07月01日。水曜日。
グレイッシュ東京、2日目。
亀戸のコーヒー屋で
スケジュールを確認する。
となりの席では
中国人女性の2人が
雇用について愚痴をこぼしてる。
⇒真意はわからない。
詩的にアレンジしてみた。
昨日は久方ぶりに世田谷線に乗り、
豪徳寺の焼き鳥屋でカメラマンと呑む。
照明屋さん夫婦も同席。
写真について語り合う。
60代70代のカメラマンが
現役バリバリで元気だ…という結論に。
写真表現は終わっているか?…との質問に、
写真でしか残らないイメージもある…と。
これだけ世の中YouTube全盛で
写真は身近過ぎて希薄になってないか…と返すと、
表現の質は変わるだろうが
その本質は保ち続ける…と。
記憶に留める絶対的な力が写真にはある…と。
しかし、市場がビジュアル氾濫で
混沌としている事実もあり、
今は浅薄な着地点に落ち込んでる。
いつの時代でも「表現」は翻弄されるが、
ホンモノは見極められる…。
自分を見失うな…と言うことか。
本日4件アポ。
グレイッシュ東京、2日目。
亀戸のコーヒー屋で
スケジュールを確認する。
となりの席では
中国人女性の2人が
雇用について愚痴をこぼしてる。
⇒真意はわからない。
詩的にアレンジしてみた。
昨日は久方ぶりに世田谷線に乗り、
豪徳寺の焼き鳥屋でカメラマンと呑む。
照明屋さん夫婦も同席。
写真について語り合う。
60代70代のカメラマンが
現役バリバリで元気だ…という結論に。
写真表現は終わっているか?…との質問に、
写真でしか残らないイメージもある…と。
これだけ世の中YouTube全盛で
写真は身近過ぎて希薄になってないか…と返すと、
表現の質は変わるだろうが
その本質は保ち続ける…と。
記憶に留める絶対的な力が写真にはある…と。
しかし、市場がビジュアル氾濫で
混沌としている事実もあり、
今は浅薄な着地点に落ち込んでる。
いつの時代でも「表現」は翻弄されるが、
ホンモノは見極められる…。
自分を見失うな…と言うことか。
本日4件アポ。