このところ土日出社も続いていて哀しい限りなのですが、たまには息抜きを...ということで
その合間を縫っての寄り道。
荒川方面に来たついでに、最近保存車両に「上屋」がついて
より一層の保存公園としての体裁が整った「都電おもいで広場」へ行ってきました。
都電荒川車庫の脇に作られたこの公園、同車庫に納められていた
5500形5501と7500形7504の2両がきれいに整備されて保存されています。
いま荒川線を走る車両は全部、都電黄金期の造形を持つものはないのですが、
この「原型7500形」は、都電の忘れ形見のような存在。いいですねえ。
でもこの7504、実は1998年までラッシュ時のみ使っていたんですよ。
ああ、ああ、乗ればよかった。
かわいい顔。
内部もきれい。木の床独特のにおいがとてもうれしい。
そしてもう一両、PCCカー、5501。
上野公園でなかば放置状態で置いてあったものの近年荒川車庫に移され、
でもそこでも放置されていたので危惧してたのですけど
晴れてこんなに美しく保存!
まあ、車内はシートも撤去されて家庭用エアコンが据えられて
ギャラリーと化しているのでオリジナル状態はそこなっていますが、
まあ仕方ないのか。
美しい!
「Presidents' Conference Committee=PCCカー」は、
車に対抗しうる新しい路面電車としてアメリカで1930年代から開発されたのですが、
昭和28年、都営がPCCカーの製造に関する技術を有していたウェスティングハウスなどからその技術を購入し、設計した車両です。
5500形は当時の最新技術であるカルダン駆動を日本で3事業者目に採用し、
マイク式の放送装置・パンタグラフも都電では初めて用い、
車内も蛍光灯、系統表示板は行灯式となるなど、新しい試みが盛り込まれていた
斬新な車両でした。車体も14m級でかなり長くなっていました。
5500形は5501~5507までの7両が製造されましたが、厳密には1両目(5501)だけが
純粋なアメリカ流技術の「純PCCカー」と称されることが多いようです。
というのも、この5501だけは本場アメリカのPCCカー標準装備である「足踏みペダル式」による運転方法を採用し、
機器類もアメリカ製の部品を一部に用いているなどしているのですが、
以降の車両は外観こそ類似しているにせよ内容的には完全なPCCカーとは呼べない、と言う理由から。
でもこの特殊性が災いし、大型の車体であることもあって
都電の芝浦工場に近い三田車庫に所属し、都電1系統(上野駅~銀座~品川駅)でのみ使用されました。
しかしまあ...
通常は手で動かす路面電車なのに、5501は自動車よろしくアクセル・ブレーキで
動かすというのですから、さぞ乗りにくかっただろうなあ。
運転台。なんだこれ...
見た時、保存したときにいろいろ撤去された姿かと思ったくらいの違和感。
右からアクセラレーター(加速)、ブレーキ(制動)、デッドマンの各ペダル。
クルマと同じく、右足でA・B(アクセル、ブレーキ)ペダルを操作。
左足は常にデッドマンペダルを踏むことで、
もし運転手に意識を失うなど何かあったときペダルから足が離れれば
非常ブレーキが作動する仕組みになっていたようです。
ギャラリーになっている良さもあり、
運転台の後ろには透明のパネルが置かれていて、運転台の操作説明が書いてあったり、
当時の「運転マニュアル」が貼り付けてあったりで興味深いものでした。
5502以降は台車部分が切りかかれて保守性を向上させていますが、
5501はご覧のように台車ははね上げ式のスカートに覆われて見えません。
FS501と呼ばれるこの台車は、本国アメリカのPCCカーの図面を基に住友金属で製作。
「FS」の名前が住友製を語ります。
内側台車枠、弾性車輪、直角カルダンの駆動方式、
モーター軸に組み込まれたドラムブレーキなど、特殊づくめ。
さらに非常用の電磁吸着ブレーキを持ってます。
車輪の真ん中の箱っぽいのが電磁吸着ブレーキ。
それにしても歴史的記念車がこういう形で恒久保存されていくなんて、
ほんとに素晴らしいことですね。都営の英断に拍手です。
2両しかないミニ電車博物館ですけど、とても楽しかったです。
あ、土日しか開いていないので要注意!
>>玉電の200形とともに、「動態保存」してくれないかなあ...ってもう無理だよなあ。
>>都電9000形に2両目が出ましたけど、こういう「あからさま」なレトロより
昭和30年代的「ほんとのレトロ感」を再現してもらいたいものですよねえ。
JR九州の1962なんちゃらというキハ58改にも同じこといいたい。
どうみてもモダーン、最先端デザインじゃないか...。
>>でもまあ
「ほんとの1962年製の車両を再現」を、と言っても、
もうその頃はすでにデコラ板の内装、アルミ・蛍光灯の素材は普通に使われていただろうから、
「妙に古臭い」で終わっちゃうのはわかるんですけどもね。
だって昭和30年代初頭の内装でさえ、確かに古いは古いけど木造車とかでは無いわけで、
いまの電車とたいして変わらないと言えば変わらないですものね。