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#photobybozzo

沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【Mar_11】吉増剛造『初湯』

2019-03-11 | UNITE!NIPPON
『初湯』吉増剛造

 濡れている。

 濡れている。それをみたものはこの世にはいない。死水か
ら初湯へ。初湯から死水へ。母よ。たっぷりと濡れているの
を忘れて、瞼を濡らすのは、いつからはじまったのか。仮死
の徴候のような、瞼ににじんでくる、母よ、睫毛よ、岸辺の
筏よ。

 濡れている。
 
 酒精も、発汗する額も、濡れている。黒岸と呼びならわし
た、幻の大陸がわたしの眼にみえてくる。急流の、洪水や氾
濫ではない。どこかひび割れている河底に萌えたちはじめる
眼、その気配である。母よ。死水から初湯へ。
 
 あれは、泳いでいる死体だ! とだれかが叫ぶ、おそらく
対岸の村の、餓鬼たちだ。

 母よ。ひじょうに濡れている。障子も五臓六腑も、あたま
のなかも、手のほどこしようもないほど濡れている。母よ。

 宇宙はかーるくゆがみ、どこからか水の漏れる音が聞こえ
てくる。雨期なのであろうか。
 
 死水から初湯へ。初湯から死水へ。

 おれにはなんにもするこたねえや!

 医者は聴診器を身体にあてて、そこが雨期か乾期かをしら
べるのだ。
 
 ちたん、ぽおたり。ちたん、ぽおたり。
 ちたん、ぽおたり。ちたん、ぽおたり。


 川やくちびるが濡れている。 
 わたしの職業は、河川工事の人足だろうか。気がつくとい
つも、銀河のような中州にとり残されて、夜の帳のおりてゆ
く。ああ、母よ。

 わたしはあのうみがなつかしい。


【Mar_11】吉増剛造さんの言葉

2019-03-11 | UNITE!NIPPON
今しゃべりながら気がつくんだけれども、
あの三・一一の大災厄から五年近くたって何をやってるかといったら、
しきりに自分で洪水を起こしてるのね(笑)。
水に対する「驚異」が一貫して身体にも浸透していて、あの大災厄のときにも、
すぐに陸前高田に飛んでいきました。以来五年近く、
紙を濡らして、氾濫状態を起こす、……文字のある世界を自らの手で壊滅状態にまで運んで行くということが、
「詩作」の中心になりました。勿論「伝達言語」でもなく「絵画」や「彫刻」でもない。
「怪物君」と名付けましたが、宇宙の脅威を眼下にとらえようとすることだったのでしょうね。

(中略)

そういうふうにして、書き写すというよりも書くというのは、次々に透視力を紡ぎ出していくことなのだと思い始めています。
これは手数がかかりますよ。半日かかるけどそれをやっていって。終わったと思ったら今度は折り目が問題だなって……
傍の誰かがいうのね(笑)。いろんな絵具で塗りたくって、いろんなふうにしていくんだけどね。
この「怪物君」は三年半ぐらい続けています。こんなことをやるのは、一休宗純や八大山人や、もしかしたら円空さんにも類似した精神なのかも知れませんね。

で、こうなってくると音楽にもなって。

終始一貫だからある意味では「狂気」かもしれない。そういう「狂気」から何とかして命を延ばそうとする、……いまね、
「狂気」といったでしょう、僕もね、もっと先まで繊細に、先の先まで考えたり思考しなければいけないことを、
つい「狂気」って逃げちゃうのね。だって、その方が通りが良いしさ、それですんでしまうのね。
でも、でも、詩作や映像作品、音声化、協働制作等々を通して、もう、「狂気」というだけではすまされなくなったのね。
殊に二〇一一年以降、……そんな言い方では、もうだめだと思うようになりました。
とくに、たとえばゴッホね。小林秀雄さんの「ゴッホ」でさえも、最後は「狂気」にしてしまうのね。
でもそれはちがうんだ、……。時折は、あの“渦巻き”や“稲妻”や“ひまわり”もあるのだけれども、
一心の真剣な愛はゴッホの中心に坐っているものなのね。それで火のようになっている。
大災厄以来、僕は小林さんの『ゴッホの手紙』ばかり読んでいました、……。アントナン・アルトーへの共感もあるけど、
ここまで来て、もう「狂気」です、……ですませようとする心はほぼ完全に放棄したのでしょうね。

「怪物君」はそのあらわれでした。

それが書くというしぐさの原点ですね。それは全く変わらない。これはエスカレートしてきちゃう。
最近じゃ書いた字のうえに水彩絵具を塗るのね。そうすると、ぐちゃぐちゃになる。
別にぶっ壊しても構わない。だって大災厄のときにそれが起こったんだからね。


         (わが詩的自伝『素手で焔をつかみとれ』吉増剛造著より)