旅行、ときどき車弄り

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(前編)掛川城・閑谷学校・備中松山城・吹屋・津山城跡・白兎神社・鳥取砂丘/川根温泉ホテル(静岡)、三朝温泉 万翆楼(鳥取)

2019年03月26日 | 関西・四国・中国・九州・沖縄(内訳)
3/20-24(水-日・木は祭日)でのソロ旅行です。目的はギャランの車高調の慣らしと備中松山城、三朝温泉です。 
車の自主点検をしたために午後出発となりました。3日分の宿を予約して出発。初日に岡山に入る予定が1日遅れました。これが更に1泊伸びる原因となってしまうのですが。
 
宿は「川根温泉ホテル」 10,240円 2食付 大井川鉄道沿いで寸又峡との中間地点にあります。「道の駅 川根温泉」の隣で源泉も共用とのことです。埼玉県央部から250km以上あります。4時間余りを要しました。 
   
電子レンジや大型冷蔵庫もあって湯治可能な宿でした。大浴場は内湯が源泉掛け流し、露天が合成炭酸泉です。露天は塩素臭ありでした。内湯はMAX6名かな。部屋数的に狭いし1:00で終了です。私は19時(バイキングタイム)と0:30に入りに行きましたが大丈夫でした。土曜は駄目でしょうね。バイキングはテーブルの間隔も充分で内容も価格的に良好かと思います。
 
「掛川城」へ寄りました。2回目の訪問です。木造復元天守なのですが、天井から延びる板張りなどは他の天守で見た覚えがありません。
   
    
御殿がありましたが、天守とSETになった入場券を紛失しました。御殿の係員の前で探し回りました(苦笑) スマホで確認したら学校や役所に使われた後で昭和51年に御殿として改修されたようです。私的には再度購入は致しませんでした。外見だけの撮影でOK
 

時間があるので岡山の「閑谷学校」へ。講堂は国宝。江戸時代初期に岡山藩によって開設された日本最古の武士&庶民学校で、建築は2期に分けて行われ、32年の月日を費やしました。掘りと石垣があって砦のようです。

 
「講堂」は国宝です。他も重要文化財です。
 
内部へは立ち入り禁止となっています。かえって雰囲気が良いですね。


奥の間には囲炉裏跡がありました。講師の控室かな?
奥へ進みます。この石垣の外に掘りがあったら登れませんし、道が狭いです。寡兵でも守りやすい構造です。山から撃たれても移動できますし。学校の柵にしては手間が掛かりすぎています。
 
校舎は明治38年とのこと。私の卒業した小学校は明治5年築で横浜市で最後まで使われた旧校舎でした。なので古さを感じません。ちなみに中学・高校の校舎は大正12年築でした。
  
 

到着時に中国の団体がいたので急ぎ追い越して来たのです。危ないところでした。2枚目の写真は左が「聖堂」、右が「神社」です。

「聖堂」です。うーん、このタイルは何かな。

聖堂への入口は泥だらけで一部は濡れています。はい、中国人は靴も脱ぎません。いつもの事です。締まっていますが中には金色の孔子像があります。礼学の基礎を築いた孔子もさぞや落胆することでしょう(苦笑)

再び「ベッセルホテル倉敷」 7,900円に宿泊しました。ギャランは駅近くの立体Pには腹がつかえて入らないケースがありましたので。
 

 3日目は漸く「備中松山城」です。駐車場からは峠道をバスで登ります。尾瀬や上高地みたい。階段は健常者で20分位かな。

石垣が立派です。

道は曲がっており、当時の有効射程100mの鉄砲で撃ち下ろせます。






階段を上ると中庭の天守に到着です。ここから有料となります。





奥の櫓には入れません。入口の先は、跳ね上げ梯子だったと思われます。

蛍光灯や展示棚で雰囲気が・・・。2枚目の画像は囲炉裏跡だそうです。

腹切りの間です。はるか下に川と家屋が見えます。とんでもない山城です。

ちょっと城内に資料が多いかな。

城の真下には高梁の旧市街です。トイレや休憩スペースのある駐車場でMAPも良くできています。良く整備されています。愛媛の内子町は参考にして欲しいですね。

2枚目の画像から「頼久寺(らいきゅうじ)」です。江戸初期、大名 「小堀遠州」が備中松山城構築まで滞在しました。茶人でもあり名古屋城も築城しています。なかなかに見事です。

「武家屋敷 旧折井家」 江戸時代のもので200石だそうです。板の間にはゴザを敷いていたのですね。お膳も良い感じです。庭の池の鯉は、有事の際に食料とするそうです。

「武家屋敷 旧埴原家」 150石で近習や番頭役だったそうです。上の折原家ともども、結構広い屋敷です。
 


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