ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

伊勢神宮の式年遷宮

2022年11月07日 18時07分00秒 | おもうねーさん
過去に既に2回式年遷宮の時に伊勢神宮を参拝している。

次の式年遷宮は2033年。
10年後か、、、

何となくの予感として、これまで以上に外国人参拝者が訪れたりして。

私も元気でいれたらまた参拝したいなぁ。
65歳か。大丈夫そうね。

神宮内にある美術館でその年の歌会初めのお題にちなんだ絵画が展示されているが、数年前に画家の叔父の絵画がそれに選ばれて東山魁夷の横の位置に展示された。
そして毎年そのようなことが行われていることをその時に初めて知り、地味に日本文化継承の行事は淡々と実施されてるんだな、と感じました。

二科展とか大々的な芸術文化継承?の為の企画は継承されてるけど、それとはまた全く違う意味意図での感心。

ロマンで記憶が蘇った

2022年11月07日 17時45分00秒 | 思い出ねーさん
過去の自分の記録(ブログ)より。


ロマンを持った人 - ねーさんとバンビーナの毎日

ロマンを持った人 - ねーさんとバンビーナの毎日

解散になった会社がまだ稼働していた頃、2011年の震災後の頃。バイトに来ていた若い大学院生の男子らとこんな会話になった。男子Aオレ、こう見えて意外とロマンチストなんで...

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ロマンは持ち合わせた上でお願いっ - ねーさんとバンビーナの毎日

ロマンは持ち合わせた上でお願いっ - ねーさんとバンビーナの毎日

ロマンチックでいたいって、ついこないだ、矢沢永吉さんの言葉を目にした(耳にした?)んだけど、ロマンを持ち合わせていない男のロマンチックってのは、「っとにウザいだ...

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利己的

2022年11月07日 17時27分00秒 | 考えるねーさん

利己的とは?

自分が一番かわいく、損をしたくないということであり、どうすれば得をするのかをいつも考えること。 
言い換えれば、損得勘定に敏感で、仕事でも自分においしいメリットがあるか、「どうすれば自分がもっとも得をするのか」、いつも考えて行動します。




バブル期はこぞってこんな人が溢れていて、「なんかちょっとなぁ」と潜在的に感じていても、時間の進みの速さと時代が醸し出したとてつもないパワーで「そこの引っかかりすらあまり気にしてられない感じ」だったような。

そして、逆に、

「あの人って必ず損な役目を引き受けてくれるよなぁ、善き人なのかな?」

ってのもそうとも言い切れずに2種ありまして、

「周りから見れば損っぽいことが自分の都合によく○得(✖️徳)と計算できるからしてる人」

ってのも必ずおりまして、私はこれについては、

「誰かを貶めようとか虐めようとしてる訳でもなく自覚してるだけ良いかな、そこが得だからと計算があって(金・暇)抱えてくれるならかえって有難い。」

って辺りまで到達しちゃっていて。

無自覚で潜在的な性質から「見る人が見ればわかること(それこそ利己的そのまま)」をいつまでも続けている人には、「ため息、、、ある意味おめでたい、つか、気の毒か?」と感じますかね。苦笑

「意地悪」とかじゃなきゃまぁもう仕方ない、弱さ故なんだろな、もうひとつ強くなれればかえって楽になるハズなのに、そこに自分を持っていけないんだから弱いんだろなぁ。」

と、つくづくします。笑

「ズルさ」に出てしまうのはアスペルガーかもしれないから、またなんちゅーか、変な寛容の気持ちも出てきたりね。
何かの機能の○欠落(✖️欠陥)ゆえに治らないから、、、
たまらないけど、相手するこちら側は。(昨今参加したプロジェクトのメンバー♀にも強烈なこの手の方がいましたわ。逆のパワハラやモラハラ受けてる気分で。)


分かる人から寛容と許しの世界にするしか、こういったあたりのいざこざや摩擦から解放されませんね。


なんか矛盾してるけどそうするしかないから。

合わせなくていいこと、合わせていいこと

2022年11月07日 16時47分00秒 | 2種分ねーさん
合わせなくていいこと

損得の理屈が表向き一緒でも思想が合わないこと。
表向きの理屈で合わせる無理は身体と精神にくるんで。
ただお互いに違うことを前提に出来る割り切った付き合い方ができれば無理がなくなるから合わせられる。


合わせていいこと

行く先に見てる旗の位置とか旗の色が一緒の事柄、人。
その希望をひとまず持たせてくれる事柄、人。(←動き出さないと見えないこともあるから合わせて動く、と。「はぁ、違った」ってなってもそれも人生勉強!それが人間成長のスキルになるから。)


集団行動はまた別の意味での合わせる行動。

禅問答

2022年11月07日 16時30分00秒 | 考えるねーさん
亡き父親は娘の目から見てもなんていうか善人(良い人っていう手じゃなく善の方だね)で達観できていて、見た目の見栄とか本気でどうでも良いと振り切れてる人だったゆえ、思春期の頃など注意してくることとかがすんなり頭に入ってこず、

「言わんとしたいことがわからない(ムカつくわ笑)」

「どうしていつもそういう言動なのさ?」

と、意見がぶつかり言い合いになることもよくあった。


今になればかなり微笑ましい。笑笑


そしてわかったが、ああいうのが住職と坊主の禅問答なんだと思う。

答えなんかポンとくれず、常に自ら気がつくように考えさせる人だった。

あ〜貴重な人だった。


小学生の頃に写生の宿題で絵を描く時も、

「なんで樹々の葉っぱが緑色って決めつけるんだ?
が当たってるところ、当たってないところが緑色をしてるか??
よく見てみろ、ここは白だろ、白を置け。(横からもう白の絵の具をババーンと大胆に重ねられて、「もー、何するの!!」と怒った記憶。笑)

っていう人だった。