#photobybozzo

沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【保坂和志】夏の終わりの林の中

2009-07-21 | BOOKS&MOVIES
07月22日。水曜日の午前中は46年ぶりの天体ショーで夏休み気分絶好調な
高揚感に島全体が包まれている感じなんだけど、ボクの中ではすでに夏は終
わりに近づいていて勝手に感傷気分でセンチメンタル野郎ってどういうこと
?と今日も酸っぱい汗をカラダ全体でかきながら悶々とした一日を過ごす。

                ●

「人は自分のからだを、普段は「ある」と感じないものなんだよね。
胃が痛くなってはじめて、「ここが胃なんだあ」と感じるー。映画館で長く
坐ってて、尻が痛くなってきて、尻のあることを実感するー。
 たまにサッカーなんかやったらすごいじゃない。全身筋肉痛で、階段を降
りるときはこの筋を使う、椅子から立ち上がるときはこの筋を使うー、って
いうのがいちいちわかるものね。
 痛さに限らず、ーくすぐったいときも、スーっとしたときも、気持ちいい
ときも、ーその感覚っていうのがあることで、からだの部分が「そこにある」
って感じることができる。
 心っていうのもそれと同じでね、喜びとか悲しみとか興奮とか、そういう
もので自分の心が動いていることを感じるー。
 心はそういうものだっていう、錯覚を持っている人たちがいるよね。テレ
ビ観ても映画観ても、感動っていうか劇しい心の動きだけ強調したがる人と
かー。
 でもそういうことじゃなくて、喜びとか怒りとか、そういう劇しい動きが
なくっても、心というのはもっと無機的に、一定のリズムみたいなものを打
って存在しているものなんじゃないかなぁー。
 それは劇しい動きに頼っているかぎりたぶん気がつかないんだろうけど、
そっちに関心が薄れると、無機的なものの静かなリズムが前に出てくるー」
                 (保坂和志著「夏の終わりの林の中」)

                ●

太陽が徐々に欠けていくことで「光の尊さ・太陽の神々しさ」を再発見する
ように失われることで得る感覚もあるんじゃないか…といった解釈がすでに
錯覚を伴っていて、無機的な営みの中にも常に新しい何かが生まれていると
いう謙虚な姿勢こそが大事だなんてそれこそ虚無的な「ええカッコ思惟やな」
とわかったようなダジャレで自嘲する。世間は総選挙で「最高にアツイ夏や」
と今からギラギラしているけれどもこの総選挙だって08月31日に投開票だか
ら政権交代と共に夏も終わるわけで、今から秋の装いを想定した先を見越し
た動きがよろしいんじゃないか…と自分に照らし合わせたりなんかしてみる。

そういやアラーキーが言ってたっけ「事件現場を撮ればどんな写真だって訴
えかける強い写真になるんだよ。日常を切り取った写真でハッとさせられる
のが写真家の腕ってもんだよな」…これってつまりは保坂和志が描く心のあ
り方にもつながっていてボク自身も共鳴しているのはそういった本人も気づ
かないような心の揺れがしっかり表情として掴まれていて、写真として見せ
られたときに本人がハッとするような切り取り方が理想だなって思うんだけ
ど結局なにが言いたいかッて「この夏は特別な夏だな」ってことなの(笑)。


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