今でこそ仏車漬けな自分なのだが、
高校時代はアルファのジュリア(箱セダンのほうね)が心底好きだった。
で、その影響というか、イタリア車への思いは並々ならぬものがあったりした。
実際、仏車には(好きだったけど)興味は今ほどには無かった。
その頃...つまりはそれまでの「ただクルマが好きなコドモ」だった自分が
クルマ免許を取るか取らないか意識し始めたころの輸入車はまだまだ高嶺の花、
「ガイシャ」って呼ばれる時代だった。
いまよりもうんと高かったし、トラブルも多かった。
イタ車も、仏車も高かった。
アルファ75っていうアルファの後輪駆動最後を飾るイカしたセダンがあったんだけど、
これなど450万くらいした。
しかも、もとをただせば1960年代のノルド・アルファを端とする古~いスパイダーでさえ、
びっくり仰天の450万円。なんだそりゃ!って思いつつ、でもそういうもんだと思っていた。
そんな価格価値だったとはいえエントリーモデルも各社から各車にちゃんと用意されていて、
価格帯は今よりも高いが、でも今よりもむしろ魅力的な
「素」のモデル、「本国に売っているのに近い仕様」がたくさん入ってきていた。
たとえば、ルノーには「サンクファイブ」があったし、
プジョーも205の初期には5ドアのディーゼル、末期にはオリジナルモデルだけど「SI(エスアイ)」、
シトロエンにはAXのTRS(実際はTRSだと本国では上級グレードなのだけど)、
VWならゴルフの「C」(泣ける...3ドアでなんもついてないのよ)、
時期はちょっと遅れるが
メルセデスでさえ190Eに「アンファング」なる、今だとあり得ない
「パワーウインドーがない」モデルさえ導入されていた。
しかもマニュアルがあった気がする(*_*
そして、フィアットには標題の「ウーノ45」があった。
さらにボトムレンジにパンダがいたけど、ウーノの場合上級版もあったので
45はもっとも安いウーノだったのだ。
右奥が45
フィアットウーノは、1983年にジゥジアーロデザインでデビューした、
それまでの127に代わるモデル。
徹底的に合理化された車内はとても広く、
内装はプラスチックさ全開ながらもデザインが良く、潔ささえ感じさせるものがあった。
1984年にはヨーロッパカーオブザイヤーを受賞したこのクルマ、とにかく売れに売れ、
フィアットを経営危機からから救った。
45はそのものズバリ45馬力を示していた。当初は旧来のOHV 903ccエンジンだったが、
途中から999ccのFIRE(ファイア)エンジンに変更になった。
FIREとは、「完全に自動化されたエンジン」
(Fully Integrated Robotized Engine)という意味で、
イタリアの自動車生産史上初めてロボット導入によって
無人工場で一貫生産されるエンジンであった。
45の内外装は素っ気なく、最低限の装備しかない。車重にいたっては720キロ。
軽さは速さと燃費の良さにもつながった。
そのあと、アルファ(スッドだが)を2台、そしてパンダ(1000CL)にも乗った。
スッドには懲りているような懲りていないような、な感じだが
今でもパンダのことは思い出すし、また乗ってもいい。
適当に服を見繕って家を出て、とりあえず当てもなく走り出そう。
気持ちイイ風をいっぱいに窓とサンルーフから取り込んで、
大きな声を出してCDに合わせて歌えば、
何も付いていないパンダには「自由」がいっぱいついていることに気づく。
45PSしかないエンジンを釈迦力にまわしきって走れば、
難しいことなんざどうでもよくなる。
柔らかいハンモック調の椅子。バスケットみたいなダッシュに財布や携帯を無造作に放り込む。
薄い鉄板を通して容赦なく入るエンジンのノイズ。近い外界。車内は閉ざされた空間ではない。
道といっしょになって走る、素っ裸の感覚。素晴らしいゲタ。
(拙稿より引用)
そう、パンダは良かった。すごく楽しかった。
2CVの無いいま、またあの「素っ裸」感が欲しくなっているのかもしれない。
でも今度は、同じ「あけすけカー」でもウーノ45がいいな。
....なんて、買えもしないしタマもあまりない現状では妄想するしかない自分なのでした(^^
>>なんて思ってウーノ45の売り物を探していたらあった...。
やばい、この色やばい。欲しい......
>>あ、あとこれもキてる!ニューチンクェ!
56万円なり.......びみょー!
出来ればニューチンクェは2気筒がいいのだが...ってそんなの日本にねー!
>>マニュアル、左ハンドルという本国スペックが
正規でばんばん売っていた時代が懐かしい~。
そう思うと、ハンドル位置こそ右だけど今でもマニュアルを入れ続ける
プジョーと、最近のルノーはエラい!?
高校時代はアルファのジュリア(箱セダンのほうね)が心底好きだった。
で、その影響というか、イタリア車への思いは並々ならぬものがあったりした。
実際、仏車には(好きだったけど)興味は今ほどには無かった。
その頃...つまりはそれまでの「ただクルマが好きなコドモ」だった自分が
クルマ免許を取るか取らないか意識し始めたころの輸入車はまだまだ高嶺の花、
「ガイシャ」って呼ばれる時代だった。
いまよりもうんと高かったし、トラブルも多かった。
イタ車も、仏車も高かった。
アルファ75っていうアルファの後輪駆動最後を飾るイカしたセダンがあったんだけど、
これなど450万くらいした。
しかも、もとをただせば1960年代のノルド・アルファを端とする古~いスパイダーでさえ、
びっくり仰天の450万円。なんだそりゃ!って思いつつ、でもそういうもんだと思っていた。
そんな価格価値だったとはいえエントリーモデルも各社から各車にちゃんと用意されていて、
価格帯は今よりも高いが、でも今よりもむしろ魅力的な
「素」のモデル、「本国に売っているのに近い仕様」がたくさん入ってきていた。
たとえば、ルノーには「サンクファイブ」があったし、
プジョーも205の初期には5ドアのディーゼル、末期にはオリジナルモデルだけど「SI(エスアイ)」、
シトロエンにはAXのTRS(実際はTRSだと本国では上級グレードなのだけど)、
VWならゴルフの「C」(泣ける...3ドアでなんもついてないのよ)、
時期はちょっと遅れるが
メルセデスでさえ190Eに「アンファング」なる、今だとあり得ない
「パワーウインドーがない」モデルさえ導入されていた。
しかもマニュアルがあった気がする(*_*
そして、フィアットには標題の「ウーノ45」があった。
さらにボトムレンジにパンダがいたけど、ウーノの場合上級版もあったので
45はもっとも安いウーノだったのだ。
右奥が45
フィアットウーノは、1983年にジゥジアーロデザインでデビューした、
それまでの127に代わるモデル。
徹底的に合理化された車内はとても広く、
内装はプラスチックさ全開ながらもデザインが良く、潔ささえ感じさせるものがあった。
1984年にはヨーロッパカーオブザイヤーを受賞したこのクルマ、とにかく売れに売れ、
フィアットを経営危機からから救った。
45はそのものズバリ45馬力を示していた。当初は旧来のOHV 903ccエンジンだったが、
途中から999ccのFIRE(ファイア)エンジンに変更になった。
FIREとは、「完全に自動化されたエンジン」
(Fully Integrated Robotized Engine)という意味で、
イタリアの自動車生産史上初めてロボット導入によって
無人工場で一貫生産されるエンジンであった。
45の内外装は素っ気なく、最低限の装備しかない。車重にいたっては720キロ。
軽さは速さと燃費の良さにもつながった。
そのあと、アルファ(スッドだが)を2台、そしてパンダ(1000CL)にも乗った。
スッドには懲りているような懲りていないような、な感じだが
今でもパンダのことは思い出すし、また乗ってもいい。
適当に服を見繕って家を出て、とりあえず当てもなく走り出そう。
気持ちイイ風をいっぱいに窓とサンルーフから取り込んで、
大きな声を出してCDに合わせて歌えば、
何も付いていないパンダには「自由」がいっぱいついていることに気づく。
45PSしかないエンジンを釈迦力にまわしきって走れば、
難しいことなんざどうでもよくなる。
柔らかいハンモック調の椅子。バスケットみたいなダッシュに財布や携帯を無造作に放り込む。
薄い鉄板を通して容赦なく入るエンジンのノイズ。近い外界。車内は閉ざされた空間ではない。
道といっしょになって走る、素っ裸の感覚。素晴らしいゲタ。
(拙稿より引用)
そう、パンダは良かった。すごく楽しかった。
2CVの無いいま、またあの「素っ裸」感が欲しくなっているのかもしれない。
でも今度は、同じ「あけすけカー」でもウーノ45がいいな。
....なんて、買えもしないしタマもあまりない現状では妄想するしかない自分なのでした(^^
>>なんて思ってウーノ45の売り物を探していたらあった...。
やばい、この色やばい。欲しい......
>>あ、あとこれもキてる!ニューチンクェ!
56万円なり.......びみょー!
出来ればニューチンクェは2気筒がいいのだが...ってそんなの日本にねー!
>>マニュアル、左ハンドルという本国スペックが
正規でばんばん売っていた時代が懐かしい~。
そう思うと、ハンドル位置こそ右だけど今でもマニュアルを入れ続ける
プジョーと、最近のルノーはエラい!?