ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

自分は自分なんだけども。

2023年09月18日 16時51分00秒 | まんまねーさん
「自分は自分」という意識は昔から強く持ち続けてる(生まれ持った人格かも)けれど、私の場合は「他人に何を言われてもいいわ」というのとはちと違う。

それだと社会から反れてしまう危険性があるので、

「何も言わさないぞぇ」←意見を聞かないって話ではない
「どうですかぁ!」

という気概で(こういう意識の上で意思を持って)この世を去るまで適度に頑張りたい。(一応(笑))

今日突かれたお言葉・その1,231

2023年09月18日 16時35分00秒 | 突言葉ねーさん
忖度で集まるのは単に「たかりや」だからさぁ。
たかりはいらないよぅ。苦笑

知人の一言


同感の一言であります。
見せかけは良く見えるたかり行為っていうか。


たかるとは?
漢字では「集る」と書くように「集まる」という意味だが、ただ集まるのではなく、ある対象にこまごましたものどもが寄り集まってしがみつきなかなか離れず、見ている者にいやな感じを与える様子を表現している。(集っている人らはまるで気がついてない、気がついて居心地悪い人から抜けてくやつ。)

たかりとは?
おどしたり泣きついたりして金品をまき上げ、また食事をおごらせること。(こういう仲間意識のしがらみは距離置くに限るわなぁ(自分が年上で下からたかられて面倒見てる気分になる人もいるけど面倒見ってそれではない。))

忖度無用の大人が好き

2023年09月18日 16時03分00秒 | まんまねーさん
仕事絡みでお世話になってきたあっちこっちそっちのお偉方はみな「忖度無用」の方ばかりだったことを反芻している。

名古屋の重鎮さんは、ある日の出張の日がその方の誕生日だったので、訪問時に必ずご挨拶に参ったんだけど、その際に手土産(どこぞの高級和菓子、出張前日も多忙な中を閉店間際に買いに行った)を渡したら、ニヤニヤし出して(予想通り)、

「君もなかなかだなぁ。」
「あの社長♀の部下だけあるな。」

とニヤニヤが止まらない表情をしてそう言って、渡した手土産に話題をまるで振る事なく、無造作にあっちの方にポイと土産を置いた。

後にお茶を運んできた女性社員にもその手土産(高級和菓子)を「いただいたぞ」なぞと私たちの前でわざわざ言うこともなく、高級和菓子はあっちのデスクの隅に置かれたままスルー。

私は、

「オジサンよっしゃ!!!」

と、直感したのを覚えている。

いや、本物のお金持ち(世の為に働いてる系の「○常に働いて(✖︎お金を溜め込んで)「お金を沢山動かせる」方)ってこんな感じだから。

つまりそういう忖度に嫌気があるんだと思う。逆に「できる限りは避けたい」というか。
そうやって日々いやらしい考えの人がたくさん擦り寄って来られる立場だろうし、それで嫌な思いをさせられたり、意図しないややこしさ(まぁ意識というか、宗教観の違いというか善悪の解釈の違いというか、損得より尊徳と捉えてる違いというか、そういうのからくる、時間が経過してからわかる根本的意識のズレ(身近にすらありますよね、こういうの))に巻き込まれたくないからかと。

この時は社長も私も事前すり合わせして「わざと」持っていったところもある。笑

付き合い期間も長くなり後々になってやっぱり「その手は通用せんぞ?わしには。」っていうのがわかり、「それで良いのです!逆にそうじゃないと!」と私は心で思ってホッとしていたのに、社長♀は、「っとにケチな野郎だよ」と本人に向かって言っては暴れて、重鎮とゲラゲラ楽しそうだった。爆笑

手持ち資産(やっとそうなれた系、サラリーマン社長とか)だけ死守するのに必死なだけなのに権力持っちゃう系のオジサンだとこうじゃないんだよねぇ。
妙に品良くて、お行儀よく太刀振る舞ったりして、「あ、これはどこぞの何々だね」とか通ぶったり。おまけに講釈垂れてきたり。(ほんとすいません😭)

でもこの重鎮、ハニートラップに引っかかってしまったんだよねぇ。
「憎みきれないお馬鹿さん」で私の中では逆に許してる。
ある意味悪いオジサンはこういうのとは違うんだよなぁ。

あの一連の名古屋(静岡)行脚はマジで超良く練られた面白〜い台本の上を、素のまま即興で行ける配役を集めて芝居させられてる感じの仕事であった。めちゃくちゃ感すら面白く。すでに懐かしい。


忖度を促す人、掟を守れと促す人

2023年09月18日 12時34分00秒 | 2種分ねーさん

忖度を促す人

なんか一見すると緩く人当たりも良くオープンに見せときながら(あんまし洞察力はなく「損得」とか「自分の優位性が保たれるか?」で人付き合いを計算してる感じ)、その方の生き方の態度よりも見てくれの優位さ(見てくれの情報とか見てくれのスマートさ)を死守することにいっぱいいっぱいなのが案外ただ漏れていて、圧じゃなくて、切り離し(つまりは人の不安感を煽る)みたいな言葉(怒るより内心イライラしていてキレてる風(冷静を装ってもダダ漏れ)な態度っていうか)を投げてきては「わかるよね?」的で接してくるあの感じが超苦手なんすよねー。
同僚やら上司、得意先にもそんなオヤジ連(オババ連)はいましたよねぇ、昭和から今でも。
親とか身内にその手がいないから「なんだろう、この妙な大人になりきれないみたいな大人たち、、、なんでこれに合わせないといけないわけ?」みたいな感覚からモヤモヤは抱えましたよね。



掟を守れと促す人



圧力(✖️同調、○協調)強め、だけど人やら状況の洞察力が万全。その辺りの雰囲気がダダ漏れているので「ちゃんとしないと怖いかも」という威圧感あり。
人との関わりも関わる前から見定めているので、万人受けははなから気にしていない。
つまりは社会を煽るようなプロパガンダも気にしちゃいないし、流されない。
面倒見がいい。自立を促すような付き合い方をしてくるけど何かあれば本気で親身。
執着無し。離れていくものは離れていく、仕方ないという考え方っていうか。


忖度社会はサラリーマン(使われの身)社会の象徴、行末の状態が今。

掟社会は自営業社会に根付いていたものかと。昭和も40年くらいまではこちらの方が多かった気がします。「親が社長(八百屋や魚屋や電気屋やパン屋や工務店だろうが自営業なら親は社長です)」ってヤツです。

私個人は親やら親戚にサラリーマンがほぼいない環境(どなたかに忖度してまで家の業を維持する必要が無いっていうか。そんなことより掟を叩き込まれる環境っていうか。)から、あの妙〜な、社会に出てから益々「妙すぎ〜」としか言えない「忖度」が感覚的に肌に合わず、というより「不要」って思っているので(その辺りは「自分は自分」という私を好んでくれる(買ってくれる)人が見つけやすくて)、ジャニーズ問題から世に蔓延る「忖度」意識も少なくなるといいなぁと思っている。

あんましいい事ないから、「忖度」って。
忖度促す大人って、責任感は育ってない。(言わせていただければ)
「責任職は任務期間はこなしますけど、ルールに添って。給料も上がるのでやりますよ。」ってやつ。(ゲロゲロゲロ〜🐸)

厳しいかもしれないけど「掟」を守る組織の方が本当の自由がありますし、これが意外なことにその人が素のままいられるわよん。