「私はもう現実をうまく定義できない」
物事について考えを固めてしまわず、
見えているものを疑うよう心を開いておけば、
世界を眺める目も丁寧になる。そうした注意深さから、
今まで誰も見たことのない何かが見えてくる可能性も出てくる。
自分が何もかも答えを持っているわけではないと認めることが肝要なのだ。
(National Story Project/Paul Auster)
●
富田氏とソーレン君の絵をめぐる4つのストーリーは円環を成している。
相補関係と言ったほうがわかりやすいだろうか。
肝心のソーレン君の絵がないと、伝わらないことだらけなんだけど、
富田氏の未来がその絵には描かれていた…と言えばいいだろうか。
異国の地ではじめて出会った高校生が
自分の話にインスピレーションを受けて絵を描き、
その絵のモチーフから5年後の自分がカタルシスを得る。
「偶然」で片づけてしまえば、それで終わってしまう話だし、
絵の解釈なんて意のままなのだから、都合良く話をまとめることも出来るだろう。
しかし、そうやって割り切ってしまって良いのだろうか?
アメリカの敬愛する作家Paul Austerの言葉を引用したが、
世の中には自分の智見の至らない事象のほうが断然多いのだ。
●
会社勤めを斥き、社会との関わりを斜に構えるようになって、
ボクはずいぶんと、人智を超えた事象に惹かれるようになった。
荷風の足取りを辿り旧玉ノ井を散策し、押上のスカイタワーを遠くに見ながら、
路地に漂う明治大正の面影を感じ、その空気を収めようとシャッターを切る。
そんな行為を繰り返していると、堆積した時間が
「あわい」となって光と陰の稜線から立ち上がってくる。
空気を撮る…。
「写真」という表現媒体を操るには
時にシャーマンのような第六感が必要ではないか…
近頃はそんなことも思うようになった。
●
富田氏と2時間ほど空間を共にして思ったことは、
経済至上主義一辺倒のこの現代ではあるけれども、
そこからこぼれる様々な事象を、
しっかり掴んで呈示する役目もあるのだ…ということ。
「言葉にならない」了見や現象、
「割り切れない」出来事や「筋の通らない」話、
「理屈じゃない」思いや「役に立たない」知識など、
自分が何もかも答えを持っているわけではない…という事実を踏まえ、
真摯に丁寧に世界をつかまえることが、ボクには必要じゃないか…と思った。
そして、ボクの廻りには同じニオイをしたひとびとが集まってくる…。
この共振が、なによりうれしい。
物事について考えを固めてしまわず、
見えているものを疑うよう心を開いておけば、
世界を眺める目も丁寧になる。そうした注意深さから、
今まで誰も見たことのない何かが見えてくる可能性も出てくる。
自分が何もかも答えを持っているわけではないと認めることが肝要なのだ。
(National Story Project/Paul Auster)
●
富田氏とソーレン君の絵をめぐる4つのストーリーは円環を成している。
相補関係と言ったほうがわかりやすいだろうか。
肝心のソーレン君の絵がないと、伝わらないことだらけなんだけど、
富田氏の未来がその絵には描かれていた…と言えばいいだろうか。
異国の地ではじめて出会った高校生が
自分の話にインスピレーションを受けて絵を描き、
その絵のモチーフから5年後の自分がカタルシスを得る。
「偶然」で片づけてしまえば、それで終わってしまう話だし、
絵の解釈なんて意のままなのだから、都合良く話をまとめることも出来るだろう。
しかし、そうやって割り切ってしまって良いのだろうか?
アメリカの敬愛する作家Paul Austerの言葉を引用したが、
世の中には自分の智見の至らない事象のほうが断然多いのだ。
●
会社勤めを斥き、社会との関わりを斜に構えるようになって、
ボクはずいぶんと、人智を超えた事象に惹かれるようになった。
荷風の足取りを辿り旧玉ノ井を散策し、押上のスカイタワーを遠くに見ながら、
路地に漂う明治大正の面影を感じ、その空気を収めようとシャッターを切る。
そんな行為を繰り返していると、堆積した時間が
「あわい」となって光と陰の稜線から立ち上がってくる。
空気を撮る…。
「写真」という表現媒体を操るには
時にシャーマンのような第六感が必要ではないか…
近頃はそんなことも思うようになった。
●
富田氏と2時間ほど空間を共にして思ったことは、
経済至上主義一辺倒のこの現代ではあるけれども、
そこからこぼれる様々な事象を、
しっかり掴んで呈示する役目もあるのだ…ということ。
「言葉にならない」了見や現象、
「割り切れない」出来事や「筋の通らない」話、
「理屈じゃない」思いや「役に立たない」知識など、
自分が何もかも答えを持っているわけではない…という事実を踏まえ、
真摯に丁寧に世界をつかまえることが、ボクには必要じゃないか…と思った。
そして、ボクの廻りには同じニオイをしたひとびとが集まってくる…。
この共振が、なによりうれしい。