環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

「経済」 「社会」(福祉) 「環境」、不安の根っこは同じだ!

「将来不安」の解消こそ、政治の最大のターゲットだ

「定期点検中の原発の再稼働」を巡るおびただしい提言合戦の中から一つだけ

2012-04-09 18:08:40 | 原発/エネルギー/資源
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 今日の朝日新聞の朝刊の一面トップは「大飯 来週にも安全宣言 政権 再稼働基準を決定」で、リードの部分は「野田政権は6日、定期検査で停止中の原発を再稼働させる条件となる安全対策の暫定基準を決めた。来週中にも関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町、計236万キロワット)の安全を宣言。電力の需給見通しなどを踏まえて再稼働の妥当性も判断した上で、枝野幸男経済産業省が地元を訪れて同意を求める。」となっています。
 

 グーグルに「原発再稼働を求める提言」と入れて検索をかけると、約633,000件がヒット、「原発再稼働中止を求める提言」と入れると、約525,000件がヒットします。あまりのヒット数の多さに深入りを避け、次の小さな記事だけを一つ考えてみましょう。

 この記事に出てくる「エネルギー・原子力政策懇談会」という団体に興味が湧きましたので、ネット上で検索してみました。

エネルギー・原子力政策懇談会

提言:福島からの再出発と日本の将来を支えるエネルギー政策のあり方

 この14項目を盛り込んだ提言の「前文に」中に、次のような記述があります。

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エネルギー・原子力政策懇談会有志一同・発起人代表
同会会長 有馬 朗人

 「エネルギー・原子力政策懇談会」は、昨年3 月11 日の東日本大震災以降、我が国のエネルギー政策とりわけ原子力政策の混迷の中であるべき政策の方向を求めて、民間の学者や産業界の心ある人々が参集し検討を重ねてきたものである。(いわば民間エネルギー臨調)この間、福島第一原子力発電所事故の検証、放射線汚染の実状と対策、エネルギー安全保障、地球温暖化問題への影響、原子力安全規制のグローバルスタンダード化等をそれぞれの専門家を交え議論を重ねてきた。

・・・・・・・・・(略)

 資源の乏しい我が国にとって、国民生活の安定と安全の確保、産業の競争力維持のためにはエネルギーの安定供給は極めて重要な課題である。また、地球温暖化対策や環境問題についても、これまで世界をリードしてきた我が国としては背を向けることはできない。一時の感情論に流されることなく、科学的知見に基づき、あらゆる側面から冷静な議論が必要である

・・・・・・・・・(略)

 このような状況の中で、我が国のエネルギー政策について、われわれはあえて政府に速やかなる政策検討、決定を促しこの政策空白を回避するとともに、真に必要な政策論議を求めたい。このため、特に緊急を要する諸点につき、懇談会有志が意見をまとめ下記提言するものである。
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 上の赤字の部分をご覧ください。日本を代表するような学者や経営者などの識者が集まっている会がそれぞれの専門家を招いて議論を重ねて来た結果が、「また、地球温暖化対策や環境問題についても、これまで世界をリードしてきた我が国としては背を向けることはできない。」とありますというのでは、あまりに事実の理解がお粗末です。日本はほんとうに、地球温暖化対策や環境問題でこれまで世界をリードしてきたのでしょうか。このような認識では、後に続く14項目の提言の意味合いが薄れるのではないでしょうか。

このブログ内の関連記事
原発を考える ⑤ エネルギーの議論は「入口の議論」だけでなく「出口の議論」も同時に行う(2007-04-14)

●大和総研 経営戦略研究レポート CSR(企業の社会的責任)とSRI(社会的責任投資)  日本は環境先進国なのか? 2008年3月10日
要約 世界銀行が2007年10月に公表した温暖化対策を評価した報告書において、日本は70カ国中62位、先進国では最下位という衝撃的な結果が示された。洞爺湖サミットで環境立国日本を標榜し、世界のリーダーシップをとるのであれば、日本は環境先進国、という思い込みを捨てて積極的かつ大胆な温暖化対策を早急に進める必要がある。

毎日新聞に掲載された「地球を考える会のフォーラム」(広告)に対する私のコメント(2009-11-06)

日経の「社長100人&500社アンケート」に示された日本企業のトップの環境認識(2010-10ー17)





改めて驚かされる「原発立地環境」の相違、欧米と日本 そして スウェーデン

2012-04-08 18:50:12 | 原発/エネルギー/資源
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 グーグルに「原発と地震」と入れて検索しますと、およそ49,000,000件がヒットします。今後もこの件数は日に日に増加することでしょう。ここまで情報の数が増えてくると、何が重要で、何が末梢的な周辺情報なのかを見極めるだけでくたびれてしまい、なかなか求める情報にたどり着くことが難しくなってきます。

 日本の状況をなるべくありのままに理解するためにこのブログでは、日本の状況をスウェーデンの事例と比較としながら考えています。長年、日本とスウェーデンを同時進行でウオッチしてきた結果、私がおそらく間違いないだろうという結論に達したことはスウェーデンは「予防志向の国」(政策の国)であり、日本は「治療志向の国」(対策の国)だということです。

 このことは両国を比較したときにほとんどすべての分野で観察されることです。昨年3月11日の東京電力福島第1原発事故以来この1年間、マスメディアやネットを賑わしている原発関連のニュースや議論も例外ではありません。このブログでも折に触れ、私の環境論の下で、両国の原発に対する私の考え方を記してきました。3月27日のブログ「25年前に原発格納容器のベント用にフィルターを設置した国と、“安全神話”でいまだ設置ゼロの国」もその具体例の一つです。

 今日は「原発問題の安全性」を考える上での大前提となる「原発の立地環境」の大きな相違を確認しておきましょう。次の図をご覧ください。

  この図は1903年から2001年までのおよそ100年間にマグニチュード7以上の大地震が起きた場所(赤い部分)に2001年現在の原発(原子力発電所)の位置(黒丸)をプロットした非常にわかりやすい図で朝日新聞に掲載されたものです。この図を提供された茂木清夫さんは地震予知連絡会会長を務めたかたでした。

 私はスウェーデンの原発の位置とカリフォルニア州の原発の位置を示すために、この図に「青のサークル」(スウェーデンの原発の位置)と「赤のサークル」(カリフォルニア州の原発の位置)加えました。欧米の原発のほとんどが大地震の発生地帯から離れて立地しているのに対し、日本の原発はまさに大地震発生地帯に立地しています。もちろん、スウェーデンの原発も過去100年の大地震発生地帯から相当離れていることがわかります。

 次の図は米国50州(面積:約9372万km2 人口:3億1500人)の位置関係を示す図です。

 一番左の中央部にカリフォルニア州があります。カリフォルニア州の面積は約42万km2で日本の面積(約37万km2)の約1.1倍です。地震発生地帯にあるカリフォルニア州には原発が2カ所(サンオレフレ原発とディアブロキャニオン原発)あります。それぞれの原発には2基ずつ原子炉があり、計4基が稼働しています。ですから、日本の原発立地はカリフォルニア州に54基の原子炉が立地しているようなイメージです。スウェーデンの面積は約45万km2ですから、日本の面積の1.2倍、そこに、2005年5月31日以降、3カ所の原発で計10基の原子炉が立地しています。ですから、簡単に言えばカリフォルニア州の面積に10基の原子炉が立地しているというイメージですね。

 このような原発立地環境の事実関係を知った上で、スウェーデンと日本の間には「予防志向の国」「治療志向の国」の考え方の相違があることを考えますと、安全神話の下で進められてきた日本の原発の置かれた状況がスウェーデンとの比較だけではなく、国際的に見てもいかに厳しいものかがおわかりいただけるでしょう。

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日高義樹のワシントン・リポート2010-02-14: 次世代エネルギーの主役は太陽? 原子力?(2010-02-17) 



海図なき21世紀のグローバル市場経済の荒波に「スウェーデン・モデル」は有効か 持続可能な社会へむけて

2012-04-06 14:40:55 | 持続可能な開発・社会/バックキャスト
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 今年2月1日にノルディック出版社からレグランド塚口淑子編「スウェーデン・モデル」有効か 持続可能な社会へむけてというタイトルの本が出版されました。

 私のこのブログでも、これまでに「スウェーデンの経済パフォーマンスが好調であること」を書いてきましたが、この本の「第2章 スウェーデンの経済と経済政策―経済・福祉・環境の共生」のはじめにで、経済学者の丸尾直美さんは次のように述べておられます。
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はじめに
スウェーデンをはじめとする北欧諸国は、福祉と環境を重視し公的資金をこれらの分野に多く割くという意味では「大きな政府」の小さな国である。それでいて、「小さな政府」の大きな国のアメリカに並ぶ、あるいはそれ以上の成果を経済面でも挙げている。福祉と環境面では、スウェーデンをはじめとする北欧諸国のほうがはるかに成績が良い。
 こうした事実を説明する一つの解釈は、アメリカ型と北欧型の二つの経済成長方式があるとの論である。それは規制緩和と企業活動の自由化で、利潤と投資を増やして企業を中心に経済成長し、その成果のおこぼれ(trickle down)で国民が豊かになるというアメリカ型経済成長と、福祉・分配・環境主導の北欧型成長方式である。
                          ―中略―

 スウェーデンのよい政策を日本で紹介しても、小さい国だからできたが、日本のような大国では無理だといわれたものである。しかし、スウェーデンで成功した政策が10~20年遅れで日本でも導入されることが多い。スウェーデンは小さい国だからこそよく見えるので、合理的な政策がとれるのである。スウェーデンはいわば「社会科学の実験工場」だと自覚してスウェーデンの良き政策から日本ももっと真剣に学ぶべきである。
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ついに、あの中谷さんも、竹中さんも「北欧の成長戦略に学べ」と ???(2010-01-05)


 ところで、私は編者の求めに応じて、「第4章 環境問題への対応は 『フォアキャスト』か、『バックキャスト』か」を執筆しました。そして、人類の歴史の中で初めて直面する「2つの大問題」というタイトルのもとで次のように書きました。
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 21世紀の半ば(2050年頃)までに、私たちは数百万年の人類の歴史の中で初めて直面する二つの大問題を否応なしに経験することになるであろう。どちらの大問題も、私たちの社会をこれからも持続させることができるかどうか、次の世代に「安心で安全な社会」を引き渡すことができるかどうかに、深くかかわっている。
 一つは日本でも関心の高い「少子・高齢化問題」である。これは「人間社会の安心」を保障する年金、医療保険、介護保険、雇用保険などで構成される「社会保障制度の持続性」にかかわる問題である。つまり、人間社会の安心と安全が保障されるかどうか、という意味において「社会の持続性」にかかわる大問題なのである。しかし、この問題は基本的には国内問題である。
 もう一つはいうまでもなく、「環境問題」である。これは「人類を含めた生態系全体の安全」を保障する「環境の持続性」にかかわる、さらに大きな大問題なので、すべての経済活動の大前提として常に考慮しなければならない。
 環境問題の根本には経済活動が原因としてあるわけだから、この問題を解決するための具体的な行動は経済的に見れば「経済規模の拡大から適正化」への大転換であり、社会的に見れば20世紀の「持続不可能な社会(大量生産・大量消費・大量廃棄の社会)」から21世紀の「持続可能な社会(資源・エネルギーの量をできるだけ抑えた社会)」への大転換を意味する。
 先進工業国がさらなる経済規模の拡大を追求し、新興国(中国やインドなど)や途上国がそれに追従するという20世紀型の経済成長の延長では経済規模は全体としてさらに拡大し、地球規模で環境が悪化するにとどまらず、これから2050年までの40年間に人類の生存基盤さえ危うくすることになるであろう。
 この二つの大問題は私たちが、今まさに「人類史上初めての大転換期」に立たされていることを示している。
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 そして、この章の「おわりに」を次のように結びました。

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 21世紀のグローバルな市場経済の荒波を、先頭を切って進むスウェーデン丸は「精巧なコンパス」(科学者の合意)と「強力なエンジン」(政治主導の政府)を搭載した新造船で、「最新の海図」(自然科学的な知見)をたよりに、みごとな「操船術」(「社会科学的な知見」と「社会的な合意形成」に支えられた実現のための政策)を駆使して、2025年頃に、最終目的地である「緑の福祉国家」(エコロジカルに持続可能な社会)をめざしている。
 現在は、国際的に20世紀の「経済規模の拡大」から21世紀の「環境に十分配慮した経済規模の適正化」への大転換期なので、判断基準の変更によって、20世紀の経済大国(具体的には日本を含めたG8の国々)が、様々な分野で相対的に国際ランキングの順位を落とす現象がみられるようになってきた.
 2000年以降に公表された様々な分野の国際ランキングをみると、21世紀の社会を模索するようなデータ(少子・高齢化、年金・医療保険・雇用保険などの社会保障や労働環境を含めた福祉、教育、ITなどの先端技術、環境・エネルギー分野など)の国際ランキングでは、スカンジナビア3か国(ノルウェー、スウェーデンおよびデンマーク)にフィンランドやアイスランドを加えた北欧5か国の活躍が目立つ.たとえば、2011年3月11日の東日本大震災に伴う東京電力福島第一原発の過酷事故後に再浮上した「日本国内の電力市場の自由化問題」がある。この問題でも、10年以上先を行く北欧諸国の経験は日本のこれからの議論に大いに役立つ情報を提供できるであろう。

・・・・・・・・(中略)・・・・・

 気候変動に象徴される21世紀最大の問題である「環境問題」への対応は、個々の環境問題の現象面に技術で対応するのではなく、拡大し続ける経済活動の規模を適正化して新しい社会を築くことである.めざすべき社会は日本で提唱されている「低炭素社会」ではなく、「低エネルギー社会」、さらには「エコロジカルに持続可能な社会」である。
 大阪万博からおよそ40年、北欧の国々が再び、私たちに続く21世紀後半の「まだ見ぬ世代が住む人間社会の明るい未来」のための舵取りを担うことになったのは、単なる偶然なのだろうか・・・・・ 
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 私たちがいま直面している「環境問題」に対する最も重要な判断基準は、「社会全体のエネルギー消費量を削減できるかどうかにかかっている」ということになります。「環境問題の根本的な原因は経済活動にある」「21世紀の経済成長はエネルギー・資源の消費を抑えて達成されなければならない」、これらの事実は「環境問題について私たちがみな共通に持つべき認識」のはずですが、残念ながら、日本ではまだ十分には共有されていません。

 フォアキャストする日本の政策決定にかかわる人々の「本音」としての危機意識およびそれに必然的に伴うはずの適切で有効な対応は、致命的といってもいいほど遅れているといわざるをえません。バックキャストするスウェーデンは、理想主義の国ではなく、理念に基づいた長期ビジョンを掲げ、行動する現実主義(プラグマティズム)の国なのです。

このブログ内の関連記事
私の環境論14 環境問題は経済の「目的外の結果の蓄積」(2007-01-24)

フォアキャストする日本、バックキャストするスウェーデン① 「未来社会」の構想(2007-07-20)

フォアキャストする日本、バックキャストするスウェーデン② フォアキャストvsバックキャスト(2007-07-21) 

フォアキャストする日本、バックキャストするスウェーデン③ 21世紀はバックキャストが有効(2007-07-22)


 この本のタイトルにある「持続可能な社会」には

①社会的側面(人間を大切にする社会であるための必要条件)
②経済的側面(人間を大切にする社会であるための必要条件)
③環境的側面(環境を大切にする社会であるための必要条件)

の3つの側面があります。スウェーデンは福祉国家を実現したことによって、これら3つの側面のうち、「人間を大切にする社会であるための必要条件」つまり「社会的側面」と「経済的側面」はすでに満たしているといってよいでしょう。しかし、今後も時代の変化に合わせて、これまでの社会的・経済的な制度の統廃合、新設などの、さらなる制度変革が必要になることはいうまでもありません。

 この本は第1章から第10章までの10章で構成されています。10章のうち、私が担当した第4章を除いた各章が①社会的側面あるいは経済的側面の最新の情報を提供しています。90年半ば以降、スウェーデンの社会的側面および経済的側面が新たな展開をしていることに注目してください。

このブログ内の関連記事
緑の福祉国家3 スウェーデンが考える「持続可能な社会」(2007-01-13)

21世紀のモデル探し-スウェーデンは21世紀のモデルたり得るだろうか-(2010-10-31) 




  

改めて、日本の「効率化」とは・・・・・

2012-04-01 21:35:30 | 経済
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 4年前の2008年3月28日のブログで、次のような趣旨のことを書きました。

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 日本の年度末にあたって、21世紀の日本の環境問題を考えるときに、私たちが把握しておかなければならない日本特有の主な条件を挙げておきます。それは日本経済が制約を受ける社会的・地理的条件です。大変不思議なのは、このような前提を忘れた議論ばかりが行われていることです。

★日本経済が制約を受ける地理的・社会的条件
★日本の「効率論」で忘れてはならない大前提
★「経済成長一辺倒」の20世紀、「21世紀の方向性」が見えない日本

 日本は今、まさに20世紀の価値観とは異なる21世紀社会への転換期を迎え、その方向性が見えず苦悩しているところです。 
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 今日、4月1日は日本の年度初めです。そこで、今日は上記の3つの論点のうち、「日本の『効率論』で忘れてはならない大前提」を再掲します。昨年3月11日に起こった「東日本大震災」から1年経って、この大前提が見事に証明されたと考えられるからです。

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 日本の企業人、エコノミスト、政策担当者の多くはこれまで日本の経済パフォーマンスを語るとき、「効率の良さ」を挙げてきましたが、これには次のような大前提があることを忘れてはなりません。

①平穏時あるいは予想される範囲の近未来しか想定していないこと。あらかじめ準備していたことを遂行する時には、日本の官僚機構、企業、学校などの既存の組織はきわめて有効に働くが、事前に想定された範囲を超える出来事(大事故や大きな自然災害など)が起こるとシステムが機能しなくなる。

②常に健康な成人を想定していること。社会を構成するのは老若男女である。それぞれに健康なものもいれば、そうでないものもいる。日本の制度は健康な成人に焦点を当てた「強者の論理」に基づくものである。
 
 これらの前提に立てば、生産、物流コストをぎりぎりまで切り詰め、「効率化」を図ることが可能となりますが、安定した社会やインフラの整備、自由な企業活動を保障するとともに、国民の健康、生活、財産の安全を確保するには、さらにコストがかかるはずです。社会全体のコストを考えることが重要です。
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 皆さんはどうお考えですか。


このブログ内の関連記事
私の環境論15 「日本の環境問題」を考えるときの基本条件(2007-01-25)

格差社会が広がる日本、効率性と公平性を達している北欧(2007-03-22)

日本の国づくりの議論を混乱させる2つの指標 「国民負担率」と「環境効率」(2007-03-16)

不十分な日本の「省エネルギー」という概念、正しくは「エネルギー効率の改善」という概念だ!(2007-11-26)

 



25年前に原発格納容器のベント用にフィルターを設置した国と、“安全神話”でいまだ設置ゼロの国

2012-03-27 21:33:48 | 原発/エネルギー/資源
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 このブログを開設したのが2007年1月1日でしたから、今年は5年目に入ったことになります。ブログを初めて5日目の2007年1月5日に「予防志向の国」(政策の国)と「治療志向の国」(対策の国)というタイトルの記事を書きました。予防志向の国とはスウェーデンのことで、治療志向の国とは日本のことです。今日は、改めてこのことを考えてみます。格好の判断材料があるからです。

 まずは、今日の東京新聞の1面掲載の記事「フィルターいまだゼロ」と題する記事をご覧ください。


 続いて、2面の解説記事「廃棄フィルター未設置 世界の『常識』備えなし」をご覧ください。この記事の中では、フランスやスイスの原発では当たり前の設備になっていると書かれています。

 原発の排気筒につけるフィルターについては、このブログでも以前取り上げましたが、スウェーデンの原発ではすべての原子炉にこの種のフィルター「フィルトラ・システム(FILTRA SYSTEM)」あるいは「類似のFILTRA-MVSSおよび他の事故緩和対策」が1988末までに完了しました。設置の動機は1979年の米国スリーマイルズ島原発事故の教訓からです。まず、「FILTRA SYSTEM」がデンマークのコペンハーゲンに近いバルセベック原発の2基の原子炉に設置され、1985年より稼働し始めました。1989年までに残りの10基の原子炉すべてに「FILTRA-MVSS」が設置され、同時に他の事故緩和対策がとられました。

このブログ内の関連記事
東日本大震災:東電会長 廃炉認める(朝日新聞 朝刊)、放射能封じ 長期戦(朝日新聞 夕刊)(2011-03-31)

もし、福島第一原発の原子炉格納容器にスウェーデンの「フィルトラ・システム」が設置されていたら(2011-07-20)

毎日新聞 福島1号機 東電ベント不調報告(2011-07-22)

ネット上の関連記事から
諸外国の苛酷事故対策設備の状況(平成2年6月8日 原子力安全委員会)

発電用軽水型原子炉施設におけるシビアアクシデント対策としてのアクシデントマネージメントについて>(平成4年5月28日 原子力安全委員会)



 NHK&出版のメディアミックス誌『月刊 ウィークス』の1989年10月号に「理想国家スウェーデン 迷走する脱原発路線」というタイトルの取材記事(p136~141)が掲載しています。この記事のp141でスウエーデンの「フィルトラ・システム」を報告すると共に、「日本の原発安全神話」を象徴する次のようなエピソードが紹介されています。

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 この装置も実は、対岸のコペンハーゲンの反原発運動を意識してつられたものだが、すでに、国内のすべての原子力発電所に設置済みだ。これに対して、日本では、 “原発の大事故は起きないことになっている”ため、このようなフィルター装置は現在稼働中の37基には一つも設置されていない。
 そう言えば、スウェーデンの取材中こんなことがあった。ある原子力発電所の幹部から「日本でもしチェルノブイリ級の原発事故が起きたら、どんな対策をとるのか」と質問されたのに対し、取材に同行した電気事業連合会のスタッフは、「原子炉の型が違うので、日本ではチェルノブイリのような大事故は起きない。従ってそうした対策は考えていない。可能性があるとしたら、ヒューマン・エラーが考えられるので、運転員の教育を通じて事故防止に努めている」と答えた。
 このあまりにも日本的な模範解答は、西側に通じにくかったと見えて、質問者は、「機械に絶対安全はありえない。人間だってミスしないとはかぎらない。それが人間だ」とつぶやいて、口をつぐんでしまった。
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 この事例からも示唆されますように、両国の間には「原子炉の安全性に関する基本認識」に対して20年以上の開きがあることがわかります。 昨年3月11日に起きた東京電力福島第1原発の大事故はこの認識の相違を見事なまでに明らかにしました。  

     
 余談ですが、バルセベック原発の2基は1999年11月30日、2005年5月31日にそれぞれ閉鎖され、現在スウェーデンで稼働中の原子炉は10基となっています。


★「予防志向の国」と「治療志向の国」

 日本は「何か目に見えるような問題が起こってから対応を考える、つまり、病気になってから治療する」というパターンを繰り返してきた国です。一方、スウェーデンは人間に被害が出てから行動を起こしたのでは大変コストが高くなる、特に、社会全体のコストが非常に高くなるという認識から、「予防できることは予防しよう」という考えで行動してきた国です。

 日本の水俣病の経験からもわかるように、水俣病という公害病は50年以上前に起り、1956年に公式に認められた病気です。しかし、患者の方々は高齢となり、今なお、この病気で苦しんおられる方がおりますし、裁判でもなかなか決着がつきません。この間に支払われたお金は大変な額にのぼるでしょうが、それでも、一度失われた健康は修復不可能です。
 
 これまでに公表された様々な資料をながめてみますと、明らかに「治療よりも予防のほうが安上がりである」と言えると思います。今、私たちが直面している環境問題やエネルギー問題は治療志向の国では対応できない問題ですので、日本を「治療志向の国」から「予防志向の国」へ転換していかなければなりません。


このブログ内の関連記事
「治療的視点」と「予防的視点」:摩擦の少ない適正技術を(2007-06-12)

「不安でいっぱいだが、危機感が薄い国」 と 「危機感は強いが、不安は少ない国」(2011-07-10)



★現実主義の国「スウェーデン」

 スウェーデンは非常に現実的な国です。原理・原則を大切にし、当たり前のことを当たり前のこととして実行してきた国です。日本のように言葉が飛び交い、行動が先送りされがちな国とは違って、国民の合意の下に公的な力によって行動に移してきた国です。

 私はスウェーデンを真似するべきだとは思いません。真似をしようとしても、できるものではありません。スウェーデンにはスウェーデンの歴史と文化、それに福祉国家を築き、それを支えている土壌があります。同じように、日本にも日本の歴史と文化、土壌があります。異なる道を歩んできた両国が今、共通の環境問題やエネルギー問題に直面しているのです。

 両国は共に20世紀に世界が注目する経済的な成功を治めた国ではありました。ここで、両国が経済的に成功した原動力を考えてみましょう。いろいろな理由が考えられますが、私は両国の発展の原動力は同じではなく、むしろ正反対だったと思っています。キーワードは「不安」です。スウェーデンは公的な力によって、つまり社会システムによって、国民を不安から解放するために安心・安全・安定などを求めて経済的発展を進め、生活大国をつくり上げたのに対し、わが国は不安をてこに効率化・利便さをもとめて経済大国と呼ばれるまでに経済的発展をとげたのです。激しい「競争」が不安を作り出す大きな原因であることは容易に理解できるでしょう。

 両国は、環境問題やエネルギーの分野では「世界をリードし続けてきた国」と「そうではなかった国」でした。ですから、スウェーデンが、今、考え、実行に移していることを検討することにより、私たちはもう少し環境問題やエネルギー問題の本質に近づくことができるのではないかと思います。

 そのような考えから、私はこのブログを書いています。私の提言は「自分の国のことは自分たちで真剣に考えよう」ということです。環境問題やエネルギー問題は世界共通の、しかも、これまでにどの国も解決したことがない人類史上最初で最後の大問題だと思うからです。

 スウェーデンは日本では福祉国家として知られていますが、意外に理解されていないのはこの国が「現実主義の国」、現実に立脚した国であるということです。日本では、スウェーデンを“理想主義の国”と考える人がかなりいるようですが、私はそうは思いません。“理想主義の国”だと思っていると時々“スウェーデンは理想郷ではない”というよう興味深い投書に遭遇し、スウェーデンの別な面を知って、戸惑ったり、ある種の安堵感をおぼえる方もいらっしゃるようです。

「Reality is the Social Democrat’s worst enemy.」(現実は社民党の最大の敵である)」という故パルメ首相の言葉があります。社民党は1932年の結党以来、社会の問題点、つまり現実を絶えず先取りしながら、現実を改良し、現在の福祉国家を築き上げたのです。福祉ほど私たちの日常生活に密着した現実的な課題はないでしょう。

 現在の福祉国家の枠組みを作ったのは社民党の長期単独政権でしたが、2006年からは穏健党を中心とする中道右派の4党連立政権となりました。2010年9月19日の総選挙の結果、中道右派政権が2014年まで政権を続投することになりました。今後の中道右派政権の「福祉政策」と福祉国家を支える「エネルギー政策」をウオッチしていく必要があります。


 日本と違って、スウェーデンのエネルギー政策をウオッチするには、次の視点が重要です。
   
    スウェーデンのエネルギー政策の将来を理解するカギは政策の中にあるのではなく、政治の中にある。
    我々にとって、民主主義はどんなエネルギー政策よりも重要である。(1989年4月 T.R.イャールホルム) 




昨日行われた野田首相の初めての「施政方針演説」

2012-01-25 22:49:51 | 政治/行政/地方分権
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昨日、第180通常国会が招集され、6月21日までの150日間の議論がいよいよ始まります。今朝の朝日新聞に、野田首相が首相就任後初めて行った「施政方針演説」の全文が掲載されています。全体の内容をつかむために、とりあえず「見出し」と新聞1面をフルに使った「施政方針演説」(全文)の中に、21世紀前半のキーワードである「持続可能な」という言葉が どの程度、どのような文脈で、使われているか調べて見ました。5回登場しますが、そのうち、4回が「持続可能な社会保障(制度)」というものでした。

 1.はじめに(1カ所)
   持続可能な社会保障制度を再構築するという大きな方向性

 2.3つの優先課題への取り組み(1カ所)
    -復興の槌音よ、鳴り響け
      津波を含むあらゆる自然災害に強い持続可能な国づくり ・地域づくりを実現するため、
    -原発事故と戦い抜き、福島再生を果たす
    -日本経済の再生に挑む

 3.政治・行政改革と社会保障・税一体改革の包括的な推進(3カ所)
    -政治・行政改革を断行する決意
    -社会保障・税一体改革の意義
      「社会保障を持続可能で安心できるものにしてほしい」という国民の切なる願いを叶えるため
    -改革の具体化に向けた協議の要請
      歴代の先輩方は年初の施政方針演説の中で、「持続可能な社会保障を実現するための革・・・」
       「持続可能な社会保障制度を実現するには、・・・・・・」

 4.アジア太平洋の世紀を拓く外交・安全保障政策(なし)
    -アジア太平洋の世紀と日本の役割
    -近隣諸国との2国間関係の強化
    -人類のより良き未来のために

 5.むすびに(なし)

 
 つまり、日本のめざす将来目標は「持続不可能な社会」の中に、「持続可能な社会保障制度」を構築するという大変矛盾をはらんだものとなっています。政治家も官僚も学者も企業家も、そして市民もこのおかしさに気づいていないのでしょうか。私は「持続可能な社会保障制度」は「持続可能な社会」の中に構築されるものだと思うのですが・・・・・・

 次の2つの図をご覧ください。この図は21世紀前半社会のキーワードである「持続可能な」という言葉の、スウェーデンと日本の使い方の相違を示したものです。10年前の2002年に描いたものですが、昨日の野田首相の「施政方針演説」を読む限り、内容的にはこの図を修正する必要はなさそうです。



 昨年3月11日に発生した東日本大震災の前まで、マスメディアを賑わしていた「低炭素社会」、「循環型社会」、「自然共生型社会」という概念はどこへ行ってしまったのでしょうか? 4年前の2008年1月に行われた福田康夫・元首相の施政方針演説はなんだったのでしょうか。

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混迷する日本⑥ 福田首相の変心? 「持続可能社会」から「低炭素社会」へ転換(2008-01-20)

持続可能な社会、低炭素社会、循環型社会、自然共生社会、これらを組み合わせた社会とは何だろう?(2007-10-24)



 今年、6月にブラジルのリオデジャネイロで「1992年の地球サミット(国連環境開発サミット)」の20周年を受けて、 「国連のリオ+20」が開催の予定ですが、現政権は目の前に山積する国内の解決すべき大問題に気を取られるあまり、この大事な国連会議をすっかり忘れているのではないでしょうか。



野田首相は「1.はじめに」の中で、次のように述べておられます。
xxxxx
昨年9月、野田内閣は目の前にある課題を一つ一つ解決して行くことを使命として誕生いたしました。 「日本再生元年」となるべき本年、私は、何よりも、国政の重要課題を先送りしてきた「決められない政治」から脱却することを目指します。
xxxxx

 是非、そうあって欲しいと思います。

 1月20日のブログでも述べたように、スウェーデンと日本の違いは、 「予防志向の国」 「治療志向の国」 、言い換えれば、「政策の国」「対策の国」です。「治療志向の国」日本は、戦後の経済復興から一貫して「経済の持続的拡大」を追い求めてきた社会の仕組みから、つぎつぎに発生する膨大なコスト(たとえば、国や自治体の財政赤字、年金をはじめとする社会保障費、企業の有利子債務など)の「治療」に追い立てられています。

 
  「対策の国」日本の舵取りを任されている野田首相は、昨日の「施政方針演説のおわり」の中で、次のように述べて、初めての施政方針演説を結んでおられます。
xxxxx
 ・・・・・・政治を変えましょう。苦難を乗り越えようとする国民に力を与え、この国の未来を切り拓くために今こそ「大きな政治」を、「決断する政治」を、共に成し遂げようではありませんか。日本の将来は私たち政治家の良心にかかっているのです。国民新党を始めとする与党、各党各会派、そして国民の皆様のご理解とご協力をお願い申し上げ、私の施政方針演説といたします。
xxxxx

 大変すばらしい決断です。しかし、忘れないでいただきたいことは、1月20日のブログで再考した私の環境論を構成する主要な原則の一つ「今日の決断が将来を原則的に決める」という経験則です。

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政治が決める「これからの50年」(2007-01-05)

政治が決めるこれからの50年:日本とスウェーデンの「将来像」と「展望」(2009-09-20) 

そして、もう一つ、次の図も参考に。


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私の環境論14 環境問題は経済の「目的外の結果の蓄積」(2007-01-24)

フォアキャストする日本、バックキャストするスウェーデン① 「未来社会」の構想(2007-07-20)

フォアキャストする日本、バックキャストするスウェーデン② フォアキャストvsバックキャスト(2007-07-21) 

フォアキャストする日本、バックキャストするスウェーデン③ 21世紀はバックキャストが有効(2007-07-22)


改めて、今日の決断が将来を原則的に決める―スウェーデンに失敗例はないのだろうか?

2012-01-20 22:26:20 | 社会/合意形成/アクター
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今日は、改めて、私の環境論の根底にある考え方の一つ「今日の決断が将来を原則的に決める」を考えてみます。私はこのブログ内でこれまで2回、このテーマを取り上げたことがあります。

このブログ内の関連記事
今日の決断が将来を原則的に決める(2007-04-04)

再び、「今日の決断が将来を原則的に決める」という経験則の有効性(2007-07-30)


 スウェーデンと日本の違いは、「予防志向の国」 「治療志向の国」、言い換えれば、「政策の国」「対策の国」といえるでしょう。スウェーデンは公的な力で「福祉国家」をつくりあげた国ですから、社会全体のコストをいかに低く抑えるかが、つねに政治の重要課題でした。そこで、政策の力点は「予防」に重点が置かれ、「教育」に力が入ることになります。一方、これまでの日本は、目先のコストはたいへん気にするが、社会全体のコストにはあまり関心がなかったようです。

 このブログでは、これまで主としてスウェーデンのよい点、成功例を挙げてきましたが、では、スウェーデンに失敗はないのでしょうか。そんなことはありません。世界に先駆けて新しいことを始めるお国柄ですから、失敗例には事欠かないでしょう。問題は、何をもって失敗と考えるかです。そして、失敗であることがわかった時点でその誤りを修正し、先へ進めることができるかどうかです。特に、このブログの主なテーマである 「エコロジカルに持続可能な社会の構築―安心と安全の国づくりの話」 ではなおさらです。たとえば、こんな例はいかがでしょう。

 1997年9月に、北欧の「強制不妊手術問題」が日本のマスコミをにぎわせました。1935年から約40年間にわたって、知的障害や病気を理由に、6万人が不妊手術を強制された、というものです。日本の新聞などマスメディアの論調は、「人権重視のあの福祉国家がなぜ?」という驚きでした。

 北欧の不妊法は、1929年にデンマークで、34年にノルウェーで、35年にはフィンランドとスウェーデンで制定されました。ほぼ同じ時期に、大陸のドイツやスイス、オーストリアなどでも類似の法律がつくられました。また、米国や英国、カナダ、フランスなども例外ではありません。日本では、戦後の1948年になって、「優生保護法」という類似の法律がつくられました。

 30年代は、「悪質な遺伝子を淘汰し、優良な子孫を残すことが人類にとって望ましい」という優生学の思想がヨーロッパで支配的になり、北欧の不妊法もそのような国際状況のなかで生まれたのです。

 100年前のスウェーデンは、ヨーロッパの最貧国でした。人権や平等の理念のもとに、「最貧国」を「福祉国家」に変えるビジョンを掲げた社民党が、初めて政権の座に就いたのは1932年でした。政権に就いて3年たった社民党政権が不妊法を制定した理由は、福祉国家の建設のために、当時最先端の科学として認識されていた優生学の知見が有用であると考えたからです。

 スウェーデンで強制不妊手術を許したのは、宗教的な背景だといわれています。不妊手術はイタリアなどのカトリックの国では許されませんでしたが、スウェーデンのようなプロテスタントの国では、それほど強い抵抗感はなかったのです。

 左右両陣営から広く支持されていたスウェーデンの「不妊法」は、1976年に廃止されました。政府は、国民からの批判を受けて、病気や知的障害などを理由に強制的に不妊手術を受けさせられた市民を対象に、99年に一人当たり約260万円の国家賠償金を支払うことになりました。


 一方、スウェーデンより13年遅れて1948年に制定された日本の「優性保護法」は1996年に廃止となりました。スウェーデンの「不妊法」が廃止された後20年も日本では「優性保護法」が施行されていたことになります。次の2つの記事をご覧ください。






 いくつか別の例を挙げてみましょう。

 東西冷戦体制のときにスウェーデンは国民の80%以上を収容できる核シェルターをつくりました。これには、たいへんな建設費と維持費がかかっています。東西冷戦体制のさなか、核の脅威が差し迫っていた40年前の判断では、この事例は成功例だったかもしれませんが、東西冷戦体制がなくなったいま考えると、これは「失敗例」といえないこともありません。

 60年代末に、核兵器の開発と保有の権限を放棄する選択をしたことや、70年代中頃に「軽水炉・再処理・高速増殖炉」路線を変更し、ワンスルー利用(使用済み核燃料の再処理をしないで、そのまま保管すること)を選択したこと、さらには、1991年に気候変動への対応策として世界に先駆けて導入したCO2税はどうでしょうか。

 携帯電話の導入は? また、「旧スウェーデン・モデル(20世紀の福祉国家)」や、旧スウェーデン・モデルの下でつくられ、年金受給者の安心に貢献した60年の「旧年金制度」は失敗だったのでしょうか。旧スウェーデン・モデルは70年代に、日本の識者から多くの批判を受けました。

これまでに挙げた事例はおそらく、批判が花盛りの頃だったら「失敗例」と判断されたかもしれません。しかし、現在の判断基準に照らせば、失敗とはいえないと思います。

 実はスウェーデンには、 「持続可能な社会」の観点から見て、たいへん大きな失敗例があります。きわめてスウェーデンらしい失敗ということもできます。それは、原発の導入です。

 スウェーデンは60年代から、「環境の酸性化」に悩まされてきました。そこで経済成長にともなって増えつづける電力需要に対処するために、「環境の酸性化への対応」と「エネルギーの自立」と「中立政策」を考えて、水力のつぎに、迷うことなく原子力を選択しました。

 化石燃料を輸入に頼らざるを得ないスウェーデンが火力発電に踏み切ることは、東西冷戦体制のもとで、東西どちらかの陣営から化石燃料を購入することになり、伝統的な中立政策と矛盾することになります。ほかの先進工業国が(やはり化石燃料を自給できない日本もそうであったように)、水力発電のつぎに化石燃料による火力発電を導入したことを考えると、この選択にはスウェーデンらしさがよくあらわれていると思います。

 そして、スウェーデンは、80年代から原子力を廃棄しようとしています。原発の選択は、その時点では成功例だったかもしれませんが、「21世紀の持続可能な社会」に向けての判断基準に照らすと、失敗例だと思います。

 このように、ある事柄が成功か失敗かは、そのときの状況、立場、判断基準により異なります。しかし、21世紀最大の問題である環境問題に対応するには、失敗例に学ぶことではなくて、成功例に学び、予防志向で早めに行動を起こさなければならないと思います。なにしろ、時間がありませんし、失敗したら後戻りができないのですから。

 日本は、目先のコストが高くなることをたいへん気にしますが、社会全体の長期的なコストについては、これまであまり関心を払ってこなかったようです。
 けれども90年代後半になって、戦後の経済復興から一貫して「経済の持続的拡大」を追い求めてきた日本の社会の仕組みから、つぎつぎに発生する膨大なコスト(たとえば、国や自治体の財政赤字、年金をはじめとする社会保障費、企業の有利子債務、不良債権、アスベスト問題など)が目に見えるようになってきました。そしていま、その「治療」に追い立てられているのです。


 

改めて、「原子力エネルギーの利用」について  これからの議論の参考に

2012-01-13 07:01:06 | 原発/エネルギー/資源
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 日本でも今年の春から夏にかけて電気エネルギー、とりわけ「原子力エネルギーの将来」について熱い議論が社会のさまざまな分野で戦わされることになるでしょう。「原発やそれに伴う放射性物質の影響」に関する書籍や雑誌が賛成/反対の双方の立場からこれまでのお馴染みの著者や新たに議論に参加してきた馴染みの薄い著者によって市場に提供され、すでに出尽くした感があり、事態は混沌とした状況をつくり出しています。

マスメデイアの報道も「昨年3月11日の東京電力福島第1原発事故とそれにまつわる様々な対応についての報道」から、「日本のエネルギー体系をこれからどうするべきか」という方向性を議論する中で「原子力エネルギーをどう扱うか」という議論が高まってくるでしょう。

このブログ内の関連記事
スウェーデンの「脱原発政策の歩み」⑲ 学校での原子力教育はこれだと思った!(2007-11-17)



 そこで、そのような議論が高まって来るであろうこれからに備えて、参考資料として、2009年10月6日に書いたブログを再掲します。このブログは東日本大震災の1年半前に書いたものですが、大震災があろうがなかろうが、先進国であろうが新興国であろうが、代替エネルギーがあろうがあるまいが、そして、人口の大小や経済規模の大小にかかわらず、「予防的視点」で原子力エネルギーを考えればこのようになると考えています。私の原子力エネルギーに対する考えは今のところ不変です。


★2009年10月8日のブログから

古くて、新しい原発議論が「気候変動問題」への対応との関連で、再び高まってきました。ここで議論しておきたいことは、「原子力ルネッサンス」などという巧みなネーミングのもとに国際的にも国内的にも推進の動きが高まってきたように見える「原発のCO2削減効果に対する有効性」についてです。今日は皆さんと一緒に、もう一度、この大切な問題を考えてみたいと思います。私の考えに対するコメントは大歓迎です。


原発依存を強める「日本」、 原発依存を抑制する「スウェーデン」

去る9月16日に発足した鳩山新政権が国際的に公約した「温室効果ガスを2020年までに90年比で25%削減する」という目標の達成計画の中に前政権が掲げた新規原発9基が含まれているかどうか現時点では不明ですが、民主党のマニフェストには「安全を第一として、国民の理解と信頼を得ながら、原子力利用について着実に取り組む」と書いてあります。

この機会に日本とスウェーデンの原子力エネルギーの利用に対する考え方の相違を確認しておきましょう。日本とスウェーデンでは原発の利用に対する考え方が正反対です。原発依存を強める「日本」に対して、原発依存を抑制する「スウェーデン」ということになります。なお、言うまでもないことですが、日本の、そして、スウェーデンの「原子力技術のレベルの高さ」や「最新の原発事情」について私よりも正確にご存じなのは、ほかでもない日本の原子力分野の専門家のはずです。


「原発の利用状況」 と 「温室効果ガスの排出量」 の関係

脱原発の方向性を定めた1980年3月のスウェーデンの「国民投票の結果」とその結果に基づく同年6月の「国会決議」以降の両国の原発の利用状況をまとめてみますと、次のようになります。



1980年から2008年の28年間に、スウェーデンが2基の原発を廃棄したのに対し、日本は33基の原発を増やしました。この間、スウェーデンは京都議定書の基準年である1990年以降漸次、温室効果ガス(このうちおよそ80%がCO2)を削減し、2007年の排出量は9%減でした。一方、日本では、1990年以降、温室効果ガス(このうち90%以上がCO2)の排出は増加傾向にあり、2007年には過去最悪(9%増)となりました。日本では90年以降15基もの原発を運転開始したにもかかわらず、CO2の排出量が増加している事実に注目して下さい。

関連記事
1970年代からCO2の削減努力を続けてきたスウェーデン(2009-06-02) 


ここで注意すべきは、原発は正常に稼働している限りは実質的に温室効果ガス(具体的にはCO2)を排出しない発電装置と見なしてもよいと思いますが、原発はCO2削減装置ではないことです。しかも、原発利用のフロント・エンド(ウランの採掘から原発建設完成・運転開始まで)から、運転期間を経て、LCAという手法を用いて調べてみますと、原発はフロント・エンドとバック・エンドの作業工程で相当量のCO2を排出することがわかっています。ですから、たとえ正常に稼働している原発が運転時に事実上CO2を排出しないと見なしても、「原発がクリーンな発電装置である」というのは誤りだと思います。

関連記事
原発を考える⑪CO2削減効果はない「原発」(2007-04-22) 


ですから、原発を建設しただけでは温室効果ガスは増加することはあっても、減少することはないのです。日本政府が「2020年の中期目標である温室効果ガスの排出量を15%削減する」ために新規原発を9基建設するのであればその9基の原発がうみだす電力量と同じかそれ以上の電力を生み出す既存の運転中の石炭火力発電所を止めるという政策手段を取らなければ、いくら原発を9基建設しても、つまり、原発で石炭火力を代替しない限りはCO2の大気中への排出量を削減することはできないのです。9基の原発の建設は、「CO2の発生を伴わない電力を既存の電力網に供給する」というだけの話です。

こうすることによって、CO2の削減は可能になるでしょうが、同時に私たちは、現在十分に解決できていない原発特有のマイナス面(安全性、核廃棄物、核拡散、労働者被曝、廃炉、核燃サイクルなどの放射線がかかわる問題や温排水などの難問)とそれに対処するための「膨大なコスト」をさらに抱え込むことになります。例えば一例ですが、

●核燃サイクル 総費用18兆8000億円(毎日新聞 2004-01-16)

●核燃サイクル 割高試算 経済性揺らぐ信頼(朝日新聞 2004-07-03)


「経済成長」と「温室効果ガスの排出量」の関係

2008年2月21日、スウェーデンのラインフェルト首相はEU議会で演説し、「スウェーデンは1990年(京都議定書の基準年)に比較して、2006年には44%の経済成長(GDP)を達成し、この間の温室効果ガスの排出量を9%削減した」と語りました。次の図が示しますように、「経済成長」と「温室効果ガスの削減」を見事に成功させたのです。



スウェーデンでは97年頃から「経済成長」と「温室効果ガス」(そのおよそ80%がCO2)排出量の推移が分かれ始めています。このことは、「経済成長」と「温室効果ガス排出量」のデカップリング(相関性の分離)が達成されたことを意味します。ここで重要なことは、温室効果ガスの削減が「原発や森林吸収や排出量取引のような日本が期待している手段ではない国内の努力によって(日本では“真水で”と表現します)達成されたもの」であることです。スウェーデンは今後も、独自の「気候変動防止戦略」を進めると共に、EUの一員としてEUの次の目標である2020年に向けてさらなる温室効果ガスの削減に努めることになります。

一方、日本は1986年頃から、「経済成長(GDP)」と「CO2の排出量」とが、これまた見事なまでの相関関係を示しています。さらに困ったことに、日本では今なお、二酸化炭素税の導入がままならないばかりでなく、すでに述べたように、2007年度の温室効果ガスの排出量が過去最悪(およそ9%増)となったことです。

関連記事
原発を考える⑤ エネルギーの議論は「入り口の議論」だけでなく、「出口の議論」も同時に行う(2007-04-14)  

経済、エネルギー、環境の関係(2007-02-17) 
これまでの日本の状況は増大する電力需要に対応するために、火力も、原子力も、水力を含めた自然エネルギーもすべて増加させてきたことは、このブログの電事連の統計資料でも明らかです。

ここでは火力発電を原子力で置き換えていませんですから、原発を増やしてもCO2を削減できないことは自明の理だと思います。



スウェーデンの原発に対する最近の動き

現時点(2009年10月現在)で、スウェーデンには日本のように新規原発をつくり続けていこうとするようなエネルギー政策はなく、 「原発依存を抑制する方向性(脱原発の方向性)に変わりはない」と断言できます。ただ、今年2月にスウェーデンの脱原発政策にちょっとした動きがありました。

それは、既存の10基の原発の寿命(国民投票が行われた1980年のときに想定されていた原発の技術的寿命は25年でしたが、現在では60年程度と見積もられているようです)が近づいてきた場合に混乱がおこらないよう、「現在の原発サイト(フォーシュマルク、オスカーシャム、リングハルスの3個所)に限って、そして既存の10基に限って更新(立て替え)が可能になるように、更新の道を開いておく」という政治的な決定がなされたことです。

1996年に21世紀のビジョン「緑の福祉国家」を掲げた比較第一党の社民党は現在、野党の立場にありますが、2001年の党綱領で「緑の福祉国家」(エコロジカルに持続可能な社会)には原発は不要であることを明記しています。







改めて、環境問題の解決とは?

2012-01-10 20:27:05 | 環境問題総論/経済的手法
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 私の環境論では、環境問題と経済の関係は、1月5日のブログで明らかにしましたように、20世紀後半に顕在化した「環境問題の大半」は、私たちが豊かになるという目的を達成するために行った「企業の生産活動」と「企業と市民の消費活動」があいまってつくりだした経済活動の「目的外の結果」が蓄積したものであると考えています。このことは、このブログでも何回も引き合いに出した次の図からも疑う余地はまったくないでしょう。


 ですから、環境問題解決のための具体的な行動は、自然科学が明らかにした「有限な地球という制約」の下で、経済の拡大を大前提として、顕在化した「個々の環境問題の現象面」に一つずつ対応するのではなく、経済的にみれば「経済規模の拡大から適正化」への経済の拡大を前提に大転換であり、社会的には20世紀の「持続不可能な社会(大量生産・大量消費・大量廃棄の社会)」から21世紀の「持続可能な社会(資源・エネルギーの量を出来るだけ抑えた社会)」への大転換を意味します。

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私の環境論18 環境問題の解決とは(2007-02-01)


 21世紀に私たちが「経済の適正規模」を模索しなければならないのは、「資源・エネルギーの不足や枯渇によって経済活動が制約されるから」(20世紀型発想による懸念)ではなく、「20世紀の経済活動の拡大により環境に蓄積された環境負荷(温室効果ガスやオゾン層破壊物質の放出、廃棄物など)と、21世紀の経済活動にともなう環境負荷の総和が環境の許容限度や人間の許容限度に近づくことによって経済活動が制約されるから」(21紀型発想による懸念)なのです。

 従って、 環境問題に対する最も重要な判断基準は 「社会全体のエネルギー消費量を削減するか、増加させるか」ということになります。

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判断基準を変えれば、別のシーンが見えてくる!(2007-10-10)   

同じ情報を与えられても解釈は異なることがある(2007-10-11)
  
環境問題:私の基本認識と判断基準①(2007-10-12)
  
環境問題:私の基本認識と判断基準②(2010-13)   

武田さんの「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」と槌田さんの「環境保護運動はどこが間違っているか」(2007-10-14)  



●「出来るところから始めること」の危うさ

 日本の私たちがいま為すべきことは、 経済拡大を目的とした古い考えや社会制度をそのままにして 「身近なところ(こと)から始める」「できるところ(こと)から始める」ではなく、 「現状をよく知ること」です。「対処すべき問題の規模の大きさ」と「残された時間の少なさ」を考えると、1988年以降、日本政府が意図的に行ってきた環境政策の結果、日本社会に蔓延してしまった「この種の日本的な発想」は問題の解決をいっそう難しくすることになるでしょう。

このブログ内の関連記事
「出来ること(ところ)から始めること」の危険性①(2007-09-08)
  
「出来ること(ところ)から始めること」の危険性②(2007-09-09)   

「出来ること(ところ)から始めること」の危険性③(2007-09-10)
    

改めて、環境問題とは

2012-01-05 18:49:06 | 環境問題総論/経済的手法
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 人類の歴史は常に、「規模の拡大」の歴史でした。「経済成長(発展)」という概念は、自由主義者や新自由主義者、保守主義者、民族主義者、ファシスト、ナチ、レーニン主義者、スターリン主義者など、イデオロギーにかかわりなく、「共通認識」として共有していた考えで、その必要性については、イデオロギー間に全く意見の相違はありませんでした。つまり、20世紀には「経済成長(発展)」は疑問の余地がないほど当然視されていたのです。

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環境問題に対する日本の議論の推移(2007-08-05)

私の環境論16 環境問題への対応、輸入概念でよいのか!(2007-01-26)



「私の環境論」では、経済と環境の関係を次のように捉えています。

私たちが行動すると、その目的が達せられようとされまいと、必ず「目的外の結果」が生ずることになる。20世紀後半に顕在化した「環境問題の大半」は、私たちが豊かになるという目的を達成するために行った「企業の生産活動」と「企業と市民の消費活動」があいまってつくりだした経済活動の「目的外の結果」が蓄積したものである。


 ですから、経済活動が大きくなれば「目的外の結果」も比例的に、あるいはそれ以上に大きくなります。つまり、 「経済」「環境」 は切っても切れない関係にある、分かり易くいえば、「コインの裏表」と表現してもよいでしょう。

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環境問題のまとめ ①環境問題とは(2007-12-21)

環境問題のまとめ ②生態系の劣化(2007-12-22) 
 
環境問題のまとめ ③人間の生存条件の劣化(2007-12-23) 

環境問題のまとめ ④企業の生産条件の劣化(2007-12-24) 


 経済学者/エコノミストや社会科学者の多くはコインの表である“金の流れ” で社会の動きを評価し、判断していますし、環境論者はややもすると“環境問題の現象面”に注目し、その解説に精力を注いでいます。けれども、もっと大切なことは「21世紀の経済はコインの裏である“資源/エネルギー/環境問題”で考えるべきだ」というのが私の環境論の基本的な主張です。

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私の環境論 「経済危機と環境問題」⑪ とりあえずのまとめ(2008-11-29)


 20世紀の安全保障の議論は「軍事的側面」に特化されていましたが、21世紀の安全保障の概念は軍事的側面だけでなく、さらに広く「グローバルな経済活動から必然的に生じる環境的側面」へと展開していかなければならなりません。戦争やテロ活動がなくなり、世界に真の平和が訪れたとしても、私たちがいま直面している「環境問題」に終わりはないからです。その象徴的存在が「気候変動問題」といえるでしょう。

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「環境問題」こそ、安全保障の中心課題に位置づけられる(2007-03-12)

懸念される、今年6月に開催予定の国連の「持続可能な開発会議」(リオ+20)

2012-01-01 10:46:27 | 持続可能な開発・社会/バックキャスト
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新年あけましておめでとうございます。

2007年1月1日に開設した私のこのブログは今年で6年目を迎えました。

 国際的には昨年から引き続く経済的、社会的な混乱と今年予定されている政治的なリーダーの交代、日本ではそれらの国際状況の混乱に加えて、東京電力福島第一原発事故の混乱で、国内外ともに、上の図で示した混乱の予想が現実化して、誰の目にもわかるようになってきました。

 この機会に、ともすれば忘れがちな国際社会の環境・エネルギー分野の大きな潮流を思い起こしておきましょう。 私の環境論では環境/エネルギー問題は、目の前の国内外の経済的・社会的問題よりもさらに大きな 「市場経済を揺るがす21世紀前半の最大の問題であるはず」だからです。

 私は、1972年にスウェーデンの首都ストックホルムで開催された「第1回国連人間環境会議」(ストックホルム会議)の翌年の1973年からおよそ40年にわたり日本とスウェーデンの環境・エネルギー政策を同時進行でウオッチしてきました。

 この過程で、およそ30年前の1983年に、初めて「持続可能な開発」という言葉に出会い、それ以来、私は「持続可能性(Sustainability)」という概念に強い関心を持ち続けてきました。

この言葉を初めて目にする方もおられるかもしれません。英語では「Sustainable Development(SD)」というのですが、1980年に国際自然保護連合(IUCN)、国連環境計画(UNEP)などがとりまとめた報告書「世界保全戦略」に初めて使われ、以来広く使われています。

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「持続可能な開発」の概念① この言葉との初めての出会い(2007-09ー22)


 おおよその意味は、 「現在ある環境を保全するだけではなく、人間が安心して住めるような環境を創造する方向で技術開発し、投資する能動的な開発」、「人間社会と、これまで人間の経済活動によって破壊されつづけてきた自然循環の断続を修復する方向の開発」ということです。

 1987年4月に、国連の「環境と開発に関する世界委員会(WCED)」が「持続可能な開発(Sustainable Development)」の概念を国際的に広める先駆けとなった報告書「われら共有の未来」(通称ブルントラント報告)を公表してから、今年で25年が経ちました。

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「持続可能な開発」の概念② 日本の意外なかかわりかた(2007-9ー24)

「持続可能な開発」の概念③ 日本でも翻訳された「ブルントラント報告」(2007-09ー25) 

「持続可能な開発」の概念④ ブルントラント報告の要点(2007-09-26)

「持続可能な開発」の概念⑤ 日本が国連に提案した「持続可能な開発のための教育(ESD)」の行く末は?(2007-09-27)

今なお低い日本の政治家の「環境問題に対する意識」、1992年の「地球サミット」は、その後は?(2007-09-28)

「持続可能な社会」をめざす国際社会と独自の「循環型社会」をめざす日本(2007-09-30)



 21世紀にめざす「持続可能な社会」が大量生産・大量消費・大量廃棄に象徴される現在の社会を延長・拡大した方向にはあり得ないという、このブログでこれまで述べてきた議論は、1992年6月の「地球サミット」での議論と、その結果まとめられた数々の合意文書でも明らかです。

 地球サミット=国連環境開発会議(UNCED)=は、20年前の1992年6月にブラジルのリオデジャネイロで開催された、国連主催の環境と開発に関する国際会議です。「気候変動枠組み条約」「生物多様性条約」「森林原則声明」「環境と開発に関するリオ宣言」(ここで、「持続可能な開発/社会」という考え方が提案されました)や、「アジェンダ21」などが採択されました。翌年には、地球サミットの合意の実施状況を監視し、報告するために、国連経済社会理事会によって「持続可能な開発委員会」が設立されました。

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1992年の 「地球サミット」 当時のスウェーデンと日本の環境問題に対する認識の大きな相違(2010-09-13)

1992年の地球サミット: 「環境問題をリードしてきた国」 と 「そうでなかった国」(2007-12-04)

あれから40年、2010年は混乱か?―その1(2009-04-09)




 そして、20年を経た今年2012年、国連は、1992年の「地球サミット」の20周年を記念して、6月20~22日に再びブラジルのリオデジャネイロで 「持続可能な開発会議」(リオ+20)を開催する予定です。私の懸念は、日本のマスメディアが昨年から引き続くグローバル社会における国際的、国内的な政治、経済、社会の混乱や東日本大震災とそれによって引き起こされた福島第一原発過酷事故のフォローに忙しく、さらに大きな、そして、もっと基本的な「人間社会の持続可能性」という重要性に、今なお思いを馳せる想像力が欠けてきているのではないかということです。

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地球サミット 新時代の号砲:日本とスウェーデンの対応の相違(2011-02-04)

地球サミット20年:日本とスウェーデンの対応の相違(2011-02-26)

「原発で『第3の大事故』が起きれば、・・・・・」

2011-12-31 22:23:41 | 原発/エネルギー/資源
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タイトルの「原発で『第3の大事故』が起きれば・・・・・」は、「代替エネルギー移行の準備がどうあろうと、脱原発の声が大きくなるだろう。そのためにも、廃止の準備は必要だ」と続きます。21年前の1990年9月19日の社民党大会で当時の社民党党首であったカールソン・スウェーデン首相がこのように演説したと当時の竹内敬二特派員が9月29日の朝日新聞夕刊で報じています。


このことは私の最初の本『いま、環境エネルギー問題を考える-現実主義の国スウエーデンを通して』(1992年 ダイヤモンド社)でとりあげました。 その「第3の大事故」がここ日本で今年3月11日に起きてしまいました。間違いなく、来年は日本でも、スウエーデンから20年遅れて、「脱原発の議論」が活発化するでしょう。

今年3月11日午後2時46分、東北の三陸沖でマグニチュード9.0の巨大地震が発生。その1時間後の津波で東京電力福島第一原発の非常用ディーゼル発電機が使用不能となり、1号機~3号機は炉心溶融(メルトダウン)するという深刻な事態となりました。

 この事故は、スウェーデンでも高い関心を持って報道されましたが、スウェーデンではドイツやスイス、イタリアとは違って、現在のエネルギー政策を大きく方向転換するような政治的な決定は行われていません。この事故のおよそ9 ヶ月前、2010 年6 月17 日の国会で、すでに原発に対する将来の方向性が政治的に明確化されていたからです。

 福島第一原発の事故によって明らかとなった日本固有の「電力政策の課題」(たとえば、電力の自由化や発送電分離)や「原子力行政の問題点」(たとえば、推進と規制の分離)などは、スウェーデンでは15 年以上前から対応策がとられています。

 環境省の原子力行政機関であるスウェーデン放射線安全機関(Swedish Radiation Safety Authority)は事故後の5 月12 日、スウェーデンの原発の安全性をいっそう高めるために、福島原発事故の経過を評価する組織を発足させました。バッテンファールなどの電力事業者もタスクフォースを組織しました。

 スウェーデンの原発の災害のシナリオには地震や津波はありません。しかし、原発は今後もスウェーデンの電源として存在するので、緊急時の原子炉冷却システムの維持は極めて重要です。今後、日本の安全基準は間違いなく強化されるでしょうから、スウェーデンは日本のこれからの技術的な対応を注意深く見守っています。


 ところで、話は変わりますが、「今年の漢字」は「絆」でした。日本漢字能力検定協会の「今年の漢字」は阪神大震災が起きた1995年の「震」に始まり、今年で17回目だそうです。私のブログは2007年1月1日に開設しました。これまでの4年間の「今年の漢字」は次のとおりです。

2007年 「偽」
2008年 「変」
2009年 「新」
2010年 「暑」

 今年12月12日に発表された2011年の「今年の漢字」は「絆」でした。


 このニュースを伝えた12月13日の朝日新聞は、「絆」の語源の元々の意味は 「マイナス・イメージが強かった」 という興味深い解説を載せています。


あと2時間ほどで今年は終わり、私が2000年に「2010年は混乱」と想定した2年目の新年を迎えることになります。特に、「原子力エネルギー」についての議論がどの程度活発化するかウオッチしていきましょう。良いお年を。



モンゴル大統領:核処分施設の交渉禁止

2011-09-21 22:25:00 | 原発/エネルギー/資源
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5月9日のブログで、毎日新聞のスクープ記事「モンゴルに核処分場計画」を紹介しましたが、9月16日の朝日新聞朝刊この記事に関連する次の記事が出ていました。


この記事は、モンゴル政府が5月9日の毎日新聞が報じた事実関係を否定したと報じていますが、この問題は日本の将来にとって非常に重要な問題ですので、今後のマスメディアの報道をフォローすることにしましょう。


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スウェーデンの「最新の原発政策」(2011-08-11)


ドイツのシーメンスが原発撤退、スウェーデンのABBは12年前に原発撤退

2011-09-20 21:11:01 | 原発/エネルギー/資源
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今朝の朝日新聞が、扱いは小さいけれども、次のような非常に興味深い記事を掲げています。



 私は今回のドイツのシーメンス社の行動は、12年前にスウェーデンのABB社がとった行動と軌を一にするものと理解しました。つまり、脱原発に向けて12年前にスウェーデンでおきたことが、今回ドイツでもおきたのです。次の図をご覧ください。


 グローバルな世界市場で、ドイツのシーメンス社やスウェーデンのABB社と競争している日本の原発関連企業(三菱、日立および東芝)は東日本大震災の後、将来に向けて今後どのような行動をとるのでしょうか。



長崎平和祈念式典:市長の「平和宣言」と総理大臣の「あいさつ」、スウェーデンの「最新の原発政策」

2011-08-11 22:19:12 | 原発/エネルギー/資源
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 8月9日は戦後66年の「長崎原爆の日」でした。平和公園で行われた平和祈念式典での田上富久・長崎市長の「平和宣言」と総理大臣の「あいさつ」から、「エネルギー政策の転換に関する部分」に注目し、将来の議論のための資料として保存しておきます。

長崎市長の平和宣言(全文)
たとえ長期間を要するとしても、より安全なエネルギーを基盤にする社会への転換を図るために、原子力にかわる再生可能エネルギーの開発を進めることが必要です。


総理大臣のあいさつ(全文)
そして、我が国のエネルギー政策についても、白紙からの見直しを進めています。私は、原子力については、これまでの安全確保の規制や体制の在り方について深く反省し、事故原因の徹底的な検証と安全性確保のための抜本対策を講じるとともに、原発への依存度を引き下げ、「原発に依存しない社会」を目指していきます。
 

スウェーデンの「最新の原発政策」

 福島第一原子力発電所の事故を受けて、日本が今後、どのようなエネルギー政策を展開していくか今のところまったく不明ですが、一方、スウェーデンでは、この事故とは関わりなく、事故以前に、将来のエネルギー政策の具体的な方向性が明らかになっています。

 この機会に改めて、スウェーデンの「最新の原発政策」をまとめておきましょう。

 2009年2月5日、ラインフェルト連立政権を支える与党中道右派の4党連合は「環境、競争力および長期安定をめざす持続可能なエネルギー・気候政策」と題する4党合意文書を発表しました。

 この合意文書の原発関連部分の要点は 「水力と原子力からなる現在の電力供給システム」に今後、第3の柱となるべき再生可能エネルギーを導入していく過程で、電力のほぼ半分近くを供給している既存の原発10基(このうち4基は70年代に運転開始、すでに40年近く稼働している)のいずれかの更新が将来必要になったときに備えて、更新の道を開く用意をすること」でした。

 合意文書には 「原子力利用期間を延長し、最大10基までという現在の限定枠の範囲で既存の原発サイトでのみ更新を許可する。これにより、現在稼働中の原子炉が技術的および経済的寿命に達したときに継続的に新設の炉で置き換えることができるようになる」と書かれています。
 
 スウェーデン国会は2010年6月17日、「2009年2月5日に与党中道右派4党の合意に基づく原発更新法案」賛成174票、反対172票のわずか2票差で可決しました。

 スウェーデンの最初の商業用原子炉は1972年運転開始のオスカーシャム1号機ですから、この原子炉が今後事故なく順調に稼働していけば、運転開始後50年(1980年の国民投票の時には、当時の原発の技術的な寿命は25年と見積もられていた。現在では原発の技術的寿命は60年程度とされている)、つまり更新時期を迎えるのは2020年頃なのです。

 ですから、今回の「部分的な原発政策の修正(変更)」という決定が直ちに原発の新設という行動に移されるわけではありませんし、日本の原子力推進派の人たちが期待するような「原子力ルネサンスだ!」、「地球温暖化対策のために原発を推進」などという考えで、スウェーデンは原発依存を今後さらに高めて行くわけでもなければ、ましてや、「原発を温暖化問題の解決策」として位置づけているわけでもないのです。

 2011年1月7日の朝日新聞の記事「米国 新資源で競争力下がる」の最後に、「ルネサンスとはいえ、米国ではもともと、実際に新設される原発は10基以下と見られており、当面は「延命」 でしのぐところが多そうだとあります。そうであれば、スウェーデンの今回の行動は、「原子力エネルギーに対する世界最先端の考えに基づく現実的な行動」と言えるかも知れません

 世界の原発の歴史を振り返れば、この分野でもスウェーデンの独自性は際立っています。西堂紀一郎/ジョン・グレイ著『原子力の奇跡』(日本工業新聞社 1993年2月発行)によれば「軽水炉技術を独自に開発したのはアメリカ、ソ連、スウェーデンの3カ国である。ドイツ、フランス、日本、そしてイギリス等の先進工業国が軽水炉の導入に当たり、アメリカから技術導入したのに対し、スウェーデンは果敢にも独自開発路線を選び、最初から自分の力で自由世界で唯一アメリカと競合する同じ技術を開発し、商業化に成功した。」と書かれています。つまり、スウェーデンは 「原発先進国」であり、「脱原発先進国」でもあるのです。

 スウェーデンが80年6月に「脱原発」の方針を打ち出してから30年が経過しました。スウェーデンの「エネルギー体系修正のための計画」を構成する「原発の段階的廃止をめざす電力の供給体系の修正計画」は当初の予定通り進んできたとは言い難いものでしたが、 「原発から排出される放射性廃棄物の処分計画」は着実に進んでおり、この分野でもスウェーデンは世界の最先端にあります。

 日本の原発推進派も、原発反対あるいは脱原発派もスウェーデンの「原発の廃止の動向」には興味を示します。この観点から見れば、この30年間で稼働していた12基の原子炉のうち2基を廃棄したに過ぎないのですから、「2010年までに12基の原子炉すべてを廃棄する」という1980年の当初の目標からすれば大幅な後退であることは間違いないでしょう。しかし、忘れてはならないことは、「脱原発」という政治決断により投じられた予算と企業の努力により「省エネルギー」や「熱利用の分野」では大きな成果がありました。特に「熱利用の技術開発の分野」ではスウェーデンはまさに世界の最先端にあります。


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