渾沌滅七竅

生命ある無秩序を愛する渾沌。

メー・デー?

2018年05月01日 | 日記

5月1日は、メー・デーで、日比谷公園での労働組合連合の大規模集会に参加したのは、今から、半世紀程昔の話だった。

会社は、事実上、休業で、まさに、働く者のお祭りだった。

先程、晩7:00のNHKニュースを見ていても、メー・デーの話題は一切なし。   もう、久しいのか?

自民党等、憲法改正論者による集会のニュースが、明後3日の「憲法記念日」に向けて際立っていた感。   

2人の子供達の働き方を見ていても、働く多くの者達が連携を強め、団結しなければ、「健全な社会の進歩」が阻害されることを感じる。  私等からみると、所属組織の何とも理不尽で、訳の分からない処遇や待遇がまかり通っていて、腹立たしいことおびただしい。   毛利元就の「3本の矢」ではないが、一人一人は弱いので、束にならないと権力や金の力には立ち向かえない。   権力や金力は、概して、人間の善意からは遠い、無慈悲なものだから。

もう、私等の時代ではない、君等が背負って立つ時代だ。   既に、いつからか時代は、変わってしまったのだろう。

 

 

 

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「現世に生きる」ことの意味

2018年05月01日 | 日記

以前にも書いたが、依然として、釈然としない。

住むエリアの住民35世帯で構成する「管理組合」モドキの総会議事録が、今朝、各戸に配布された。

読んでびっくり。

会議では1・2軒だけで、話の出なかった他の物故者名が、議事録の最後に「追記」として、併せ掲載されていた。  へぇ、と驚いてしまった。  35世帯だから、皆、存じ上げる、謂わば「向う3軒、両隣り」のような間柄だ、と思っていた。

見掛けなくなったので、どうしたのかなぁ、と気を揉んでいたところだった。

それぞれが80年なり、生きた世界があり、その関係や世界の中で、死を哀しまれ、惜しまれつつ、彼岸に送られたのでしょう。  本人や家族の要請で、所属自治会は無論、管理組合員にすら、何の通知もしなかった由。   最近、流行りの取り扱い方だ。   「・・・だより」に掲載するか否かとは別問題。   口頭での報告で構わないわけで、「知らせない」こととは、話が違う。    で、今後は、会員世帯が、自治会(管理組合とは言っていない)には連絡してほしい旨の注記がされてはいたが。

しかも、氏名だけで、いつ、何で、もなし。  「亡くなったということ」は、亡くなった方以上に、残された我々の問題なのだ。

良く判らない注記であり、取扱いだ。

人の死を、どう考えているのか?  煩わしいこととして、近隣とは関わり合いたくないらしい。   人が、この世に生を受け、80年有余生きてきたことは、とてつもないこと、だとは思わないのか?   死を哲学しない社会は、本当に薄気味悪い。

今年も、既に三分の一が過ぎてしまい、早や5月新緑の候とはなったものの、気分は五月晴れとは行かない。

 

 

 

 

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