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忖度を促す人、掟を守れと促す人

2023年09月18日 12時34分00秒 | 2種分ねーさん

忖度を促す人

なんか一見すると緩く人当たりも良くオープンに見せときながら(あんまし洞察力はなく「損得」とか「自分の優位性が保たれるか?」で人付き合いを計算してる感じ)、その方の生き方の態度よりも見てくれの優位さ(見てくれの情報とか見てくれのスマートさ)を死守することにいっぱいいっぱいなのが案外ただ漏れていて、圧じゃなくて、切り離し(つまりは人の不安感を煽る)みたいな言葉(怒るより内心イライラしていてキレてる風(冷静を装ってもダダ漏れ)な態度っていうか)を投げてきては「わかるよね?」的で接してくるあの感じが超苦手なんすよねー。
同僚やら上司、得意先にもそんなオヤジ連(オババ連)はいましたよねぇ、昭和から今でも。
親とか身内にその手がいないから「なんだろう、この妙な大人になりきれないみたいな大人たち、、、なんでこれに合わせないといけないわけ?」みたいな感覚からモヤモヤは抱えましたよね。



掟を守れと促す人



圧力(✖️同調、○協調)強め、だけど人やら状況の洞察力が万全。その辺りの雰囲気がダダ漏れているので「ちゃんとしないと怖いかも」という威圧感あり。
人との関わりも関わる前から見定めているので、万人受けははなから気にしていない。
つまりは社会を煽るようなプロパガンダも気にしちゃいないし、流されない。
面倒見がいい。自立を促すような付き合い方をしてくるけど何かあれば本気で親身。
執着無し。離れていくものは離れていく、仕方ないという考え方っていうか。


忖度社会はサラリーマン(使われの身)社会の象徴、行末の状態が今。

掟社会は自営業社会に根付いていたものかと。昭和も40年くらいまではこちらの方が多かった気がします。「親が社長(八百屋や魚屋や電気屋やパン屋や工務店だろうが自営業なら親は社長です)」ってヤツです。

私個人は親やら親戚にサラリーマンがほぼいない環境(どなたかに忖度してまで家の業を維持する必要が無いっていうか。そんなことより掟を叩き込まれる環境っていうか。)から、あの妙〜な、社会に出てから益々「妙すぎ〜」としか言えない「忖度」が感覚的に肌に合わず、というより「不要」って思っているので(その辺りは「自分は自分」という私を好んでくれる(買ってくれる)人が見つけやすくて)、ジャニーズ問題から世に蔓延る「忖度」意識も少なくなるといいなぁと思っている。

あんましいい事ないから、「忖度」って。
忖度促す大人って、責任感は育ってない。(言わせていただければ)
「責任職は任務期間はこなしますけど、ルールに添って。給料も上がるのでやりますよ。」ってやつ。(ゲロゲロゲロ〜🐸)

厳しいかもしれないけど「掟」を守る組織の方が本当の自由がありますし、これが意外なことにその人が素のままいられるわよん。
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