Retrospective...

イラストレーター/ライター遠藤イヅルの困った嗜好をばらす場所

火の鳥は僕ら愚かな人間に語りかける

2005-07-22 | 思うこと。
ロンドンでまたテロらしき事件が。

イスラム過激派によると思われる犯行...とのこと。


繰り返されるテロ、押さえ込む米英の図式は、
果てしなく続く静かな宗教戦争ともいえる様相を呈してきた。


思えば、宗教どうしのぶつかり合いで、いかほどの血が流されてきたことだろう。
11世紀から延々と続いた十字軍の進軍は、エルサレム奪還という意味では西欧にすれば義軍、
だけれどイスラムからは侵略軍だった。
イスラムとキリスト教の対立以外にも、
16世紀から17世紀にかけてのヨーロッパにおけるカトリックとプロテスタントの
対立があったりと、人間の歴史は宗教戦争・論争の歴史でもあった。



人間がいるからには宗教が生まれる。そして対立は必ず起きてしまう。
短くまとめあげることなど到底出来ないこの問題に、
手塚治虫の描く「火の鳥」太陽編で、
火の鳥はあっさり言ってのける。

主人公、犬上との会話にそれはある。




火の鳥「ここは、あなたの生きている世界から千年余りも後の世界です。
この世界にも光族と影という二つの信仰の激しい戦争がありました。
でも私は人間たちが自然に解決するのを、じっと見ていただけです。」

犬上 「こんなにひどいいくさなのに!?」

火の鳥「そう。むごたらしい戦いでした。宗教戦争はいつもむごいのです。
人間というのは何百年何千年たっても、どこかで、いつも宗教のむごい争いを起こすのです。
きりがないのです。とめようがありません」

犬上 「きりがないって?なぜなんですか?」

火の鳥「それはねえ、宗教とか人の信仰なんて、みんな人間がつくったもの。
そしてどれも正しいの。ですから正しいもの同士の争いは止めようがないでしょ」





...どれも正しい。この一言の前には、どんな論争も空しい。
どちらの側にとっても、どちらも考えていることが正しいということなのだから。


ところで、「仏教を下敷きにした無宗派」の日本人には、
彼らがなぜそこまで自身の信じるものがために戦うのかは
きっと根本的には解らないのかもしれないけれど、
日本にしか出来ない「和平」の道は、
むしろその「無宗教」という土壌があればこそ、必ず出来ると思う。

米英に追随するだけでない、日本独自の道が。
戦いの連鎖が生む憎しみを断つための道が。



>>余談ですけど、イスラムの諸国にとっては、
赤十字は侵略者のマーク「十字」を想像させるとして無闇に使えません。
バカブッシュは、イラク侵攻を十字軍になぞらえて、イスラム諸国から猛反発を受けました。
根強い対立は、もはや数世紀単位で行われているということなのですね...。

>>では赤十字は中東、マレーシアなどではどうしているのか?
そこで、赤十字のかわりに「赤新月社(せきしんげっしゃ)」が置かれて活動しているのであります。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする