宮代町立笠原小学校@象設計集団
1982年の建立。
とにもかくにも、この笠原小学校のような学校はもう日本では建てることができないかもしれません。
小学校の校長と、町民と、設計者のコンセプトが一致してはじめてできる、
逆にいえば、そのようなコンセンサスをつくれる指導者がいなければ、このような小学校は生まれないでしょう。
この建築のコンセプトは一言でいえば「大自然」。
およそ「機能的」といわれる計画から逸脱しても、言葉にできない魅力を空間化し、
子供たちにとっても大人にとっても多様な身体感覚を体験できる場所になっています。
学校全体を見て回って気付くのは、
「建物の中」というのは教室ぐらいで、
あとは半屋外か緑の多い屋外(校庭)のどちらかしかないんですね。
かといって、子供たちは教室から出ない子に育つのではなく、
寒くても外で遊んだり、多くの建築的仕掛けを上手につかって、
鬼ごっこや高オニ、泥警(ドロケイ)などをしていたり、
校庭でも同様に起伏を利用して遊ぶ子供たちを見ることができます。
「笠原小学校の卒業生で、大学生になった時に
自分の小学校と他の人の小学校があまりにも違うことに気づき、
その自分を形作る多くは笠原小学校のおかげだ。
だから、笠原小学校の影響についての卒業論文を書きたい。」
以上『建築家の卵のブログ』より。
物化した思想が血肉となる好例。
いかに人間は空間に左右されるのか、
私たちを取り囲む建築がどのような思想を背景としているのか、
そこで培われた思考が何を生み出してきたのか…などを考えると、
心底怖くなる。思潮を甘く見てはいけないということです。
自分たちの考え方は、周りの環境にどれだけ依存しているか。
このような小学校が、建物が、もっともっと建てられなくてはいけないのです。
1982年の建立。
とにもかくにも、この笠原小学校のような学校はもう日本では建てることができないかもしれません。
小学校の校長と、町民と、設計者のコンセプトが一致してはじめてできる、
逆にいえば、そのようなコンセンサスをつくれる指導者がいなければ、このような小学校は生まれないでしょう。
この建築のコンセプトは一言でいえば「大自然」。
およそ「機能的」といわれる計画から逸脱しても、言葉にできない魅力を空間化し、
子供たちにとっても大人にとっても多様な身体感覚を体験できる場所になっています。
学校全体を見て回って気付くのは、
「建物の中」というのは教室ぐらいで、
あとは半屋外か緑の多い屋外(校庭)のどちらかしかないんですね。
かといって、子供たちは教室から出ない子に育つのではなく、
寒くても外で遊んだり、多くの建築的仕掛けを上手につかって、
鬼ごっこや高オニ、泥警(ドロケイ)などをしていたり、
校庭でも同様に起伏を利用して遊ぶ子供たちを見ることができます。
「笠原小学校の卒業生で、大学生になった時に
自分の小学校と他の人の小学校があまりにも違うことに気づき、
その自分を形作る多くは笠原小学校のおかげだ。
だから、笠原小学校の影響についての卒業論文を書きたい。」
以上『建築家の卵のブログ』より。
物化した思想が血肉となる好例。
いかに人間は空間に左右されるのか、
私たちを取り囲む建築がどのような思想を背景としているのか、
そこで培われた思考が何を生み出してきたのか…などを考えると、
心底怖くなる。思潮を甘く見てはいけないということです。
自分たちの考え方は、周りの環境にどれだけ依存しているか。
このような小学校が、建物が、もっともっと建てられなくてはいけないのです。