#photobybozzo

沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

春光乍洩~ブエノスアイレス~

2006-02-18 | BOOKS&MOVIES
Cu-Cu-Rru-Cu-Cu Palomaつながりで、
王家衛ウォン・カーウァイ監督の「ブエノスアイレス」を再見する。
そして、思い出してしまった。

張国栄~レスリー・チャン~の不在を。

この映画の上映は1999年。
そして、張国栄は2003年4月1日に自殺を図っている。
あまりにも衝撃的で、かなり引きづったことを、思い出してしまったのだ。

Dicen que por las noches         夜になっても
No mas se le iba en puro llorar      もう鳴くことはなかったという
Disen que no comia            食べもせず
No mas se le iba en puro tomar       飲むことすらしなかったという
juran que el mismo cielo          その涙が落ちる時
Se extremecia al oir su llanto        空が身を震わせたのがわかった
Como sufria por ella            死んでしまってなお
Que hasta en su muerte la fue llamando  その時の哀しみを忘れられない

Ay ay ay ay ay , Cantaba        歌っていたおまえ
Ay ay ay ay ay , Gemia         呻いていたおまえ
Ay ay ay ay ay , Cantaba        心を焼き尽くす炎のせいで
De paison mortal Moria         死んでいった

Que una paloma triste          まるで哀しいハトのように
Muy de manana             朝早く
Le va a cantar              歌っていたっけ
A la casita sola              誰もいないこの家で
Con las quertitas de par en par      どの扉も いっぱいに開いた家
Juran que esa paloma           そのハトは 
No es otra cosa mas que su alma      おまえの魂だったのだ
Que todavia la espera           不幸な女が
A que regrese la desdichada        戻ってくるのを待っていた

Cucurrucucu , Paloma           ククルククー ハトよ 
Cucurrucucu , No llores           ククルククー 何があっても もう鳴くな
Las piedras jamas Paloma          ハトよ おまえが恋について知るうることは
Que van a saber de amores         なんだろうか

張国栄の嘆きがそのままカタチになったような
切ない憂いを帯びてしまった。

映画「ブエノスアイレス」自体が切なすぎて言葉にならない。

異国の地、しかも祖国から一番遠いところで、途方に暮れてしまう。
自分はどこに行くのだろう。自分はどこに辿り着くのだろう。
愛する者との復元不可能な亀裂。
自暴自棄の日々。

心を焼き尽くす炎のせいで死んでいった。

映画と現実が交錯してしまっている。
張国栄は、映画の中でも心をむき出し、深く傷つき、
均衡を崩したまま行方知らずとなってしまうのだ。

ブエノスアイレスの石畳に沁み込む
Astor Piazzollaのbandoneonがまた、
露光不足の湿った空気にまとわりついて
きゅうきゅうと胸を締め付ける。

キッチンの裸電の下で踊る、張国栄と梁朝偉。
押し殺した感情が、音楽の昂揚とともに露わになり、
自身を投げつけるように激しく弄るシーンは
その不均衡を剥き出しにしていて、とても痛い。

轟くイグアスの滝。

この滝のように激しく、制御不可能なモノが
人間の内部には巣食っていることを、王家衛は描きたかったに違いない。
人間もまた、大いなる自然の一部であることを…。

合掌、張国栄。
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