老いて、なおチャレンジ

大好きな草花と共に、余生を楽しめたらいいな~

二つ目の柿見つけた!

2006-11-08 13:28:26 | 

 



余りにも綺麗な落ち葉だったので雪柳の葉の上に並べて撮った。

今年は一個と思っていた柿、今日庭に降り柿の木を見たら下の方に一つぶら下がっている。「あれ、たしかもっと上の方だったじゃないの」と思い上を見たら、ちゃんとある。「あっ二個成っていたんだ」と思わず笑顔になった私。
この間娘に会った時(その時は未だ一個と思っていた)「柿一個は私が食べるのよ」といったら、娘が「一個は木に実を残さなくてはいけないのよ」と言う。でも「お母さんは取って食べるの・・・」と強行に言い張った。然しその一個が高い所に成っていて到底とれそうもない。「脚立を使って取るからね」と言ったら娘達が「止めて~落ちて怪我したらどうするの」と言われてしまった。天は私に味方してくれたのか、手の届く位置にもう一個の柿を見つけさせてくれた。これで木に一個の柿も残せるし、危険を犯して取る必要もなくなった。万々歳である。

今日は一日晴天。庭の草花の写真をとったり、こうしてポカポカ暖かい部屋で、たわいもない文をブログに載せている私である。


心安らぐ時

2006-11-06 11:35:20 | 



嵯峨菊が満開。白・黄・えんじ色ともに綺麗である。先日見た「大覚寺嵯峨御所」の嵯峨菊は手を掛けて作られた趣のあるものであったが、自然のままの我が家の嵯峨菊も私は好きだ。


私は日本福音ルーテル市ヶ谷教会の会員である。15年前に洗礼を受けた1信徒。
昨日は一年に一回行なわれる、天に召された会員を記念する礼拝の日であった。
遺影を並べた台の前に参列した全ての人が、小さい蝋燭に灯をともし祈念しながら置いてゆく。夫は死の13時間前に病床洗礼を受け天に召された。私の姉・弟の嫁も共に夫を亡くした者同志。昨日は3人夫々の思いで共にこの記念の時を過ごした。
101歳で亡くなった夫の母はとても信心深いクリスチャンだった。その義母と25年間共に過ごした私は、重い病を得、死を前にして、もう夫には何もして上げられないと思ったとき、義母の事を思った。生前息子に洗礼を受けて欲しいと決して言わなかったけれど、心の中ではそれを願っていたのであろうと。その母の願いを今果たすのが私に出来る唯一の努めであると思った。そして牧師先生にお願いし果すことが出来、母もきっと喜んでいてくれるに違いないと!!!夫を母の待つ天国に送る事が叶い心が安らいだ。親子で残された一族を天国で見守っていてくれることを信じている。


京都観光その2

2006-11-04 21:08:04 | Weblog
  

京都二日目は京都を熟知している次女の夫も来てくれ、3・4箇所案内してくれた。
中でも西芳寺(苔寺)の庭は余す所なく120種余の苔に覆われ、目を奪われる程の圧巻であった。枯山水式・池和泉回遊式庭園で中央の池は心字形になっている。
写真に収めたい風景ばかりで撮りまくった。
最初本堂に入り正座し「般若波羅蜜多」を一同でとなえ、硯で墨をすり筆で願い事を短冊に書いて奉納した。はじめての経験。
大覚寺にも行き沢山の綺麗な嵯峨菊を堪能した。大沢の池も周り、建物の中も存分に見て回った。

2日間天候に恵まれ心に、目に残る素晴らしい時を過ごせた事を感謝している。

京都観光その1

2006-11-04 17:01:54 | Weblog
  



京都御所の一般公開があったので、11月2日長女と共に拝観した。私は始めてである。1200年もの長きに亘って歴代天皇の居られた場所(つまり現在の皇居)である。
その昔を偲ばせる様々な建物や素晴らしい庭園を、ひたすら歩き回ってみる事ができた。

もう一箇所、東本願寺の別邸である渉成園枳穀邸(きこくてい)に行った。枳穀とは「からたち」のことでそのからたちを生垣として植えたことから枳穀邸と称されるようになったとのこと。
此処も中々おもむきのある素晴らしいところであった。多くの困難を経て修復を重ね昔の建物を今に残し、現世の人々が見られることは有難い事だと思う。昔があってこそ今があるのだから・・・・

夕方から次女も加わり一晩宿に泊り3人で賑やかにおしゃべりし愉しい時を過ごした。夕食を京都駅構内の11階でしたが降りるのは全てエスカレーター。東京駅の中央線ホームから下までの長いエスカレーターでさえ凄いと思っていた私。ここ京都駅での11階から1階までの長い長いエスカレーターには度肝を抜かれた。
私の様な余り何処にも出かけた事の無い老人にとっては刺激的な一日であった。