコク ↓


東照宮の社殿 ↓

お参りをしていきます。 この後社務所のおみくじ売り場で係りの方としばし歓談します。

東照宮のわきを通って東海自然歩道歩きに戻ります。 ↓

昔は杉木立で鬱蒼とした空間でしたが、いまはすっかり明るくなってしまいました。ナツエビネを見られた場所が一つ、消滅してしまいました。



鷹打ち場まで ↓

東海自然歩道ですので、至れり尽くせりの感があります。



シキミ ↓

おそらく自生のものでしょうね、シキミもあります。



鷹打場 ↓ ↓



道はここで行き止まりとなります。この場所は岩棚になっていて標高は510mほどしかないのに、相当な高度感があります。
風も通りますので清涼感も味わえます。 先着の男性とここでも談笑してから、一緒に出発します。
コメント (12)
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