15日夜、南三陸の「ホテル観洋」に泊まりました。
日の出(16日5:18am)
東の方から巨大な津波が襲って来ました。
私が泊まった部屋は2階(カーテンが開いている)
津波は2階の部屋まで襲ってきたそうです。
部屋の窓から下を見る(20メートル以上ある)
カモメが朝のご挨拶
朝食後、震災の記憶を語り継ぐ「語り部」がバスに同乗し、当時の状況を語ってくれました。
津波襲来直前まで町民に避難を呼び掛け続け、犠牲になった町職員遠藤未希さん(当時24)がいた防災庁舎(中央)。右の写真も
私達を案内してくれた語り部の家は右の盛り土辺りにあったそうです。
震災前には多くの住宅、スーパーや商店があったそうですが、町全体が無くなってしまいました。
津波は電柱より高く来たそうです。(今あるのは震災後に建てられた)
ホテル観洋から防災庁舎方向を望む
津波が襲来する高台からの映像がテレビで何度も流されていました。
人々はここより、もっと高くへ避難したそうです。
東日本大震災から5年半、復興は進んでいますがまだまだです。
多くの人が仮設住宅に住んでいます。
日の出(16日5:18am)
東の方から巨大な津波が襲って来ました。
私が泊まった部屋は2階(カーテンが開いている)
津波は2階の部屋まで襲ってきたそうです。
部屋の窓から下を見る(20メートル以上ある)
カモメが朝のご挨拶
朝食後、震災の記憶を語り継ぐ「語り部」がバスに同乗し、当時の状況を語ってくれました。
津波襲来直前まで町民に避難を呼び掛け続け、犠牲になった町職員遠藤未希さん(当時24)がいた防災庁舎(中央)。右の写真も
私達を案内してくれた語り部の家は右の盛り土辺りにあったそうです。
震災前には多くの住宅、スーパーや商店があったそうですが、町全体が無くなってしまいました。
津波は電柱より高く来たそうです。(今あるのは震災後に建てられた)
ホテル観洋から防災庁舎方向を望む
津波が襲来する高台からの映像がテレビで何度も流されていました。
人々はここより、もっと高くへ避難したそうです。
東日本大震災から5年半、復興は進んでいますがまだまだです。
多くの人が仮設住宅に住んでいます。
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