青鷺 仲のよいカイツブリの夫婦
清澄庭園に娘二人と出掛けた。ここは昔紀の国屋文左衛門の屋敷であったそうだ。
特にこれを見るというのではなく、四季折々の花が数は少ないが見られ、殊に冬は様々な野鳥が飛来し、大きな風情豊かな池は賑わうという。この時期殆どの野鳥は飛び去り、青鷺の数羽とカイツブリの親子が大きな鯉と亀と共に泳いでいた。
非常に暑い日であったが池の周りの木陰をぐるっと回って楽しんだ。
この日6月23日は私達夫婦の結婚記念日、然も50年(半世紀)つまり金婚式を迎える筈の日であった。生前「金婚式は盛大に祝おうね」と皆で楽しみにしていたが、夫はそれを待たずに逝ってしまった。
私達の50年をざっと振り返ってみた。3人の子供の父親だった46歳の夫、その時代としてはオールドミスだった34歳の私は見合いで結婚した。77歳の義母と共に新婚生活は6人で始まった。そこに更に二人の子が与えられ、老・壮年・思春期の若者・幼児全ての種が揃った8人の家族になり、苦楽を共にしたのである。
昭和56年101歳で義母は亡くなり、最後の子が結婚して家を出たのが昭和の終わり。ここで始めて夫婦二人だけの暮らしになったが、もう若い頃の様な甘い状態に戻ることは不可能、それに夫が63歳の時コンピュータ開発の会社を設立し、私もその一員として経理の仕事を担っていたので、夫婦で会社の為夢中で働いていた。そして生き甲斐のある人生最終段階を過ごし、夫は現役で93歳の生涯を閉じたのである。
奇しくもこの日は次女の主人の誕生日。丁度上京していた次女夫婦と長女夫婦も交え、「誕生日の祝い、金婚式残念会」を丸の内ビルのある店で夕食を共にし行った。例によって集まれば笑いの絶えない家族、いろんな話で盛り上がり、涙を流して笑い転げる場面ありで本当に楽しかった。天国で夫はきっと微笑んでいてくれたであろう。
夫を亡くし一人住まいではあるけれど、私は決して一人ではない、大勢の一族に守られて幸せな人生の最後を過ごさせて貰っていることを、更に痛切に感じたひと時であった。
6人で始まった新婚生活によくぞ飛び込まれましたね。
戸惑いやご苦労もあったのでしょうが、5人の方々に感謝の気持ちで迎えていただいたのでしょうか?
私の母も23歳で先妻を亡くして、5歳の男児を抱えた28歳の父に嫁いで、父との間に私と妹を生みました。
父の実家と先妻の実家が近く、母は義息子の扱いを監視され、忍耐の生涯でした。
母が亡くなった時、悲しみの情と兄からの攻撃から開放された安堵感を感じた私でした。
八十路様のお人柄でしょうか。
ブログを通してお幸せを絵に描いた日々のご様子が伝わってきます。
お若い時からのチャレンジ精神で、全てを円満に包み込まれたのでしょうか…
八十路様のお幸せを他人事とは思えず、我が事のように嬉しく思います。
445さんのお身の上は娘から聞いており、私と共通している事に親しみを感じておりました。母上様のご苦労を知り、そのお気持ちが良く分かります。大した苦労の無かった私は幸せだったのだと今更ながら感謝の気持ちでおります。
445さんは私より早くにご主人様を亡くされているのですね。本当に辛い悲しいことですね。2年3ヶ月を経た今でも時々無性に会いたくなり泣けてきます。何時になったら忘れられるのでしょうか。いいえ決して忘れることは出来ないと思います。一人でいるとこんな状態ですが、子供達と一緒の時は思いっきり笑い、おしゃべりし楽しんでいるのですよ。
ブログの大先輩としてこれからもよろしくお願い致します。お互い生を終えるまで精一杯頑張りましょうね。