浜松フラワーパーク
万葉の森公園
3月14日が長女の誕生日であり、次女がお祝いをしたいと浜松のアクトタワーで開かれるオペラ「夕鶴」に私も共に誘ってくれた。長女は朝早くから出掛けて姉妹で過ごし、私はPC授業がある日だったので3時に終え教室から直浜松に向かった。浜松駅には娘姉妹と浜松に仕事で来ていた次女の長男の3人が出迎えてくれた。
早速オペラ会場に向かう。
「鶴の恩返し」と言う物語は知っていたがオペラで観るのは始めてであった。
矢傷を負った一羽の鶴が与ひょうと言う男性に助けられ、その鶴がつうと言う女性の姿になって与ひょうと恋をし結ばれる。助けられた恩返しとして自らの羽を抜いて機を織り素晴らしい布を作って夫に捧げるのだ。作業中は決してその場を見てはならないとの約束であった。然し悪い男どもにそそのかされた与ひょうは、もう布を織る事は出来ぬというつうに作るようにと無理強いし、夫を愛するが故につうは少なくなった羽を抜いて必死に布を織るのであった。その最中によからぬ男と共に約束を破り鶴の姿で機に向かっているつうを見てしまうのである。布が出来上がって与ひょうに布を渡したつうは「約束を破ったから私はもう人間ではいられない」と言い痩せ細ったつるの姿となって空に戻って行ってしまった。愛して止まないつうを探し求め「つう~、つう~~」と叫ぶ与ひょうの悲痛な声は聴衆の心を揺さぶるものであった。
昔、山本安英という女優さんがつう役で舞台に多く立たれた事を思い出した。今回は舞台美術がかの有名な千住博さんでその舞台装置は本当に素晴らしかった。
こんな素敵なオペラを見せてくれた次女に感謝の思いであった。
長女は翌日予定があるからと一人で帰って行った。私は一晩次女の家に泊めてもらった。次女の長男も泊まるので3人で楽しい一夜を過ごした。孫とは殆ど会う事はないし、あっても余り話す事もなかったので、いろんな話しが出来て嬉しかった。私は始めて次女と床を並べて寝た。
次の日、午前中は来客があったので家で過ごし、午後から孫の運転で先ず「浜松フラワーパーク」に行った。広い敷地内に今梅が沢山綺麗に咲いていたし、桜の木も多く、桜の季節はさぞかし素晴らしかろうと思った。パークトレインに乗り一人100円で殆どを見て回った。温室には綺麗な珍しい花が一杯、私は大満足であった。
次は「万葉の森公園」ここは趣のある素敵な公園。斜面に一杯種々の椿の木があり沢山花が咲いていたが、上り下りが私には難儀なので残念ながら見るのを断念した。
帰り道、あるお寺にすごく大きな白色のモクレンが咲いていた。勿論写真を撮ったのだがパソコンに入力しないうちに消してしまい残念。白木蓮の長い街道も素敵であった。
家に帰りついたのは6時を過ぎていた。それから手巻き寿司の用意をし3人で美味しく楽しい夕食の時間を持った。
孫はもう一晩泊まるので私一人で9時11分のひかりに乗り東京の家に帰りついたのは11時半を過ぎていた。
着いて間もなく次女から電話があった。やはり90歳の母親一人旅を心配してくれたのであろう。何時もは早く寝てしまう娘なのに12時近くまで起きていてくれたんだ~案じてくれていたんだ~と本当に有難く思った。私も「無事着いたよ」とラインで書いている最中ではあったが!
素晴らしいオペラを見せてくれ、方々に連れて行ってもらい楽しい嬉しい2日間、次女さん本当に有難う。
浜松から帰った翌日の午後オペラシティーでのコンサートを予約してあったので今回は楽であるし車で出掛けた。
有名な方々ばかりのピアノ・ヴァイオリン・パイプオルガン・チェロ・歌等の演奏と福島県立湯本高校の素晴らしい吹奏楽など最後にはステージに演奏者全員が上り聴衆と共に「故郷」を合唱し素晴らしい演奏会は終わった。
休憩時間に後ろの方から拍手が起こったので何かなと見たら天皇・皇后両陛下のお成りであった。何も知らされていなかったのでびっくり、私の席は2階の横だったのでしっかりお顔をお見受けすることが出来た。全聴衆が総立ちになり盛んな拍手でお迎えした。演奏が終わると一生懸命拍手を送られていたし最後の合唱もご一緒に歌われた事であろう。お帰りの時も総立ちで盛んな拍手、両陛下もしばしの間にこやかに手を振られ去って行かれた。お写真やテレビなどではお見受けするけれど両陛下のお姿をじかに拝することが出来有難かった。
以上長くなりましたが実のある3日間でした。明日は用事でちょっと出掛けるし、20日は娘二人とお墓参り、21日夕方には(次の朝早い飛行機なので)前泊で成田まで行かねばならず忙しい毎日であるけれど、22日~30日までイスラエルに行って来ます。無事に帰国できるよう願っています。
元気で行って来ま~す。