#photobybozzo

沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【保坂和志】この人の閾

2009-07-15 | BOOKS&MOVIES
東京では4年ぶりに高校時代の悪友たちと酒を呑んだのだけど、人間20年
も付き合っているとお互いの変化や思考の違いといったうわべの部分は見
ていなくって、20年変わらないであろう指向性というかその人間が持つ生
きるスタンスとでもいうのだろうか…社会との関わり方みたいな部分をつ
まんで「だからおまえはダメなんだ」と一喝する会話が飛び交う。

いや、別に否定するわけじゃなくて愛でる感じとでも云ったらいいだろう
か…何を試みてもうだつが上がらない状況とか…いつも追い込まれると逃
げ腰になってしまう性癖とか…思い込んだらテコでも動かねえと頑なに構
えてしまうから…「おまえはダメなんだ」という結論をよろこんでいるよ
うな感じなのだ。

保坂和志の「この人の閾」も10年ぶりに出会う大学時代のサークルの女性
「真紀さん」に10年前と同じ空気感をおぼえ、会話の端々に顔を出す変わ
らない世界観に感動しながらも時間の経過とともにその世界観が社会から
はみ出しているような違和感を主人公の「三沢君」は受け取る。

                ●

さっきたしか草むしりしていたときに出たクローンの再生の話ではないけ
れど、経験や知識は遺伝子にインプットされることもなければ複写したり
転写したりすることもないのだが、そういうことよりもむしろ真紀さんが
一人で読んでいるあいだに感じていることは結局誰も知ることなく真紀さ
んと一緒に消えていく。

              (中略)

「ほら。ヨガの行者がすごいんだったら、海の底にいるタコだってきっと
凄いのよ。禅の高僧なんかは徳が高そうなポーズを身につけてるだけなん
じゃないの?人っていうのは、自分たちのいる世界と全然違う世界観みた
いなものを持ってる人のことは驚くようにできてるのよ。」
 真紀さんの口調は少し攻撃的になってるみたいだった。
「イルカが頭がいいかどうかっていうのも、何とも言えないんじゃないの。
もしね、イルカが本当に自分たちの知能を人間の知能とまるっきり別の方
向に伸ばしたんだとしたら、人間に使うものさしを使って比べたり類推し
たりしててもわからないわよね。」

              (中略)

イルカの知能は人間のものさしでは計れないと、まず真紀さんは言った。
言葉は光であるというヨハネの福音書の言い方を借りるなら、言葉の届か
ないところは“闇”だということになる。“闇”には言葉がない。言葉がない、
つまり言語化されなければ人間にはそこに何があるかわからない。何かが
あっても人間には理解できない。言葉が届かないということは、何もない
状態と限りなく同じである…と、堂々巡りのような論法だけれど意味とし
てはこういうことだろう。

              (中略)

平安京なら造られてからずっと人がそこで生きてきたが、平城京は何もな
くなってただの条理の形跡を留めるだけの平らな土地が残された。夏草だ
けが生えた何もない地面を歩きながらぼくは、長い長い空白の時間を超え
て平城京の時代に生きた人たちのざわめきが聞こえてくるような気がした
のだけれど、真紀さんはそれはやっぱりただの空白でしかないと言うのだ
ろうかと思った。

                ●
               
閾(いき)とは光や音などの刺激の有無、同種刺激間の差異などが感知で
きるか否かの境目。またその境目にあたる刺激の強さ…のことだという。
閾で感じられたモノも言語化されなければただの空白でしかない…ことを
「自明の理」として受け入れる社会ってなんだろう。結局はその呪縛の中
で突き動かされているからこそ、この小説が強く胸に響いてくる。

blogや写真というメディアで自己を表現しよう…だなんてまさにその典型
じゃないか…という事実、「だからおまえはダメなんだ」といじられる関
係性こそが生きていることの証だとわかっていながらも、そこで悶着する
自分がいるのも事実。…生きるってなんと尊いことか。

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