環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

「経済」 「社会」(福祉) 「環境」、不安の根っこは同じだ!

「将来不安」の解消こそ、政治の最大のターゲットだ

原発は持続可能な社会の電源としてふさわしいか  ⑨原発と持続可能な社会―その2

2012-06-30 15:32:10 | 原発/エネルギー/資源
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原発と持続可能な社会―その2  (2007-04-18)

 大量生産・大量消費・大量廃棄に代表される現在の産業経済システムが将来(2030年、2050年、2100年)も続けられるという見通しがはっきりしているのであれば、「安全性、核廃棄物の処理・処分、労働者被ばくなどに十分配慮する」という前提で、現在の産業経済システムを支えている原発へのさらなる依存も選択肢の一つだと思います。

 しかし、この議論には、21世紀最大の問題であるはずの「環境問題」の視点がすっぽり抜け落ちていることを忘れてはなりません。

 また、「お前の言うことはわかるが、子供や孫の将来のことなどかまっていられるか。どうせ人生は一度だけなのだから、今日を楽しく生きることが大切だ。なぜ、それがいけないのか。江戸時代へ戻れというのか! 持続可能な社会など構築できるはずはない。自分の生きている間だけどうにかなれば、あとは野となれ山となれだ」と人生を悟り切ってしまったような利己主義者には原発へのさらなる依存は有力な選択肢です。

 そうでない人は次の図をご覧ください。これは1995年5月7日の朝日新聞の記事です。


 この新聞記事は朝日新聞社の坂本修さんが電気事業連合会の原子力部長である早瀬佑一さんと原子力資料情報室の西尾漠さんに「日本に核燃料リサイクルは、本当に必要なのか」を聞いたという構成になっています。10年以上前の記事ですが、今でもこの記事が十分新鮮に感じられるのは、日本の原発議論が堂々巡りしており、あまり進展していないからだと思います。私が注目したいのは早瀬さんの議論の出発点です。早瀬さんはこの記事の最初のところでなぜ原発なのかを次のように明確に説明しています。

× × × × ×
 日本はリサイクル路線が必要です。石油はあと40~50年で枯渇の危機を迎えるといわれます。液化天然ガス(LNG)、石炭も無限ではありません。だから石油危機以降、化石燃料に頼る発電を見直し、原子力を推進してきました。しかし、ウランもまた、70年程度でなくなるといわれています。新しいエネルギー源として何があるかといえば、燃えかすの核燃料から抽出したプルトニウムの有効利用なのです。
× × × × ×

 そして、後半で、「電力業界の最も大きな責任は、電力の供給力をいかに確保するかです。需要はのびますから、準備は絶対に必要です」と述べ、最後に「利用者がある以上、供給責任はゆるがせにできず、原子力発電に費用をかけています。それが国民の理解につながっていないとすれば、説明のしかたが悪いのかも知れません」と結んでいます。

 この発言で重要なことは、電力会社は「1964年の電気事業法」で「供給の義務」を負わされていることです。この規定は社会が要求する需要に対して電力会社は供給の義務があり、「供給を断ることができない」ということです。高度経済成長期に「経済の拡大」を促進する目的で制定された法律が現在も、そして将来さえも規定するのはおかしいのではないでしょうか。

 電気事業法も21世紀前半の「経済のあり方」や「社会のあり方」を十分考えて、新法につくりかえるべきではないでしょうか。

 電気事業連合会という組織の立場だけで原発を考えれば、私は早瀬さんの主張に全く同感です。環境問題や日本のような工業社会を支える資源の問題を十分に考慮せず、現行の産業経済システムの下でさらなる経済の拡大をしていくために電源の確保だけを考えれば、私も原発と化石燃料による発電が最適だと思います。そこで、次の図をご覧ください。


 早瀬さんの議論の出発点はこの図の少し前のバージョンにあることは間違いありません。私は早瀬さんの主張に対して全く同感だと言いましたが、それは「電気事業連合会という組織の立場で電力の供給だけを考えれば」という条件付きでの話です。私の環境・エネルギー問題に対する視点から見れば、早瀬さんのお考えには大いに異論があります。

 私の考えでは、2050年の世界は現在の産業経済システムの下で、経済活動を拡大した状況ではありえないということです。早瀬さんが個人として、あるいは電気事業連合会が組織として、2050年頃の社会をどのようにイメージしているのかぜひ伺いたいと思います。

 あまり難しい議論はこの際必要ありません。基本的な考え方は次のとおりです。

 「現行の産業経済システムの下で経済の持続的な拡大が今後少なくとも50年以上は続くということが確実であり、環境問題にはあまり配慮しないというのであれば、現行の産業経済システムを支えているエネルギー体系を構成する火力発電と原発の増大はそれなりに合理性があると思います。けれども、そうではなさそうだというのであれば、3月11日のブログ「新しい経済発展の道をめざして」に書きましたように、「火力発電と原発の増大はますます持続可能な社会への軟着陸を難しくすることになる」ということです。



原発は持続可能な社会の電源としてふさわしいか  ⑧原発と持続可能な社会―その1

2012-06-26 11:04:55 | 原発/エネルギー/資源
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原発と持続可能な社会―その1 (2007年4月17日)

 過度の原発への傾斜の問題は、万が一、過酷な原発事故が起きた場合にも、需要側サイドの電力の要求により、事故を起こした原発と同じ発電所にある他の原発や他の発電所の同タイプの原発を安全確保のために止めることができず、原発を運転し続けなければならないことです。

 エネルギー体系の変更にはリードタイムが必要なことを忘れてはなりません。次の図は原発が持続可能な社会の電源としてふさわしいかどうか考えるために、原発の現状(1994年末時点)と将来を私なりにまとめたものです。(図8)

 原発の寿命は30~40年と言われていますから、日本では2000年~2030年に第1期の廃炉時期を、2030年~2060年に第2期の廃炉時期を迎えることになります。

 私がこの図を作成した1995年に、商用運転中だった47基の原発、建設中だった原発7基は、2006年末の時点で55基(商用運転中)、建設中3基となりました。この12年間に8基の原発が増えたことになります。

 それぞれの時期にどのように対応するかが大きな問題となります。第1の廃炉時期は軽水炉型の原子炉の更新となりますが、この時にいくつかの選択肢があります。原発の総設備容量を増やす方向を選択すれば、日本の将来は「持続可能な社会」からますます遠ざかってしまうでしょう。この時の判断基準としては、 2月4日のブログ「今後50年のビジョンを考える際に必要な経験則」3月11日のブログ「新しい経済発展の道をめざして」が参考になるでしょう。

 どのようなエネルギーを選択するかによって、私たちの将来は決まってしまうのです。議論の基礎となる共通の資料に基づいて、私たちの将来のエネルギー体系について組織の立場を離れて大いに議論をしようではありませんか。



原発は持続可能な社会の電源としてふさわしいか  ⑦それでは、高速増殖炉は? 核融合炉は?

2012-06-24 09:03:46 | 原発/エネルギー/資源
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それでは、高速増殖炉は? 核融合炉は?(2007年4月16日)

  2005年12月26日の朝日新聞によりますと、経済産業省資源エネルギー庁は高速増殖炉の原型炉「もんじゅ」に代わる新たな高速増殖炉を2030年前後に建設する方針を決めたそうです。

 これは、2005年10月11日に原子力委員会で決定され、3日後の14日に閣議決定された「原子力政策大綱」で、原発の使用済み核燃料からプルトニウムを取り出し再利用する「核燃料サイクル」を堅持する方針が明記されたからです。核燃料サイクルの中核となる高速増殖炉は2050年ごろに実用化をめざすものです。(図7‐1)

 高速増殖炉は「核分裂」を利用した従来型の原子力利用技術の延長線上にあるものですが、もう一つの原子力利用技術に「核融合」という技術があります。その具体的なプロジェクトが南仏に建設が決まった「国際熱核融合実験炉(ITER)」で、2040年頃まで実験を続けることになっています。実用化は早くて21世紀末になると言われています。(図7‐2)

 ですから、高速増殖炉にしても核融合炉にしても、これらの技術による電力供給は私が想定している2050年までには実用化されることはないと考えてよいでしょう。

 そうだとすれば、日本の現在のビジョンである「持続的な経済成長」をめざして、現行の産業経済システムをさらに拡大するために、「安全性に十分配慮した上で、原子力を推進する」という日本政府の主張や、「原発は不安だが、経済成長のために必要」という国民の60~70%を占める考えに沿って、現在の核分裂を利用した原発を2050年に向けてさらに拡大していくという考えが理解できるのではないでしょうか。
 
 でも、私は、この考えは20世紀的な考えで21世紀にめざすべき「持続可能な社会」の電源として原発はふさわしくない と考えています。

 次の図(図7‐3)は日本の原発の廃炉・解体状況を予測したものです。このデータは10年前の1997年5月17日に原子力資料情報室が公表したものですが、もっと新しいデータが現在公表されているかも知れません。このデータが作成されたときよりも現在の原発の数は増えています。原発推進、反対にかかわらず、この種のデータは既存の原発の数がわかっているわけですから、計算の前提条件が同じであれば、同じ結果が出るはずです。

 この図では、今年2007年頃から商業用原発の廃炉・解体が始まると予測されています。これら、原発の廃炉・解体には多量の化石燃料(主に石油)や莫大な費用が必要なことは容易に予測できます。私たちは原発の「入口議論」だけでなく、「出口議論」を真剣にしなければならないのです。




原発は持続可能な社会の電源としてふさわしいか   ⑥原発に否定的な国際的評価の事例 

2012-06-16 10:31:56 | 原発/エネルギー/資源
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 原発に否定的な国際的評価の事例 (2007年4月15日)

 それでは、原発に対する「私の現在の認識と判断」に加えて、「原発に否定的な国際的な評価」の事例をまとめておきましょう。


★私の現在の認識と判断 
 「安全に十分配慮した上で、原子力を推進する」という考えは、日本の政府の主張であり、国民の60~70%が「不安はあるが、必要悪」と納得していると考えてよいと思いますが、私はそうは思いません。この考えは20世紀の経済成長をそのまま引きずっている考えで、21世紀の経済のあり方を十分に考えているとは言えません。

 このような硬直した発想は議論の論点が狭すぎることから生じるものだと思います。4月10日のブログ「まずは、皆さんへの質問」の表の(6)、(7)、(8)を日本の原発の論点に加え、「21世紀の国のあり方(持続可能な社会の構築)」や「経済見通し」との関係で十分に議論しなければならないと思います。

 特に、 (8)を議論の中心に据えれば、議論の方向は大きく変わってくるでしょうし、可能かどうかは別にして、「原発を捨てること」が論理的には正当性があるということになるのではないでしょうか?そうであれば、原発の新設を止め、「安全に十分配慮した上で、原発の依存度を徐々に縮小していく」ことが、現実的なのではないでしょうか。


★スウェーデンの基本的な考え方
 この点で、スウェーデンの論旨は明解です。スウェーデン政府が1992年の地球サミットに提出した資料の一つに「Ecocycles: The Basis of Sustainable Urban Developmet」がありました。その60ページに「原発は持続可能なエネルギー源ではない。それゆえに、国会は国民投票後にすべての原子力発電所を遅くとも2010年までに廃止することを決定した」という記述があります。

上の図を拡大するには、ここをダブルクリックします。

そして、もうひとつ。地球サミットにスウェーデン政府が提出した国別レポートの付属書の42ページにも類似の記述があります。

上の図を拡大するには、ここをダブルクリックします。


このブログ内の関連記事
スウェーデン国会が高齢化した原発の「更新」に道を開く政策案を可決(2010-06-02)

朝日が報じた「転機の原子力 『ルネサンス』に黄色信号」と、「スウェーデンの最新の原発に関する政策」(2011-01-09)


★IPCCの基本的な考え方
 1995年の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」の第二次評価報告は「原子力エネルギーは原子炉の安全性、核廃棄物の処分などについて一般に許容される対応策が見つかれば、世界の多くの地域のベースロードとなっている化石燃料による火力発電を置き換える可能性がある」としています。

 このように、IPCCの報告では、原子力については積極的ではなく、「条件が整えば」という仮定の話にとどまっていることに注意する必要があります。

★WCEDの基本的な考え方
 また、持続可能な開発を提唱した国連の「環境と開発に関する世界委員会(WCED)」は「さまざまな議論があったが、最終的には原発はこれにより生ずる未解決の問題に関するはっきりした解決策が存在しないかぎり、正当化し得ないという点で委員会全員の見解の一致をみた」と1987年4月の「我ら共有の未来」と題する報告書(ブルントラント報告)に書いてあります。

★WSSDの原発の扱い
 2002年8月末から9月初めにヨハネスブルグで開かれた「持続可能な開発に関する世界サミット」(WSSD)を報ずる毎日新聞の記事です。(図6)






原発は持続可能な社会の電源としてふさわしいか  ⑤原発の議論は「入口」だけでなく、「出口」の議論も

2012-06-09 14:06:49 | 原発/エネルギー/資源
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エネルギーの議論は「入口の議論」だけでなく、「出口の議論」も同時に行う (2007年4月14日)   

 4月13日のブログ「過去の原発に関する世論調査」と4月12日のブログ「4月10日の設問の意図」で、原発に対する国民のおおよその意識を示しました。そして、仮に設問のような「夢の原発」が開発されたと仮定すれば、 国民の95%(理由はともかく、原発の存在そのものが嫌な5%の人々を除く)は「原発へのさらなる依存に異議を唱えないだろう、と考えました。

 しかし私は、設問のような夢の原発が開発されたとしても(現実には設問のような原発は開発されないでしょうから)、「原発へのさらなる傾斜に,待った!」といわざるを得ません。

 なぜなら、次の図を見てください(図5‐1)。 この図は2月25日のブログ 「2050年までの主な制約条件」に掲載したものと同じです。


 いくらクリーンなエネルギー(たとえば、自然エネルギー)を必要な量だけ供給できる「夢のエネルギー供給体系」があったとしても、生産活動を支えるほかの生産要素である「原料」や「水」の必要量を将来十分に確保できるという保障があるか、この点については、 3月10日のブログ「生産条件、資源からの制約」で検証しました。

 さらに、生産工程から排出される産業廃棄物や一般廃棄物等の固形廃棄物、さらには大気へ排出されるガス状あるいは水系に排出される液状の廃棄物など「様々な廃棄物の適切な処理・処分」および「廃熱」への対処が十分か、というこれらの課題に対する明快な解答がないからです。

 生産活動は量的に最も少ない生産要素に縛られるのです。 水は生産工程のプロセス水、洗浄水あるいは冷却水として使われます。渇水が深刻な状況になれば、原料やエネルギーが十分供給されていても工場の操業停止をせざるを得ないことを、私たちは経験から知っているはずです。

 エネルギーだけが十分供給されても、エネルギーだけでは生産活動はできないのです。生産活動を支えているエネルギー問題を考えるときには、「エネルギー以外の生産要素が十分確保される可能性があるかどうか」を、同時に考えなければなりません。

 エネルギーの専門家 (とくに原子力エネルギー推進の立場をとる専門家)は、この30年間、この基本的な原則をすっかり忘れて、「持続的な経済成長のためのエネルギーの供給確保」という一点にこだわり、非現実的な論争の前提のもとで難しい技術論を展開し、「非現実的な論争」を繰り返してきました。反対派も難しい推進派の議論に技術論で対応するために議論はますます技術論に偏り、堂々巡りを繰り返してきたのではないでしょうか。

 原子力エネルギーの利用が時の流れにしたがって、「フロント・エンド」(原発の燃料であるウランの調達問題)から「バック・エンド」(核廃棄物の処理・処分の問題)に力点がシフトしてきたように、経済成長が十分可能であった20世紀においては、「エネルギー供給確保」が最重要課題でしたが、資源と環境の制約から20世紀型の経済成長が期待できない21世紀においては、先進国では「エネルギー成長の抑制」こそが最重要課題となります。

 たとえ、夢のエネルギー体系の実現によって「エネルギーの供給サイド(入口)」がクリーン化できたとしても、エネルギー供給の増大が「エネルギーの需要サイド(出口)」で「廃棄物(産業廃棄物および一般廃棄物、さらに既存の法体系で規制されていない「ガス状の物質」)」と「廃熱」を増大させ、環境への負荷を高めることは自明の理だからです。このことは何も原発に限ったことではありません。自然エネルギーや他のエネルギー源についても同様です。

 21世紀のエネルギーの議論は「入口の議論」だけでなく、「出口の議論」も同時に行わなければならないのです。

 このことが十分に理解できれば、これまでの日本の原発論争がいかに不毛な議論を繰り返してきたか、そして、経済成長が十分可能であった(鉱物資源、水資源、エネルギー資源が豊富であった)20世紀型の議論であったかが理解できるでしょう。 

 21世紀の原発の議論は、20世紀の原発議論と違って、原発の分野だけでいくら議論しても解決策はみつからないでしょう。要は、原発問題は他のエネルギー源と共にエネルギー全体の中で、資源問題や環境問題、経済のあり方、社会のあり方など、21世紀の安心と安全な国づくりの問題として、国際的には「持続可能な社会」の構築という21世紀前半の国のビジョンとのかかわりで議論すべきだと思います。

 つまり21世紀の原発問題は4月10日のブログ「まずは、皆さんへの質問」に掲げた図「21世紀の電源としての原発の論点」の「(8)『持続可能な社会』に適した電源か?」という視点から議論しなければならないのです。

 ちなみに、今朝の朝日新聞は「2006年の発受電電力量が3年連続で過去最高記録を更新した」と報じています(図5‐2)。


2005年の発受電力量については2月17日のブログ「経済、エネルギー、環境の関係」を参照ください。日本の社会が「持続的な経済成長」を求めつつ、「持続不可能な社会」の方向に更なる一歩を踏み出したことは間違いないでしょう。

 以上のことから、現時点での「原発に対する私の結論」は、まず原発の建設を現状に凍結すること、具体的には新設・増設を行わないことで、それが「持続可能な社会」の構築への第一歩だと思います。では、高齢化した原発の更新はどうでしょうか。これについては難しい問題なので、しばらく結論を保留したいと思います。




原発は持続可能な社会の電源としてふさわしいか  ④過去の「原発に対する世論調査」

2012-06-08 09:43:39 | 原発/エネルギー/資源
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過去の「原発に関する世論調査」 (2007年4月13日)

  4月12日のブログ「4月6日の設問の意図」で、「設問の意図」という図を掲げました。そして、国民の原発に対する意識を、「原発賛成派」(20%)、「推進派にも反対派にも属さないが、原発は不安だが必要と考える人々」(60%)、「原発反対派」(20%)の3つに分類しました。

 私がそのような割合を決めたのは、内閣府の世論調査や新聞社の世論調査を参考にして、私自身の考えによるものです。それらの世論調査の中から、ご参考までに3つの調査結果を示しておきます。

 内閣府の2006年の調査(図4‐1)では、「何となく不安である」(48.1%)と「不安である」(17.8%)を加えると、65.9%となります。 総理府(現在の内閣府)の1990年の調査(図4‐2)では、「原子力発電への懸念については、何らかの不安を感じる人が90.2%」となっています。また、朝日新聞社の2002年の調査(図4‐3)でも、「原子力発電所で事故が起きることに、9割近くの人が不安を感じている」と回答しています。

右の記事を拡大するには,ここクリックしてください。 


 このようなことから4月12日のブログで掲げた「設問の意図」が的はずれではないことがご理解いただけたのではないでしょうか。

 そうであれば、4月10日のブログ「まずは、皆さんへの質問」で皆さんに問いかけたように、

 仮に設問のような「夢の原発」が開発されたと仮定すれば、 国民の95%(理由はともかく、原発の存在そのものが嫌な5%の人々を除く)は原発へのさらなる依存に異議を唱えないでしょう。

 しかし私は、あり得ないことですが、完全に安全性が確保され、核廃棄物も完全に処理・処分できる〝夢の原発〟が開発されたとしても、 「原発へのさらなる傾斜に、待った!」といわざるを得ません。


 その理由を明日のブログで説明します。




原発は持続可能な社会の電源としてふさわしいか   ③4月10日の「設問の意図」

2012-06-06 09:40:55 | 原発/エネルギー/資源
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 今朝の朝日新聞の投書欄に次の意見が掲載されました。


 この投書に示されたご意見は一昨日ご覧いただいた「反原発論者は暗い現実を見て」というご意見と現状の認識においては共通しているにもかかわらず、明るい未来を実現するエネルギー源の利用について、具体的には「原発の利用」については正反対の印象を受けます。このように、「現状の認識」が共有でき、共に「明るい将来像」を求めながら、その実現を可能にする原子力の利用について一致できないという現実があります。

 それは、「明るい将来像」が現状を改善し、延長していけば到達できるのか、あるいは方向転換をしなければ到達できないのかという議論が不十分なことに起因しています。つまり、日本の原発議論、もう少し広く言えば,エネルギー議論はエネルギーの分野だけという狭い範囲で考えていて、「望ましい明るい社会という将来像」が日本の社会で十分議論され、国民の間で共有されていないことに原因があるのだと思います。


原発は持続可能な社会の電源としてふさわしいか  ③4月10日の「設問の意図」  (2007年4月12日)

 4月10日のブログ「まずは、皆さんへの質問」で原発に関する私の論点8点を、4月11日のブログ「原子力委員会の「原発」の特性と位置づけ」で日本の原子力委員会の「原発の特性と位置づけ」5点を紹介しました。私の論点8点は、1995年に、私の原発に対する視点を明らかにするために当時の原発論争をベースに設定したものですので、96年の私の前著『21世紀も人間は動物である―持続可能な社会への挑戦 日本vsスウェーデン』(新評論、1996年7月10日)の226ページに掲載してあります。

 一方の原子力委員会の「原発の特性と位置づけ」5点は、昨日もお話したとおり、私の論点8点よりも5年遅れて「長期計画策定会議第二分科会」の報告として公表されたものです。両者を比較してみれば、私の論点8点は原子力委員会の5点をすべて含んでおり、その意味で私の原発への視点のほうが広いといえるでしょう。

 さて、昨日のブログに対してお二人の方(冨田さん、XAITOさん)からコメントをいただきました。議論を進めるのに好都合なことに、冨田さんは「原発の安全性が確保され、核廃棄物も安全に処理・処分される技術があるならば、原発は拡大の方向でよい」と考えるとのことですし、XAITOさんは「足りないことが問題なのではなくて、使いすぎ自体が問題」とコメントされていますので、「原発の拡大は好ましくない」と判断されていると私は解釈しました。
  
 お二人の判断は、まさにこのブログの一番上に掲載している「バーナー」(オレンジ色に白地)に書いたような状況になっています。

 そこで、次の図をご覧ください(図3)。


 この図はこれまでの内閣府や新聞社の世論調査をもとに、私が「原発に対する国民の意識」を分類したものです。95年に作成した図ですが、10年を経た2006年の内閣府の世論調査でも不安に感じる人の割合は大体同じようです。

 この図に示した国民の認識の割合(%)が「まあ、そんなものだろう」と合意していただけるなら、 4月10日のブログで皆さんに問いかけたように、仮に設問のような「夢の原発」が開発されたと仮定すれば、国民の95%(理由はともかく、原発の存在そのものが嫌な5%の人々を除く)は原発へのさらなる依存に異議を唱えないでしょう。

 これは「日本政府がこれまで言い続けてきたこと」であり、「原発に不安を感じるが必要である」と考えている一般の人(原発は必要悪という人もいます)が納得してきた「安全に十分配慮した上で、原子力を推進する」という日本の主流の考え方に基づくものです。おそらく冨田さんのお考えも大きく括れば、ここに分類されるのではないでしょうか。





原発は持続可能な社会の電源としてふさわしいか  ②原子力委員会の「原発」の特性と位置づけ

2012-06-05 18:33:02 | 原発/エネルギー/資源
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原発は持続可能な社会にふさわしいか  ②原子力委員会の「原発」の特性と位置づけ (2007年4月11日)
 
 それでは、日本の原子力委員会は「日本の原発」をどのように位置づけているのでしょうか。次の図は7年前の状況ですが、委員の方々は代わっても現在も「原発の位置づけ」は基本的には変わらないでしょう。(図2)


 原発推進派の議論も、反対派の議論も、そして、そのどちらにも属さない一般の人々の議論も、その出発点はここに集約されているのではないでしょうか。皆さんの議論の出発点はどこでしょうか。

 私は4月10日のブログ「まずは、皆さんへの質問」で、「21世紀の電源としての原発の論点」で私が考える8つの論点を示しました。私の「8つ論点」の設定が1995年で、日本の原子力委員会の「原発の特性と位置づけ」が5年後の2000年であることに注目してください。

 私自身の判断では、これまでの日本の原発論争の60%が(1)の安全性に関するもので、30%が(2)の核廃棄物の処理・処分に関するもの、残りの20%が(3)、(4)、(5)に関するものだと思います。

 原発論争の90%を占める「安全性」や「核廃棄物の処理・処分」の重要性については、原発推進派も反対派も、立場は違っても、全く同じ認識だと思います。ただ、認識が同じでも、立場によって、現在の対応が十分かどうかの評価が異なるのだと思います。

 そうであれば、日本の原発論争の90%を占める「安全性」と「核廃棄物の処理・処分」の問題がクリアされれば、日本の原発は拡大の方向でよいのか、というのが昨日の設問の主旨です。



原発は「持続可能な社会」の電源としてふさわしいか   ①まずは、皆さんへの質問

2012-06-04 20:18:32 | 原発/エネルギー/資源
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 何はともあれ、今日の朝日新聞の朝刊に掲載された「反原発論者は暗い現実を見て」と題する次の投書をご覧ください。


 この投書は「経済が衰退しても安全性さえ確保できればいいという考えは『幻想』にすぎないということを、反原発を支持する人々は銘記すべきだと思う。」と結ばれています。原発維持論者や“反原発という立場”をとらないが、「原発は不安だが,必要である(原発は必要悪)」と考えている多くの一般国民の考えが見事なまでに凝縮されていると思います。

 今回の投書を読んだときに、私がすぐ思い出したのが、私が6年前の 2006年に上梓した 『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」』(朝日新聞社)でした。ここで取り上げた「持続可能な社会」、「持続可能な開発」、「持続可能な経済」などのテーマは2週間後にブラジルのリオデジャネイロで開催される「国連のリオ+20会議」の主要テーマとなっています。

次の図はこの本の「第5章 経済成長はいつまで持続可能なのか」の扉で、私は投書の方とは異なる視点から、結論として「自然科学者の明るくない未来予測に、耳を傾ける必要があるのではないか」と書きました。

 この投書の方がおっしゃるように、私も、一般の多くの反原発論者や一般の方々の「原発反対の論点」の多くは、原発の「安全性」に集約されていると思います。この点は東日本大震災という厳しい経験から考えても当然のことだと思います。

 昨年3月11日の過酷事故以来、マスメディアに加えて、ネット上でも将来の日本のエネルギー体系に原発が必要かどうか、原発の賛否を問う発言は最高潮に達しているかのようですが、それでも、日本の「原発議論の内容や論点そのもの」は昨年3月11日の過酷事故以前とあまり変わらないというのが私の印象です。

 そこで、今最も関心の高い原発論議に新しい視点を提供する目的で、「原発は持続可能な社会の電源としてふさわしいか」というテーマで、5年前にこのブログで掲げた「原発問題を考えるシリーズ全10回」(2007年4月10日から4月19日まで)を装いも新たに再掲することにしました。5年前の議論とは言え、現在の原発議論にも十分耐え得るものと思いますし、「原発の安全は確保されているのか」、「電力はほんとうに足りないのか」、「原発コストは他の電源と比較して安いのか」などの具体的な論点に振り回されない原発の本質を議論する新たな論点を提供できると考えるからです。

 さらに言えば、ここに再掲する5年前のブログ記事は、冒頭で紹介した投書に対する私の間接的な答えでもあります。投書者と私の考え方の決定的な相違は2030年およびそれ以降の社会に対するビジョンの相違です。投書者は「経済の現状維持および拡大」を前提に将来社会を考えているのに対し、私は「経済の現状維持および拡大」は持続不可能なので、「持続可能な社会のビジョン」を掲げ、それににふさわしいエネルギー体系を構築しなければならないと考えているからです。

 端的に言えば、投書者が「20世紀の原発論」を展開しているのに対し、私は「21世紀の原発論」をしていると言ってもよいでしょう。「日本の暗い現実」という点では投書者と私の基本認識は一致していますがその現実を解決し未来を明るい希望の持てる社会にするために投書者は原発復帰に期待するのに対し私は投書者とは反対の立場をとっていることになります。つまり、 私の環境論(今日の決断が明日の環境を決める)に従えば 、この岐路で、どちらの道を選択するかによって、未来の社会が原則的に決まってしまうと言うことです。



原発は持続可能な社会にふさわしいか  ①まずは、皆さんへの質問 (2007-04-10)
 
 古くて(とは言っても、1960年代頃からですが)、新しい原発議論が、再び高まってきました。3月30日に、全国の12の電力会社が発電所の不祥事に関する調査報告書を経済産業省原子力安全・保安院に提出し、不適切な事例を報告したことが、議論をいっそう高めているようです。ネット上では原子炉技術の専門家、評論家をはじめ、さまざまな方がそれぞれの立場からさまざまに発言しています。

 そこで、私も混乱している原発議論に参加します。原発に対する私の過去の発言などを織り交ぜながら、「私の環境論」に基づいて現在の私の原発に対する考えをお伝えして、皆さんと一緒にこの大切な問題を考えていきたいと思っています。しばらくおつきあいください。私の考えに対するコメントは大歓迎です。  

 今回は初回ですから、次のような問いかけから始めましょう。

あり得ないことではありますが、「仮に原発の安全性が100%保障され、核廃棄物も100%安全に処分できる夢の原発」が開発されたとしたら、日本のエネルギー体系は現在よりもさらに原発に依存する方向でよいのでしょうか、それともそれでもだめだというのでしょうか?」

 この疑問は原発賛成派の方、反対派の方、どっちとも決めかねる方、そんな分けかたに関係なく、原発議論を始める前に私が、是非とも皆さんに伺ってみたいと思っていたものです。

 この設問に答えるために、「これまで原発について議論されてきたこと」と、「原発が21世紀の電源としてふさわしいかを判断するために議論しておかねばならないこと」を、私の視点から挙げておきましょう。(図1)


 ここに掲げた論点は、原発の問題点として、電力会社の不祥事の問題は一切取り上げていません。私がここで議論したいことは原発の本質を議論するために、「原発が正常に稼働しており、原発に対する「安全性向上に向けたさまざまな技術開発」や「放射性廃棄物の処理・処分の技術開発」が常に着実に行われており、電力会社も真剣に対応している。情報公開は完全に確保され、電力会社の不祥事は一切ない。」という前提での議論です。 

 今回報告された原発の不祥事は、検査漏れ、データの改ざん、検査中の原子炉の事故、報告の義務違反などですが、これらに関してはネット上にたくさんの議論がありますので、あえてここでは触れないことにします。




3週間後に迫った「国連の持続可能な開発会議」(Rio+20)、日本の対応は20年前の再現か?

2012-05-31 09:26:07 | 政治/行政/地方分権
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 今年1月1日のブログで、私は次のように書きました。

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今年2012年、国連は、1992年の「地球サミット」の20周年を記念して、6月20~22日に再びブラジルのリオデジャネイロで「持続可能な開発会議」(リオ+20)を開催する予定です。私の懸念は、日本のマスメディアが昨年から引き続くグローバル社会における国際的、国内的な政治、経済、社会の混乱や東日本大震災とそれによって引き起こされた福島第一原発過酷事故のフォローに忙しく、さらに大きな、そして、もっと基本的な 「人間社会の持続可能性」という重要性に、今なお思いを馳せる想像力が欠けてきているのではないかということです。
xxxxx


 私のこの懸念が現実のものとなりそうな状況になってきました。マスメディアだけでなく、国内の、そして、国際社会を動かしている日本の政治家に対してもです。朝日新聞に掲載された次の小さな記事をご覧ください。主催国のブラジル大統領が 「野田首相に出席を要請したところ」、野田首相は「出席者は検討中」と答えたそうです。


 今国会の会期は「国連のリオ+20会議」と重なっており、野田首相は重要な法案を抱えておりますので国会会期中(6月21日まで)を理由に会議への不参加となれば、20年前に当時の宮沢喜一首相がPKO法案の国会審議を理由に参加しなかったと同じような状況が再現されることになります。事態は20年前よりも一層深刻になっているにもかかわらず、です。

このブログ内の関連記事
地球サミット20年 日本とスウェーデンの相違(2011-02-26)

1992年の「地球サミット」当時のスウェーデンと日本の環境問題に対する認識の大きな相違(2010-09-13)

今なお低い日本の政治家の「環境問題に対する意識」、1992年の「地球サミット」は、その後は?(2007-09-28)

地球温暖化に対する日本の「政治の意識(認識)」と「行政の意識(認識)」(2007-09-29)

「個人」と「組織」のずれ(2007-01-29  )

5月5日、日本の原発がすべて稼働停止した日 42年前にタイムスリップしてみると・・・・・

2012-05-07 17:53:20 | 原発/エネルギー/資源
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  5月5日の朝日新聞朝刊が一面で、「全原発 きょう停止」のタイトルのもとに「国内で唯一運転している原子力発電所、北海道電力泊原発3号機(北海道泊村、出力91.2万キロワット)が5日深夜、発電を停止して定期検査に入る。これで国内の原発50基がすべて止まる。全原発が止まるのは1970年以来、42年ぶり。政府は電力危機を回避するため、関西電力大飯原発3、4号機の早期再稼働をめざしているが、めどは立っていない」と報じ、3面で「再稼働急ぎ、全原発停止 場当たり策に批判」「事故未解決解明のまま」「40年 高めた依存深めた不安」と題した解説記事を、28面で「達成感なき原発ゼロ」の見出しで、脱原発を訴えてきた市民活動の動きを報じています。

 4月の私のブログでは、私のこれまでの原発に対する基本的な考え方や社会との接点を知っていただくために、まず2000年(12年前)にタイムスリップ(新長計)しました。続いて、1996年(16年前)にタイムスリップ(賢人たちが語るエネルギービジョン エネルギーから21世紀を解く  原子力は21世紀の電源として望ましいのか?  1996年の第11回原子力円卓会議  原子力は21世紀の電源として望ましいのか? 1996年の円卓会議の結末は? )し、今日はさらに26年タイムスリップして、1970年(42年前)です。

 次の図をご覧ください。1970年と言えば、大阪万博が開催された年です。


 「人類の進歩と調和」(Progress and Harmony for Mankind)という共通のテーマの下に開催された大阪万博の会期は、1970年3月15日(日)から9月13日〈日〉までの183日でした。この間の入場者数は6421万8770人だったそうです。

●70年万博タイムスリップ | 独立行政法人 日本万国博覧会記念機構


 「科学技術の発展がバラ色の未来を約束する」と一般に考えられていた70年代の初めに、「人類の進歩と調和」という共通のテーマの下で提示されたスウェーデン、日本および米国の世界観は大きく異なっていました。スウェーデンは「環境問題」を、日本は「原子力」を、米国は「月の石」でした。

 42年後の今、改めてこれらの3カ国の当時の世界観を検証してみますと、スウェーデンが取り上げた「環境問題」はまさに21世紀最大の問題となっており、日本館の展示は日本産業の巨大さと成長ぶり、それをささえる日本のエネルギーの紹介でした。日本が大阪万博を通して誇示したバラ色の「原子力」は、その後、米国スリーマイル島原発事故(1979年3月28日 レベル5)、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故(1986年4月26日 レベル7)、そして昨年の東京電力福島第一原発事故(2011年3月11日 レベル7)の大事故を経て今やその技術の是非が国内で、そして国際社会で議論されています。

ネット上で見つけた興味深い関連記事
●原子力委員会 長計についてご意見を聴く会(第9回)議事録 ご意見を伺った方 小林 傳司 南山大学教授 

 この議事録は32ページにおよぶ長文ですが、その12ページに次のような興味深い記述がありました。
xxxxx
 ・・・・・それから、大学紛争、公害問題、皆さんご存じのとおり、それからアポロ11号、これは1969年の7月です。大阪万国博覧会、人類の進歩と調和、月の石が展示されました。未来学ブームです。唯一未来を謳歌しない展示をしていたパビリオンがありました。それはスカンジナビア館でありまして、そこでは公害問題の展示一色でした。ちょうどこの時期に入れかわるわけですね。意識が少しずつ変わり始める時期です。日本でも万博会場の外側では公害問題が議論されていました。そして、オイルショックが1973年です。そして、アメリカがテクノロジー アセスメントの部局をつくるのが1972年です。・・・

・・・・・大阪万博のときの電力は当時稼働を始めた若狭湾の原子力発電所によって全面的に供給され、それは未来の火として売物でありました今4割近くの電力を原子力発電所で賄いながら、万博のときに、2005年、愛知万博ですが、売物に絶対なりません。これをどう考えるかということになるわけです。・・・・・
xxxxx


●PDF] 淀野 隆 「私の万博体験」 ~モノとヒトの出会いのドラマ~この報告書も33ページにおよぶ長文ですが、7~8ページにかけて次のような興味深い記述があります。
xxxxx
・・・・・スカンジナビア館はこのスライドプロジェクター技術をフルに活用し、公害問題に真正面から取り組んだパビリオンだった。来場者は入り口で「紙のスクリーン」を渡される。その手に持ったスクリーンで、天井から投射される映像を受けて進む。中央から右がマイナスの世界、左がプラスの世界だった。公害に対する警告や生活のあり方が映像や文字で投射された。これも大阪万博のお客には「奇異」であり、「面白くない」ものだった。 殆どの来館者が素通りした仲の良いスカンジナビア館の広報官からある日相談を受けた。

「みんな素通りしてしまう。どうすれば良いだろう?」「そうだね出口の扉を閉めて中で滞在させるようにしたら……」とアイデアを出した。数日後に電話があり「駄目だ!今度はみんな出口の前に集まり出口が開くのを待っている…」これには私も絶句してしまった。
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 では、米国が大阪万博で展示した「月の石」はその後どうなっているのでしょうか。次のような少々興味深い報道がありました。

 42年前の1970年の大阪万博の日本館やアメリカ館には長蛇の列ができたのですが、42年後の現在を、当時的確に予見したスカンジナビア館を訪れた入場者は多くありませんでした。この事実は3つの先進工業国の特徴を見事に表していると思います。スウェーデンの特徴は、他の2つの国と違って、中・長期的にも科学的視点に基づく社会的な合理性が高い国と言えると思います。

このブログ内の関連記事
1970年の大阪万博のスカンジナビア館(2007-03-18)

常に時代の最先端を歩むスウェーデン:上海万博の 「スウェーデン館」、大阪万博 「スカンジナビア館」(2010-09-25)






原子力は21世紀の電源として望ましいのか? 1996年の円卓会議の結末は?

2012-04-20 09:56:32 | 原発/エネルギー/資源
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 16年前の1996年9月18日に行われた「第11回原子力政策円卓会議」は、このシリーズの最終回でした。果たして、この円卓会議の結末はどうだったのでしょうか。この会議を終わるに当たってこのシリーズのモデレータを努められた茅陽一さんが、この会議の最後に、特に発言を求めて、このシリーズの反省と今後の展望についてお話になっておられます。

 議事録の全文が公開されていますので、ご興味のある方は直接議事録にアクセスすればよいのですが、茅さんのご発言はかなり、私の発言を意識されておられるようですので、その部分を引用します。

 公開されている議事録をご覧になればおわかりのように、議事録の記述は発言内容がそのまま収録されており、延々と長文が続きます。そこで、読みやすいように、私が公開されている記事録の原文に段落を入れる、改行する、重要な部分を強調するために文字に色をつけるなど、最小限の編集を行いましたことを付記します。

xxxxx

【小沢】そろそろ終わる時間ですので、最後に言いたいことは、ずっとこういう議論を繰 
り返していても、技術論をやっている範囲ではそんなに問題はないわけです。こ
れ、全然変わらないわけです。一番の議論は、何といっても、将来をどう見るか
という基本的な視点があるかないか。
つまり、おそらく原子力を推進する方々は、
このままいけるんだよと、経済拡大が。そういう前提にもし私も立つのだったら、
私も、原子力と化石燃料しかないと思うわけであります。

しかし、もしそうであれば、やはり原子力を推進する方は--ここにエネ研がや
ったものがあります。これを見ると、プルトニウムを使うにしても、どういう前
提をしているかよくわかりませんけれども、もう明らかにエネルギーは不足する
という下のものがあります。石炭を使えば、うまくどうにか必要な分だけおさま
るよと。ところが地球温暖化というような話を考えて、二酸化炭素を増やさない
ように、石炭の量を一定にしちゃうと。100年間一定にすると、もう追いつか
ないよというこういう話なわけであります。

そういうことを考えますと、少なくとも2050年の絵をかいてみようというこ
と、それから、原子力を進めようという方たちは、それでも結構だけども、そ
の場合には、プルトニウム社会の経済がどうなるかという絵をやっぱりかいてい
ただきたい。それを比較すると我々はどういうのが望ましいかということがわか
ると思うのであります。

私自身の原子力に対する考え方は、たとえ原発が100%安全であっても、そし
て原発の廃棄物が100%処理できる、つまり日本の原子力の議論の、私はその
2つで90%ぐらいは占めると思いますけれども、それが仮に完成されたとして
も原子力は無理なんじゃないかなと、個人的にはそう思うわけであります。


【鳥井】 先ほど小沢さんからご指摘があったように、そろそろ時間になっております。ま
だご議論が続くか、続けたいようなご議論が、結構中身の濃いご議論があったと
いうふう考えておりますが、討論のほうはこの辺で終了させていただきたいと思
います。

前回も申し上げましたとおり、本日まで11回にわたる円卓会議でさまざまな議
論をしてまいりました。モデレーターとしましては、本日を一区切りとして、こ
れまでの議論を整理して、円卓会議というか、円卓会議のモデレーターとしてと
いうか、その辺はまだはっきりはしていないわけですが、原子力委員会に対して
提言を行うことを考えております。その議論の整理の中で、円卓会議という名前
を使うかどうかはわかりませんが、今後ともこういう形での、議論の場といいま
すか、国政に対する市民の意見を述べる場という、そういったもののあり方につ
いても検討をしていきたいと考えております。

閉会に当たりまして、モデレーターの茅さんのほうから一言、発言をしたいとい
うふうに伺っておりますので、
では、お願いをいたします。

【茅】 私もモデレーターをやりまして、実はこういう4時間の会議というのはあまりない
んですが、4時間何も口をきかないで座っていたというのは多分ここ10年で初め
てじゃないかと思うんですけれども、その意味で大変欲求不満がたまりましたが、
最後ちょっとだけ言わせていただきます。

といっても、別に中身について言うというよりは、今、鳥井さんのおっしゃいまし
た点でございまして、11回いたしましたが、この先どうするかということにつき
ましては、今盛んに検討いたしております。

いろいろ実は問題がございまして、ここにおいでになった方何人かは、私が発言し
たときにお聞きになったかと思いますが、現在のこの円卓会議のやり方、それにつ
いてはやはり問題がかなりあるように思っております。円卓会議そのものは、今鳥
井さんがおっしゃいましたように、いろいろな方々の声を聞く。そしてそれを原子
力行政に反映する場としてはやはり非常に重要である。こういうことは私も思いま
すし、またそういう意見が大多数であると思っているのですけれども、ただ、現実
にこの形のものをただ続けていくということは物理的にも非常に難しい。例えば事
務局がつぶれてしまうということがございますし、そのほかいろんな問題点がござ
います。

そこで、この点を少し、やはり我々としてはいろいろ検討いたしまして、こういう
ふうに新しく組織直しをしたらどうかという提案を出したいということで、その辺
を今、盛んに議論をモデレーターの間でしております。

私、特に申し上げたかった一つのポイントは、今までいろんな方からご意見を伺っ
たんですが、中にはある程度詰まった議論もあるんですが、残念ながら議論か最後
まで詰め切れなかった。論点が結局十分見えなかったというものが幾つかあります。

今日も最後にたまたま小沢さんがおっしゃったことはかなりそれに近いのですけれ
ども、
つまり将来をどう見るか。その中に原子力をどういうふうな姿としてとらえ
るのかということなんですが
、今日も実はそのために前半があったはずなんですけ
れども、途中で方向が変わっちゃいましてその議論は途中になってしまった。前に
もこれ2回ほどやったことがあるんですが、結局そのときも同じになってしまった
んですね。

こういうふうに途中で終わってしまうというのはまことに残念なんで、やはりその
先をやって、今のような問題についてはきちんとした議論をしたい。プルトニウム
の社会というのをどういうふうに考えるのかという小沢さんのご指摘がありまし
たが、
同じように、今度逆に原子力が全くない社会のときには、じゃあどう考える
のか
ということもやらなきゃいけない。そういった議論が始まって、ぶつかり合っ
て、初めて論点が明確になると思うんですが、ぜひ次回以降の新しい、名前はわか
りませんけれども、円卓会議の続きでは、そういうことができるように何とかした
いとは考えております。


そんなことで、我々モデレーターはこのままやることには多分、少なくとも全員は
そうならないと全く思っておりますけれども、いずれにいたしましても、今まで皆
様方、ここには何人か何遍もおいでいただいた方もありますが、大変ご苦労をおか
けいたしました。我々としては、できるだけ皆様方の声を分析いたしまして、少し
でも前向きの提言を今回はしたいと思っております。

ただ、当然のことですけれども、この中には原子力そのものに対して反対の方も賛
成の方もおられますし、その意見を変えるということをこのままでおやりになる方
は、まずおられない。その中で何らかの意味で前向きの提言をするというのは、正
直言って非常に難しいんです。

その意味では、我々としても大変苦労はしているんですけれども、それこそ文殊の
知恵で、これはいい意味にとっていただきたいんですが何とか我々としては努力を
したいと思っておりますのでよろしくお願いいたします。どうもありがとうござい
ました。


閉 会

【鳥井】 それでは、閉会に当たりまして、委員長代理の伊原さんのほうから一言ごあいさ
つをお願いします。

【伊原】 本日は長時間にわたりまして貴重なご意見、ご議論をいただきましてほんとにあ
りがとうございました。これまでに議論が十分尽くされなかった点を今日はテー
マにさせていただいたわけでございますけれども、たくさんの示唆に富んだご意
見をいただきまして、かなり深い議論にまでいけたと思っているわけでございま
す。

ただいま、モデレーターの鳥井さんと茅さんからご紹介がありましたとおり、こ
の円卓会議も本日で、まず一区切りになると。これまでの議論をモデレーターの
方々が整理してくださるということになっております。また、その中には、会議
を今後どういう形に持っていくかと、そういうことについてのご検討もいただく
わけでございます。

我々原子力委員会といたしましては、これまでご参加いただいた数多くの招へい
者の皆様方に改めて感謝を申し上げますとともに、モデレーターの皆様方にも大
変お世話になったわけでございますが、この議論をさらに整理をしていただきま
して、その会議の議論の反映された、そのご提言の内容を、これからの原子力政
策に的確に反映してまいると、こういうことを約束いたしたいと思います。

本日はまことにありがとうございました。

【鳥井】 それでは、11回並びにこの形の円卓会議をこれで終了させていただきます。
どうも皆さん、ありがとうございました。


--了--

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このブログ内の関連記事
『成長の限界』の著者、メドウズ名誉教授に09年の日本国際賞を授与(2009-01-16)

あれから40年 2010年は混乱か?-その4   デニス・メドウズさん vs 茅陽一さん(2009-05-01) 

原子力は21世紀の電源として望ましいのか?  1996年の第11回原子力円卓会議

2012-04-18 11:42:03 | 原発/エネルギー/資源
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 昨日のブログでは「1996年の春」にタイムスリップし、社団法人日本ガス協会が発行する『Gas Epoch』誌の1996年春季号(第13号)の特集記事
「賢人が語るエネルギービジョン エネルギーから21世紀を解く」を紹介しました。

 今日はその年の秋に開催された「第11回原子力円卓会議」(1996年9月18日)に討論者として招聘された私が、この円卓会議のために会議事務局に提出した11ページの資料の一部を紹介します。

 まず、この円卓会議の全体像を掴んでいただくために、議事概要をご覧ください。

 私が事務局に提出した11ページの資料の構成は次のようです。

     原子力は21世紀の電源として望ましいのか?

1.原発の論点
2.「2050年」の世界
生物としての制約

技術面からの制約

我々の経験則からの制約

3.持続可能な社会
4.「持続可能な社会」が備えるべき最も基本的な必要条件
5.「持続可能な社会」の実現をめざす行動計画
6.「21世紀の社会」を支えるエネルギー体系
7.私の提案と結論

参考資料
表1 環境問題とは何か?   表2 先進工業国の天然資源の輸入依存率(%)   表3 主要金属資源の可採埋蔵量(1990)   表4 原発と持続可能な社会

図1 環境問題の三要素   図2 環境への人為的負荷   図3 生産と廃棄物の関係   図4 持続可能な社会:エネルギー体系の転換   図5 エネルギー政策の比較   図6 持続可能な社会の方向性    図7複雑な問題への対処の仕方の相違  図8ビジョンを具現化する手段

日本経済新聞 1996年3月18日  2010年、水不足深刻に 国連報告 改善なければ紛争も
朝日新聞   1996年8月7日 廃棄物量横ばい 産廃は2年余で満杯に 93年度

この11ページの資料から、p1~2およびp7~8を抜粋します。





 なお、この円卓会議に「招へい者が提出した資料」および「円卓会議の議事録の全文」をネット上で読むことができます。

原子力政策円卓会議(第11回)招へい者の方から提出のあった資料等

原子力政策円卓会議(第11回)議事録



 今日ここに紹介した内容は16年前の「原子力政策円卓会議」で、私が提起した「原子力は21世紀の電源として望ましいか」という議論の一端です。昨年3月11日に発生した東京電力福島第一原発の過酷事故後1年経過した現在でも、原子力エネルギーに対する私の考え方は、細かいことは別にして基本的には変わりません。

 原発が経済的な電源かどうか、安全性が確保されているかどうか、夏場の電力が足りるかどうかなどという周辺的な情報の比較を行うことによって「原子力エネルギーの優位性」を見つけようとするのではなく、もっと「原子力エネルギーに対する本質的な議論」を進める必要があります。現在進行中の「新原子力政策大綱」策定会議の主題として、私が16年前の原子力政策円卓会議で提起した「原子力は21世紀の電源として望ましいか」という命題を、最新のデータを用いて選ばれた分野の異なる専門家の間で真剣な議論を発展させ、市民にわかりやすい結論を導き出して欲しいと願っています。

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原発を考える ⑤ エネルギーの議論は「入口の議論」だけでなく「出口の議論」も同時に行う(2007-04-14)

 21世紀の原発の議論は、20世紀の原発議論と違って、原発の分野だけでいくら議論しても解決策はみつからないでしょう。要は、原発問題は他のエネルギー源と共にエネルギー全体の中で、資源問題や環境問題、経済のあり方、社会のあり方など、「21世紀の安心と安全な国づくり」 の問題として、国際的には「持続可能な社会」 の構築という21世紀前半の国のビジョンとのかかわりで議論すべきだと思います。




賢人たちが語るエネルギービジョン  エネルギーから21世紀を解く

2012-04-17 11:31:40 | 原発/エネルギー/資源
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 昨日のブログでは、2000年までタイムスリップしました。今日はさらに4年タイムスリップし、1996年の春にさかのぼってみます。

 社団法人日本ガス協会が発行する『Gas Epoch』というカラフルな雑誌があります。創刊4年目の1996年春季号(第13号)で、「賢人が語るエネルギービジョン エネルギーから21世紀を解く」という特集が組まれました。この特集の意図するところが「編集室」と題するコラムに記されていますので、次の図をご覧ください。この図の左に目を移しますと,編集顧問として,茅陽一さん大宅映子さんのお二人の名前があるのに興味を引かれます。

 次の図はこの雑誌の目次です。


この図を拡大するには、ここをクリック




上の図を拡大するには,ここをクリック


 この雑誌に“賢人”と称されて登場するのは9人です。おもしろいのは、この9人の“賢人”の中になぜか私が含まれていることです。昨日のブログ記事と同様に、私がこの特集記事に登場した経緯は定かではないのですが、今から15年前に「エネルギー問題」に対して私がどんな考えを持っていたかを思い出すよい機会ですので、他の8人の賢者の経歴とそれぞれのお考えと共に、当時の私の考えをお知らせして、皆さんのお役に立てばと考えています。


賢人たちが語るエネルギービジョン
エネルギーから21世紀を解く①
エネルギー政策の基本は常に供給確保にある
●石油代替エネルギーの開発が課題となる
●成熟社会に相応しいエネルギーミックスを
●急がず慌てず地道に取り組もう
生田豊朗(いくたとよあき) 1925年神奈川県生まれ。
東京大学経済学部卒業。
通商産業省、科学技術庁などを経て、現在(財)日本エネルギー経済研究所理事長。
世界エネルギー会議(WEC)会長の他、総合エネルギー調査会など各種政府委員会や審議会の委員を歴任。
『エネルギーの窓から』「エネルギーの指定席」など著書多数。

賢人たちが語るエネルギービジョン
エネルギーから21世紀を解く②
持続可能な国際エネルギー/ベストミックスを志向して
●目先の変化が永続するという神話の打破を
●地球環境問題と持続可能な発展
●持続可能な発展のためのエネルギー
深海博明(ふかみひろあき) 1935年東京生まれ。
慶應義塾大学経済学部卒業。同博士課程修了
慶応大学経済学部教授。
国際経済学、資源・エネルギー・環境経済学を専攻し、原子力委員会、石炭鉱業審議会、サマータイム制度懇談会などの各種委員会を努めて活躍中。
『資源・エネルギーこれからこうなる』『現代世界の構造』など著書多数。

賢人たちが語るエネルギービジョン
エネルギーから21世紀を解く③
暮らしの根っこを見つめ直して、意識改革を
●人間は地球にやさしい存在ではない
●地球の許容量とどう折り合うのか
●日本は地球の恩恵を最大に受けている
●モノやカネでない楽しさの追求
大宅映子(おおやえいこ) 1941年東京都生まれ。
国際基督教大学社会科学科卒業。
税制調査会委員、衆議院議員選挙区画定審議会委員、行政改革委員会委員などを務め、東京証券取引所の理事も務める。
テレビ番組『あまから問答』などでも活躍。
『どう輝いて生きるか』『だから女は面白い』『私の雑草教育』など著書多数。

賢人たちが語るエネルギービジョン
エネルギーから21世紀を解く④
トランス・アジア天然ガスパイプライン建設に向けて
●コージェネレーションの一層の普及が肝心
●天然ガスパイプラインは必要な社会資本だ
●中国や韓国などに遅れをとらぬように
平田 賢(ひらたまさる) 1931年東京都生まれ。
東京大学工学部卒業。
芝浦工業大学システム工学部教授。東京大学名誉教授。
日本機械学会会長。日本コージェネレーション研究会会長。広域天然ガスパイプライン研究会座長など多数の要職を歴任。
専門は熱、熱力学、熱流体工学、エネルギーシステム論。著書、論文多数。

賢人たちが語るエネルギービジョン
エネルギーから21世紀を解く⑤
持続的発展に貢献する原子力開発利用の課題
●非炭素燃料への転換が必要
●炭酸ガスを放出しないエネルギー技術
●増殖炉の開発は必要 実用技術の確立を
近藤駿介(こんどうしゅんすけ) 1942年札幌生まれ。
東京大学工学部原子力工学科卒業。工学博士。
東京大学工学部教授。
原子力委員会専門委員、日本原子力学会理事など多数の役職を持ち、原子炉システム工学、原子炉安全工学などの分野で活躍中。
『エネルギィア』『私はなぜ原子力を選択するのか』など著書多数

賢人たちが語るエネルギービジョン
エネルギーから21世紀を解く⑥
二十一世紀の車社会を展望する
●二十一世紀も増加する運輸エネルギー
●低公害車の開発と普及が急務となる
●電気自動車はバッテリーの進歩が鍵
●天然ガス自動車はトラックやバスに向く
茅 陽一(かやよういち) 1934年東京都生まれ。
東京大学工学部電気工学科卒業。
慶應義塾大学教授、東京大学名誉教授。
ローマクラブ会員などの国際的活動、産業構造審議会環境部会長などの政府関係活動などを精力的に努める。
電気学会平成七年度功績賞などの受賞も多数。
エネルギー・環境を対象とするシステム工学が専門で、著書も多い。


賢人たちが語るエネルギービジョン
エネルギーから21世紀を解く⑦
二十一世紀の環境とエネルギー問題を考える
●人類の歴史の中で自然の尊さは変わらない
●今日の決断と将来の問題
●持続可能な社会は落ち着いた社会だ
●持続可能な社会を支える新エネルギー体系を
小沢徳太郎(おざわとくたろう) 
環境・エネルギー教育創造・普及研究所代表。
1973年スウェーデン大使館に入館し、科学技術部で環境保護オブザーバー(環境・エネルギー担当)として活躍した。
現在、環境問題ジェネラリストとして講演や執筆活動で忙しい毎日を過ごす。
『いま、環境・エネルギー問題を考える』などの著書もある。




この図を拡大するには,ここをクリック

賢人たちが語るエネルギービジョン
エネルギーから21世紀を解く⑧
対談・木元教子vs柏木孝夫
エネルギー・環境問題は地球規模で考えよう
●エネルギー使用は増加。省エネルギーが不可欠です
●ごみ発電などの未利用エネルギーの活用
●二十一世紀に期待するエネルギー新技術
●エネルギー教育が大切。もっと議論が必要です。
●エネルギーの利用効率を上げることも大切
宇宙太陽発電など期待する技術は盛り沢山 二十一世紀は全員参加型エネルギー社会です
柏木孝夫(かしわぎ たかお) 1946年東京都生まれ。
東京工業大学卒業。
通産省、環境庁など各種エネルギー関係委員会で活躍中。
国連IPPC日本代表。
日本機械学会評議員など学会関連の仕事も多い。

エネルギー教育が大切ですね。賢いエネルギーの使い方を実践しましょう
木元教子(きもと のりこ)  北海道苫小牧生まれ。評論家。
立教大学卒業後、東京放送(TBS)入社。退社後、教育、女性、エネルギー、政治、など広い分野で評論、放送、講演活動を行っている。各審議会委員なども歴任。
『子離れ親離れのすすめ』『わたしの人生、今が一番』など著書多数。


 私を除く8人の方々が政府の様々な審議会委員を歴任し、それなりに政府の政策への影響力を持っているのに対し、残念ながら私はそうではありませんでした。インターネットの普及拡大につれて、この16年間にエネルギーや環境問題に対する情報量は飛躍的に増大しましたが、議論の内容にはあまり進展がないように思います。今回の私のメッセージはただ一つ、
「21世紀は持続可能な社会を構築するために、それに相応しいエネルギー体系をつくる」 
ということです。





新長計

2012-04-16 18:05:32 | 原発/エネルギー/資源
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 表題に掲げた“新長計”と言う言葉をご存じですか。日本の原子力問題の議論を長らくフォローして来た方にはお馴染みでしょうが、昨年3月11日に発生した東京電力福島第一原発事故後に「原発(原子力発電)」に興味をお持ちになった方々には馴染みの薄い言葉だと思います。

 新長計とは「新原子力開発利用長期計画」の略称で、その「第1回の原子力開発利用長期計画」が1956年に策定されました。5年後の61年に「第1回の長期計画」が改訂され、以後およそ5年ごとに改訂されてきました。

 2000年11月24日に原子力委員会で8回目の改正が決定された後、閣議で決定されました。2005年10月からは「原子力開発利用長期計画」は「原子力大綱」と名称を改め、現在に至っています。

 2010年12月より、原子力委員会に設置された「新大綱策定会議」において、2011年12月決定の予定で「新原子力政策大綱」の策定に関する議論が進められていましたが、2011年3月11日に発生した東日本大震災に伴う東京電力福島第一発電所の事故を受け、その議論が中断していました。原子力委員会は2011年9月27日に検討の議論を再開し、今後1年を目途に新しい原子力政策大綱をとりまとめるとしています

 そこで、今日は2000年9月9日にタイムスリップします。この日は2000年11月24日の原子力委員会で「原子力開発利用会議の8回目の改正」が決定する前に「新長計を問う」(市民と長計策定会議メンバーとの討論会)と題して、NPO法人原子力資料情報室が主催する催しが中央大学駿河台記念館で開催されたからです。

 なにぶんにも12年前のことですので、どういう経緯で私がこの討論会の討論者を引き受けたのか定かではないのですが、たまたま古い資料を整理しておりましたら当時の配付資料(22ページ)が出てきましたので、ご紹介します。討論会自体は大変盛況だったと記憶しています。次の図をご覧ください。



 現時点で振り返るとこの12年間のある時期に、この討論会の討論者の森嶌さんは中央環境審議会会長であられ、近藤さんは原子力委員会委員長(現在も)、そして、鈴木さんは原子力安全委員会委員長の要職についておられました。


 次の図は会場で配布された22ページの資料集に収められた私のプレゼンテーションの要旨(7ページおよび8ページ)で、12年前のものではありますが、この12年間の日本の原子力関連の議論の推移に加えて、昨年3月11日に発生した東京電力福島第一原発事故以降の混乱した議論の方向性を見た時に、今後の議論の道筋を定める考え方として十分役に立つものだと思っています。



上の図の最後に記した「1996年頃まで頻繁に使われていた『核燃料リサイクル』という言葉はどこへ行ったのか?(小沢vs鈴木 1996年9月18日)の第11回原子力円卓会議」はここをクリックしてください。


 ご参考までに、この22ページの配付資料の内容を記しておきます。原子力委員会の活動はすべて“原子力推進”が前提になっているわけですから、とりわけ、p3~p6に掲載されている長期計画策定会議・分科会メンバーのリストをご覧になると、どのような方々がこれまで “原子力エネルギー推進のために関わってきたか” がおわかりいただけるでしょう。

p1 今月の話題 長期計画見直しが始まる  

p2 資料 原子力長期計画変遷

p3 長期計画策定会議・分科会メンバー
    長期計画策定会議構成員
    長期計画策定会議第一分科会構成委員(国民・社会と原子力)

p4 長期計画策定会議第二分科会構成委員(エネルギーとしての原子力利用)
    長期計画策定会議第三分科会構成委員(高速増殖炉関連技術の将来展開)

p5 長期計画策定会議第四分科会構成員(未来を拓く先端的研究開発)
    長期計画策定会議第五分科会構成員(国民生活に貢献する放射線利用)

p6 長期計画策定会議第六分科会構成員(新しい視点に立った国際的展開)                                                      六分科会の検討事項

 p7~p8 新長計を問う(市民と長計策定会議メンバーとの討論会) 環境問題スペシャリスト 小沢徳太郎

p9 毎日新聞 2000年5月31日 社説 「環境の世紀」 

p10 主要国の65歳以上人口の割合の推移、総人口の推移と予測、日本社会の今、“輸入概念”による環境対

p11 本質的な議論をしよう、日本の環境行政:最大の矛盾、持続可能な社会の概念、福祉社会を超えた「持続可能な社会」  

p12 なぜ、「持続可能な開発/社会」の構築なのか?、2050年までの主な制約要因、2050年の世界のマクロ指標、
     持続可能な社会:理念から行動へ

p13 持続可能な経済社会を構築する産業活動の方向性、持続可能な生産の条件、持続可能な経済/経済の持続的発展  

p14 21世紀の電源としての原発の論点、原発と持続可能な社会、「原発」に対するブルントラント報告の見解、地球温暖化
     対策:その大前提

p15 「合意形成」めぐり議論(原子力eye 1999年7月号から) 原子力推進国の方針へ(電気新聞1999年5月20日)
          
     以下省略
 p16 原子力長期計画の主な変更内容 他 
 p17 核燃料の流れ 
 p18 深刻なプルトニウム余剰 プルトニウム政策の転換が急務だ 
 p19 プルトニウム管理状況(kg、毎年末現在) 
 p20 日本のプルトニウム(実績と計画) 
 p21 崩壊 核燃料サイクルの輪 動かぬ「もんじゅ」に500億円 累積欠損1兆6000億円(朝日新聞 1999年12年16日) 
 p22 六カ所核燃料サイクル施設の概要(1999年12月末現在)